30代になってから彼女ができた

私はもう30代もなかばで、今さら彼女だの恋愛だのっていうことはないだろうと思っていた。前に彼女がいたのは会社員の頃、カナダに行く前だから2013年、5年前になる。当時はまだぎりぎり20代だった。

いくつになっても恋愛を楽しめる人は大勢いる。40代で新しく彼女ができた人の話も最近聞いた。その人は今でも実に若々しい恋愛をされている。恋愛に年齢は関係ないかもしれない。思えば僕自身は、若い頃からもともとそういう気質ではなかった。彼女いないのが当たり前、初めて付き合ったのは18歳の頃だったと思う。遅い。そして色恋沙汰に興味がない。

さて、最近の顛末。最近といっても今は外国にいるからその前の話。相手は日本人だ。結果的にうまくいった話なんだが、なぜそうなったのか、自分でもわからなくて困惑していた。後にそのことを相手と話し合い、見えてきたことがあったので、記録しておきたい。既にいい歳の大人である我々が、友達からうまく恋愛に結びついたパターン。惚気ではないが、このたびたまたま相手が良く、運が良かった。

彼女のスペック

増田的に彼女のスペックを表示しておこう。

年上

具体的な明記は避けるが、向こうもover 30であり年上である。と言ってもほとんど変わらない同世代だ。出身も関西同士で話が合いやすいという土台はある。年齢について、僕自身はあまりこだわりがない。子供と老人でなければ、というぐらい。

仕事

年収とかは知らないが、我々の年代ともなるともう一人で十分やっていける仕事をされている。人を頼らなくていい人は強い。しかし経済的な水準で言うと全く合わない。僕はお金がなく、使わなくてもいい派で、向こうはお金があり、快適さのために使う派。

関係性

彼女は前の職場のお客さんだった。それは僕が関係性を進めないブレーキとして大きく作用していた。人はよく出会いがないと口にするが、問題は出会いそのものではなくその場の関係性だろう。人は日常的に誰かと出会っており、その場でどういった関係性を築き、進めていくかだけが重要だ。出会いではない。

よく遊んでいた

知り合ったのは去年で、ここ一年の間よく遊ぶ間柄だった。遊ぶと言っても男女の遊びではなく、恋愛や性欲を意識したことはなかった。映画を見に行ったり、お酒を飲んだり、登山したり花火に行ったり、USJ(ユニバ)に行ったり旅行したり。いつも二人で行動していたわけではない。何人かで過ごしていた。

1年という短い期間に、このような機会をたくさん持てた事自体がレアだった。偶然お互いの都合が合ったことと、相手の人がたまたまなんでも参加してくれる人だったことが大きい。しかし、そのうちの半分ぐらいは僕自身が提案している。もともとそういう機会があっても参加しない方だったが、自ら遊ぶ機会を積極的に作ろうとしていた。なぜか。楽しかったし、一緒にいたかったのだろう。

最初は知人が定期的に開いているバーのイベントだった。彼女と共通の友達が行くことになっており、ちょうどその場にいた僕が「一緒に行きますか?」と誘われた。僕は軽い気持ちで乗っかった。当時の僕らはときどき話す間柄ではあったが、プライベートの時間に外で一緒にいることは一度もなかった。バーの途中まで二人で向かった。

そのとき僕にとって感動的だったのは、もともと仕事上の付き合いしかなかった二人が外に出て遊ぶようになり、プライベートな友達関係になるという変化の瞬間を意識したことだった。それをしきりに伝えようとしたが、あまり理解されなかった。それどころか「日常的にある」と言われた。彼女は共感性が高く、人に好かれやすい人で、後々知ったことだが「人たらし」とまで呼ばれていた。彼女にとって人間関係の好転や推移は日常だった。

バーのイベントに一緒に行った組と、その場で映画を見る約束をした。僕自身が乗りと勢いで提案したことだから、実現されないと思っていた。しかし約束の日は現実に訪れた。今は閉館中の京都みなみ会館で、ホドロフスキー監督の「エンドレス・ポエトリー」を見に行った。実に衝撃的な映画で、こんな機会でもないと見ないタイプのものであり、見終わってからも食事をしながら映画について語り合った。これをきっかけに、その後も何度か映画を見る機会が続いた。次に見たのは出町座でバーフバリの5時間2本立て。しかし前回からは2ヶ月経っていた。その間に顔を合わせたり、メッセージのやりとりは行っていたが、プライベートで会うのは久しぶりだった。そのときにまた、次回の予定を決めていたように思う。そうやって何度か誘ったり、誘われたりという機会が続いた。全くの二人で会う機会というのは、今まで数えるほどしかない。完全に友達としての間柄だった。

