社交性という名の仮面について

自分は極めて内向的な人間である。社交的ではない。それは能力の無さであり、同時に性格でもある。つまり、社交的であることを良しとしない性格。望むべくして内向的であるということ。「もし自分に社交性があれば」「社交的な人間になりたい」とは全く思わないという意味である。それどころか、社交的な人間をちょっと鬱陶しいとさえ思っているところがある。だから、社交的な人にはあまり惹かれない。内向的な人に惹かれ、自分もそうありたいと思っている。

大人になった今こんなことを言うのもなんだが、友達が欲しいとはあまり思わなかった。同好の士がいれば話が弾んで良いとは思うけれど、なんとなく一緒にいる人だったり、ただの話し相手とかただの友達が欲しいという願望はなかった。だから一人でいることが多かった。しかし、それは不便でもあった。日常生活において知り合いがいないと、情報交換という面で著しく不便を被る。

高校に入ったとき、僕は理系のコースで入学したから40人のクラスに女の子が4人ぐらいだった。ほとんど男で隣の席も周りもみんな男ばかりという男子校のような3年間を過ごした。入学初日に隣の席の人が他の人と話しており、彼らは中学が同じなんだろうと思っていたら全然違ったらしく、早くも友達になっていたということを聞いた。え、そんなに早いの?と驚いたことを覚えている。彼らはまさに、息をするように友達を作っていた。

僕について言えば、卒業間際になってやっと喋る人が増え、お互いのことを知るようになり携帯のアドレス(当時はLINEなんてなかった)を交換する相手が急に増えるという、もう卒業して日本全国散り散りになるのに意味のない交流が増えていた。遅すぎる。理系のクラスは学年で2クラスしかなかったから、3年間ほぼ同じ人たちと過ごしていたにも関わらず、ほとんど交流がなかったのだ。

高校生活を、常に全く独りで過ごしていたというわけでもなかったが、昼飯も教室や外で独りで食べることが多く、学校以外で連絡を取るような人は2,3人しかいなかった。かと言って、教室で一人黙々と過ごしているというよりは、近くの人にめちゃくちゃ話しかけてよく先生に注意されていた。授業中もずっと喋っていた覚えがある。だからちょっと、おかしなやつだったのかもしれない。高校で知り合った人とはもう全く音信不通である。

大学生の頃は、知り合いがもっと少なかった。校内で行動を共にする人は一人か二人しかいなかった。行動を共にすると言っても学部が同じというだけで、履修していた講義も全然違ったから、校内で会うことがあるというぐらい。一人はゼミが同じだったから週1回会っていた。それ以外に、地元の人間に会えば話していたぐらい。地元の大学だから小中学校が同じ人もいた。大学生のときはどこで昼飯を食っていただろう。学食は混んでいたからあまり利用しなかった。学内にあるコンビニで買って、次の講義がある教室で食っていたことが一番多かったかな、あまり覚えていない。

長い前置きとなったが、このように僕は学生時代から内向的で、独りで過ごすことが多かった。あまり人と仲良くなったり交流したり積極的に友達を作ったりしたことがなかった。そういうのが自然にできるほうでもなかった。だから、人と関わるにあたって必要とされる社交性が著しく乏しかった。

社会人になると、そうも言ってられなくなった。僕がやっていた仕事は、人に説明をしたり交渉をしたり提案をする仕事だったから、最低限の社交性もないと話にならなかった。しかし僕は内向的な人間であるから、社交的な人間になることはできず、なりたいとも思わない。内向的であることを前提に、仕事に必要なスキルとしての社交性だけを身につけるために、周りの人を参考にしたり経験を積んだりしていた。僕は見た目も雰囲気も話し方も、いかにも内向的な人間だから、求められるハードルが低かった。そしてまあなかなか、仕事だと割り切っていればなんとかなった。そうやって僕が手に入れたのは、社交性という名の仮面だった。俗に言う"営業モード"である。社交性が必要とされる場面では、この仮面を被ってペラペラと喋った。内向的な自分を仮面の裏に隠しながら、ときには明るいと思われ、ときにはよく喋るひょうきんな人だと思われた。

仕事という建前があれば、割りと平気で話せるようになった。仕事以外でも必要があれば仮面を被ることで、まるで社交的な人間であるかのように振る舞うことができた。ただ仮面は飽くまでその場限りの一時的なものだから、中身は今まで通り内向的なままである。ずっと社交的なフリをするのも疲れるため、付き合いが重なるに連れて徐々に仮面を外して通常モードに切り替えていった。僕と関わったことがある人で、僕に対して社交的なイメージを持っている人もいると思う。親しい人であればあるほど、内向的な僕しか知らない。社交的であったり内向的であったり両方の面を見ている人は、二面性が強いと思っているかもしれない。もしくは気分によって差が激しいとか。

例えば、一度パーティーがあった。何のパーティーか忘れたが、会社の偉い人に誘われて参加することになった。バーを貸し切って行われ、会社の人間以外にもいろいろな人が来ていた。趣旨は全然覚えていないが、僕はたまたま隣りに座った全然知らない女の子と延々喋っていた。照明が暗くて顔もよく見えなかったが、僕はその場で完全に社交性の仮面を被っているため、どっかんどっかんボケ倒していた。誰かと席を替わることになり、また隣に座った女の子と延々喋っていた。大学生で、関西学院大学だったかな、この席は照明が明るく、その子は掘りの深い顔をしていることがわかった。もうすぐ就職活動が始まるらしい。僕は会社員だったから、何かアドバイスできるかもしれないとか言いながらその場でLINEを交換した。その後も延々と話し続けてボケ倒していた。

帰るとき途中まで見送り、その場にいた後輩に「あんな可愛い子とLINE交換してましたよね」と言われたが、それ、だけなんです。だって社交性の仮面被ってたから。2回ぐらいLINE送ったりはしたが、なんか本当に、普通に就職活動の話をしたような気がする。それで終わり。あの場は会社の偉いさんに誘われた場であり、社交性の仮面を被っていたけれど、その場だけ。なんというか、この落差。まるで二重人格。訳がわからないと思われていたかもしれない。今思い出すともったいないような気がしてきた。

仕事を辞めてから3年以上経つ。普段から独りで暗く押し黙っていると、もうあの社交性の仮面は失ってしまったんじゃないかと思えてくる。そしてときどきそういう場、社交性を問われるような場に出くわすと、さらっと仮面を被っている自分がいて驚く。あれ、きみ生きてたんだ、と思いながら社交性を持った僕の仮面は、口から次々と、まくしたてるように言葉を吐くのであった。