「女好き」と呼ばれて

少し前に「川添くん女好きやしな」と言われたことがあった。女好き?この俺が?数えるぐらいしか彼女いたことがなく、5年とかいなくても平気で、店にも行かないこの俺が、女好きですと?耳を疑った。確かに僕はストレートではあるが、女好きという呼称はいささか過剰ではないだろうか。女好きと言うからにはプレイボーイのイメージが思い浮かぶではないか。そんな印象から僕は程遠いと思うんだけど、彼女からはそう見えていたのだろうか。それはないだろう。

彼女は何をもって、僕を女好きなどと呼んだのか。そう、彼女、僕をそう呼んだその人も女性だ。少し思い当たるフシがあるのは、僕が女の人のほうが話しやすいと思っているため、女の人と接点を持つことが多いから、それで僕を女好きなどと呼んでいるのではないだろうか。それにしても「女好き」という言葉の響きには、必ずと言っていいほど女遊びの意味合いが含まれている。女の人と話したり遊んでいることはあってもそんなことはしていないから、女好きという呼び方は誇張だろう。誤解の元だから訂正してほしい。

ついでに、何故女の人のほうが話しやすいのか。それは多分男女の違いという前提があるからだ。男同士、女同士だと同じものとして見がちだが、男女となると、相手のことがわからない前提が生まれる。男とはこういうもの、女とはこういうものという知識があったところで、男女の間には大きな理解の溝があると勝手に思っている。それが僕にとってはかえって好都合となる。常識、考え方に大きな違いがあったって男女なんだから当たり前と誤魔化せる。向こうは「こんな男性もいるんだ」と受け入れてくれやすい。違いを気にせず気兼ねなく話せる。これが同性となるとそうはいかない。

あと男性同士だと、けっこう言葉に詰まることが多い。これ以上何をはなしていいかわからなくなる。同性と話したほうが楽しくて盛り上がるのは、たいてい趣味か仕事の話。何か特定の物事について話すのは同性の方が話が弾む。同性の方が嗜好が近く、視点も近いから共通点が見つけやすいからだろうか。ということは、共通点のある特定の物事について話すなら同性が適しているらしい。

それでは異性と話すのに適している話題は。それは相手のことを聞いたり、自分のことを話したりする場合だ。男性を相手にして自分の話などされても「オメーのことなんか知ったこっちゃねーよ」と思ってしまうだろう。それが女性であれば真剣に話を聞こうと思ってしまう。そういうところが女好きなのだろうか。いや、俺男性の自分語りも全然聞いてるよ。聞いてるし、女性の自分語りが「退屈だなー」と思うことだっていくらでもある。やっぱり女好きという呼称は言いがかりだ。

女の人に声をかけることが多いか。どうだろう、やはり女の人のほうが気軽に声はかけやすい。なんでだ。多分何も考えなくていいからだ。男性と話すときには特定の何かについて話さないといけないという前提ができあがっているからかもしれない。女の人にはただなんとなく声をかければいいだけのような気がする。そして反応が嬉しい。これは女性同士でも同じではないだろうか。男性に反応されても嬉しくない。

声を掛けるといっても口説くとかナンパするって意味ではない。ただ一言発するだけ。思い返せば、やはり女の人にばかり積極的に関わりに行ってるような気がしてきた。これは果たして女好きと呼ばれても仕方がないのだろうか。常に相手を探し回っているとかそういうことはで全くないんだけどな。でも女好きも案外そんなもんなのかもしれない。