「マージナル・オペレーション」ネタバレ・感想・評価

最近読んだマンガ、マージナル・オペレーションがやばかった。原作はラノベ。こういう作品って日本だとドラマや映画ではなくマンガやラノベからしか生まれないっていうことを皮肉に感じる。ストーリーは会社が倒産してニートになった30の男アラタが、契約社員の面接を受けるところから始まる。会社は民間の軍事企業。入社テストはスイッチを押せるかどうか。

ネタバレ有りのあらすじ

主人公アラタは入社テストに合格すると、研修所へ移動となる。英語が公用語であり、勉強しながらリアルタイム戦略シュミレーションの研修が始まる。最初はパソコン画面上でイエス・ノーの2択を繰り返すことにより、戦況を有利に進めていく。次の段階ではマウスを使ってコマに支持を出し操作する。元々ゲーム好きでゲームの専門学校にも通っていたアラタは、戦略シュミレーションが得意でどんどんスコアを稼いでいく。

しかしある日「部隊からオペレーターにお礼を言いたい」と兵士たちが面会を希望してきた。アラタは戦略シュミレーション研修において、実戦を指揮していたことに気づく。その前の研修では反撃せず逃げ惑う的を撃破したり、クリックの指示に対してコマの動きにタイムラグが生じていたことがあり、自分の支持によって兵士が民間人を射殺していたことを認識する。

アラタはゲーム感覚で人を殺していたことに嘔吐し、寝込む。しかし軍事企業に来た時点でいつかはこうなることがわかっており、これを辞めてもニートで他にやることがないから研修に復帰する。

復帰後に好成績を叩き出したアラタは、現場へと派遣されることになる。国はタジキスタン。仕事はマウスクリックからインカムマイクによる音声で部隊へ直接指示する方式へ変わり、直に戦場と関わっていく。そこで指揮していた部隊は、周辺の村から人員協力として差し出されていた少年兵たちだった。

ゲーム感覚の戦争

アフガンにおいて画面の遠隔操作により人が死んでいくことに対して、アメリカ兵が心的外傷を負ったニュースがあった。

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こちらは主にドローンがテーマになっているが、このマンガの最初の衝撃はまさにこの「ゲーム感覚の戦争」との向き合い方だった。アラタはゲームだと思っていた画面の向こうに、生身の人間がいたことにショックを受けて思い悩む。そして復帰以降は兵士の生還率を重視し、無益な殺傷を避けるようにすることで一時はスコアを落とす。

僕らがゲームをするとき、それが戦略シミュレーションであれFPSであれRPGであれ、そこに生身の肉体があり、生命があり、人生があることなど想像しない。だからこそゲームを楽しめるのであって、練習に励んで好成績を得ることもある。その心理的ギャップが実戦に利用され「ゲーマーを軍隊に」みたいな話もあった。

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人を殺すリアルな感覚は、任務遂行の妨げになる。その先には、任務を放棄して逃げ出すか、精神が壊れつつも任務を遂行するか、生身の感覚を踏まえ被害をより最小限に任務を遂行するか、3つの分かれ道が存在する。良心の呵責というのは、誰かが損をして誰かが得をする一般的な仕事においても存在する。ときには競争して人を蹴落としたり、嘘騙しのような営業が嫌になって仕事に悩むこともある。しかしそれが戦場で、自分は死ぬことがない立場からマウスクリックで人の生き死にを操作するとなると、その心的負担はより強大なものとして自らにのしかかってくるだろう。想像もできない。

「少年兵」はアリなのか?

アラタは所属している会社が攻撃され、村の人質のような形で仕事を請け負うことになる。これまで指揮していた少年兵を用い、会社と村双方の被害が最小限になるよう作戦を遂行する。その後村から厄介払いされた少年兵を率いて組織を立ち上げ、傭兵部隊として独立する。

アラタは少年兵たちに、いずれは学校に通わせ、兵隊稼業を卒業して普通の生活に戻ってもらうため、彼らを匿う。しかし同時にアラタにできることは少年兵たちを指揮することだけであり、少年たちも今は戦闘しかできない。彼らを平和な形で社会復帰させるにはお金が必要で、傭兵業界では「子供使い」と呼ばれながら戦争稼業を請け負う。この矛盾、「子供にまともな生活をさせるため子供に戦争させる」という矛盾にアラタは悩まされ続ける。

この作品における少年兵は、日本のマンガ・アニメ的に描かれており、今までに見たニュースや映画などと違った印象を受ける。これは現実じゃないだろうと思いながら、現実を知らない。マンガの少年兵たちは生きるために戦闘を、殺人を厭わない。以前の部隊で弾除けのように扱われてきた状況から、人間として掬い上げてくれたアラタに感謝し、慕って付いていく。

彼らは果たして人殺しに抵抗を持たないのだろうか。「生きていくためにはこれしかできない」などと、そう簡単に割り切れるのだろうか。マンガにおいてアラタの葛藤は描かれているものの、少年兵の戦闘に対する認識は無邪気であり、もしかするとまだ他の世界を知らないからこそ、素直に受け入れているのかもしれない。

タイのスラムを訪れるアラタは、現地のクライアントに「臓器売買や売春に子供たちが犠牲になるぐらいだったら、あなたの部隊で雇ってほしい」と言われる。ここには既に子供を拉致して軍隊に売る組織も存在しており、そこを壊滅させた後に少しでも良識のあるアラタの部隊で、少年兵として育ててほしいという依頼だった。しかし中には、人を殺すより体を売るほうがマシと考える子供もいたんじゃないだろうか。

組織自体の子供の扱い方の差はあるだろう。アラタが戦争屋しかできないという選択肢の無さもある。それにしても生命を危険にさらして少年兵として戦う以外に、例えばしっかり管理の行き届いた売春宿みたいな別の方向性も考えられる。企業で子供を雇うと、児童労働だということでバッシングに遭うとこのマンガに出てくる。しかしその答えが少年兵に行き着くのはどうなんだろう。このマンガにおいては少年兵として雇うことしか成り立たないが、理想は少年兵でも売春でも児童労働でもない何か、仕事をする前に勉強して可能性を広げるのが子供の置かれるべき立場なんだろうけど。

どぎつい異国情緒

このマンガの魅力は、『ブラック・ラグーン』のようなどぎつい異国感にある。主人公アラタは日本で就職するが、そこでも英語がたくさん出てきてすぐに外国の研修所へ送られる。その後タジキスタンの支社に所属し、一度日本に返ってくるとまたタイへ移動して次にミャンマーと中国国境へ移動する。

僕らは日本に住んでいると、日本の現実の限られた範囲しか目にすることがない。このマンガにおいては30歳退職ニートという日本の身近な立場から、我々にとってある種ファンタジーとも言える外国の現実に飛び込んでいく。このマンガがどこまで現実に忠実かは知らないが、そこに広がっている世界にはリアリティがある。ゲーム感覚の戦争にしろ、少年兵にしろ、海の向こうではこういった現実が本当にあるのかもしれないと想起させられる。

差はあるにしても、ある程度は現実なんだろう。そういう認識を持つだけで、日本の中だけの現実、日本の中だけの常識から自らを解き放ち、現実に起こっている世界の様々な情勢について、意識を拡張する機会になるかもしれない。

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マンガはタイ編が終わったところまで

こちらは原作ラノベ