転機

変化はいつ頃からあったのだろう。「いつの間にか付き合う関係になってました」などということはまったくない。明確なきっかけがあった。それは、僕が今外国にいることだ。外国へ行くことが確定し、前の仕事を辞めることになった。しかし、何もそこから急接近したわけではない。つい最近まで僕は男性として見られていなかったし、僕らはただの友達だった。

それでは、僕が外国へ行くことが決まり、前の職場を辞めることで何がどう変わったのか。それまで僕らはときどき集まって映画を見たり食事をしたりしていた。それがもうあと数ヶ月で終わる。ということで、今まで2ヶ月に1回ほどしかなかった遊ぶ機会は、急激に増えることになった。月に何度も会うようになり、今までは映画を見ていただけだったのが、カラオケに行くようになり、気になった店へ行ったり、花火を見に行ったり、何かと行動を共にするようになった。

それだけでは何も変わらない。行動を共にするだけでは。僕は彼女と二人で、個人的に、密に会話をする機会を持った。初めは拒否されそうになったが、なんだろう、予め何を話すかということを伝えていたら、なんとか了解してもらった。それからは特に警戒されることもなく、何度かそういう機会が続いた。これは特にデートとかそういう意識はなく、ただの友達同士、二人で飲んでいるだけだった。

僕らはお互いのことをよく知るようになった。彼女は自分のことを、何から何まで包み隠さず、話しすぎるぐらいに話してしまう人だった。僕はそういう話を聞くと、一方的なのは公平ではない気がして自分の話をするようになった。彼女は自分の話だけ聞いてもらえればいいわけではなく、僕の話に興味を持って聞いてくれた。

そのうち彼女のことばかり考える日が続くようになった。次は何を聞こうか。前に話していたあれはどういう意味だったのか。純粋に興味もあり、なおかつ話をすること自体が楽しくなっていた。これは非常にまずいと思った。

僕はこれまでの会話の中から、彼女が自分を男性として見ていないことを知っていた。だからこの友人関係を大切にしていた。しかし僕の中で膨らんでいく彼女への感情は、既に度を越していた。今までの関係を維持するために、これ以上彼女にのめり込まないようになんとか自分を抑え込んでいた。一度、今の自分の状態を告げようかと考えたことがあった。しかし、その行動は意味がないどころか、やはり今の関係を壊すだけの悪手であることが目に見えていたため、なんとか実行に移さないで済んだ。そのまま、僕らは友達同士として良い関係のまま日々を過ごし、僕が日本を離れる日は着々と迫っていた。

どうやって実を結んだか

僕自身はだんだんと開き直るようになった。普段の、日常の勢いのまま、相手に好意を伝えるようになっていた。僕が彼女に好意を抱いていることは、誰の目から見ても明確だったと思う。人に聞かれても答えていた。しかしそれは付き合いたいといったものではなく、もっとオープンな、半ばファンのような好意の表明であった。変な言い方だが、好意を向けられた相手が嫌な気にならないよう、爽やかな好意の表明に努めていた。

僕の彼女に対する意思は十分に伝わっていた。そのうえで、僕は彼女と友達関係に徹していた。そうすることが自分にも相手にもベストだと判断していた。僕は好意を示しながらも、自分の男性性を相手に向けることは一切なかった。あくまでも友人として、残された日本での日々を一緒に過ごしていた。それは実に幸福な時間であり、同時にとてつもなくつらい時間でもあった。

この友人関係でさえも、今僕らがどれだけ親しく過ごしていようとも、次に僕が日本に帰ってくる頃には過去のものになっているだろう。次に僕が日本に帰ってきたとき、僕らは過去の友人でしかなく、彼女はあの頃一方的に好意を抱いていた相手でしかなくなっている。離れて過ごしている間にそれぞれの人生を歩み、お互いの距離は離れていってしまう。それが実に惜しいことだと感じていた。そしてそれは、僕だけでなく彼女も僕に対して感じてくれていたようだ。

僕ではなく、彼女の意識に変化が訪れた。僕が彼女に興味を持ち、話を訊き、好意を抱き、表明し続けていたことによって、彼女は満たされている部分があったようだ。それ以外にも、顔を合わせて何時間も話し合う機会をもっているうちに、僕の人間性の中で良いと思ってもらえる部分が見えてきたらしい。それは僕の道徳観や倫理観であったり、個人的な思想や生き方の根本の部分だった。同じことを繰り返し伝え続けているうちに、一言で言えば、僕の人格が信用されるようになってきていた。

僕が日本を離れる前の、最後に会う機会。彼女の中には、僕を受け入れるべきかどうかという葛藤があったそうな。僕はただ別れを惜しんでいた。もう後はない。ただ今の自分の心境を、いかにつらいものであるか説明していた。すると、彼女の方から手が差し伸べられた。自分もこのままこの関係が終わってしまうのはつらいと。そうやって僕らの関係は実を結んだ。

何処に惹かれたか

実を言うと、僕自身は恋愛感情がなんたるかをよくわかっていないところがある。だから、彼女を女性として意識しだしたのがいつからなのか、具体的にはわからない。自分が外国に行くことが転機となったとは書いたとおりだが、それからもずっと友達として見ていたような気はするし、知り合った当初から人としてずっと興味をいだき、尊敬していた。

女性としての魅力とは一体なんだろうか。僕の場合、誰かと付き合いたいとか結婚したいというふうには思わない。なおかつ自らの性欲に結びつけると関係をうまく維持する自信がないため、なるべく意識しないようにしている。だから彼女が女性としてどうか、という点については自分にとって最重要ポイントではなかった。見た目も好きではあるが。

では、自分が最も惹かれた点は一体何だったかというと、相手のおもしろさだった。おもしろさであり、かっこよさであり、多様性であり、頭の良さであった。憧れに近い。彼女は作品を作ることを生業にしている。僕はまず、その作品に魅了された。彼女に作品についての感想を伝え、作品について根掘り葉掘り訊きあさった。そういう態度を受け入れてくれる人だったから、僕と彼女は作品について多くのことを語り合った。作品がまず彼女に関心を抱くきっかけであり、大本の理由だった。

作品は、彼女を具現化していた。彼女自身からもたらされる表現の結晶だった。作品に魅了された僕は、その源泉となる彼女に興味を抱くこととなった。さいわいなことにいろんな話を聞ける立場にいたため、作品の背景や彼女自身の気持ちなど、ありとあらゆることを聞いた。作品は作品としておもしろかったが、彼女は彼女自身として、とても興味深い人だった。僕は作品とは別に、彼女自身にのめり込んだ。

「そんなに興味持ってくれる人は他にいない」と言われたが、僕自身はそのことが不思議でしょうがなかった。こんなにおもしろい人がいて、何でも答えてくれる。なぜ他の人は放っておくのだろう?僕の仮説はまず、話ができる距離にいないこと。これが一番大きい。では身近にいた場合になぜ放っておくのか。作品と彼女の魅力に気づいていないからだ。その2つが揃えば誰だって彼女に興味を抱く。それがたまたまそのタイミングでは僕しかいなかった。それは僕にとって、実に幸運なことだった。競争相手がいないなかで、僕一人だけ奔走していた。彼女に言わせれば、後にも先にも僕しかいなかったそうだが、そんなことはないだろう。

実は結んだものの

今は超遠距離である。1万キロ以上離れており、全く会うことがかなわない。果たしてこれが実を結んだと言えるのか。帰国するまで今の関係性を維持できるのか。不安でしょうがないところはある。お互い自分の気持が変わらないことには自信があるものの、相手の気持をつなぎとめておく自信はない。今はなんとか、耐え忍ぶだけの日々を送っている。

ただ漫然と日々を過ごし、帰国の日を待っているのはつらい。だから僕らは、こうやって離れている間にもお互いの距離を詰めようと努力している。帰る頃にも今の関係を維持する、のではなく、今以上の関係ができあがっているように、着々と話をすすめている。そのうち具体的な準備にも取り掛かるだろう。ブルーバレンタインを迎えないために!