同じことばかり

Web日記に同じことばかり堂々巡りに書いているのは、自分がいかに同じことを考えては忘れ、を繰り返しているかを表している。

多様性、自分たちと違う考え方、価値観を認めようみたいな話の限界は、ストレスにある。自分たちと違う存在を認めるのは平気だ。自分たちと異なる信条を持つ集団同士だって、共存できる。しかし結局人間集団は、思想や価値観を同じ者同士が群れかたまる。互いに認めったり、共存はできたとしても、混ざりあうことは難しい。なぜかというと、一方にとっての正義がもう一方の悪であり、悪が正義だから。

例えば礼儀作法が違う。この国では失礼なことが、他の国では礼儀作法として奨励される。自分の文化圏で失礼なことでも、他国では積極的に行っていかなければならない。たとえ相手が喜ぶことであっても、自分がやられて嫌なことを相手に行うのはストレスが生じる。それが蕎麦をすするとか慣れ程度で済まさせるものならいいが、決定的に相容れないこと、それは信条や習慣に限ったことではなく、食べ物の好き嫌いなんかでもそうだが、人間同士の間で決定的に相容れないことがあれば溝ができ、お互い干渉しないではいさようならとなったら平和な方だ。

結局人間関係は、ある程度の同質性の中でしか成立しない、同質性を強く求めるたぐいのものなんだろう。わからない者同士の関係は、ある程度以上になってくると破綻をきたす恐れがある。

初夏だというのに頭が痛い。何でもかんでも太郎をつけて呼んでしまうクセがあり、猫を猫太郎と読んでいたら「なんで?」と聞かれ、かつて一世を風靡したピコ太郎と語感が似ているからと答えた。今頃何やってるのだろう。麻生太郎はずっと麻 生太郎と呼ばれていたからその界隈では常識だと思っていたことが、おもてでは通じない。生太郎はテレビでいつも怒ってるなー。安部嫌いの人のヒステリーは本当になんなのだろう。殴られたとか直接実害を受けたならわからんでもない。

最近外ばかり歩く日が続いており、久しぶりに自転車に乗ったら息切れして酸欠になり吐きそうになった。頭も痛いから尚更だ。ベストシーズン5月説、北半球だと割とどこでもそうなんじゃないか、そんなことないよな。暖かくなってきました。外に出るのは今のうちに。花見とか寒くてたまらないし、基本的には表に出ない4月を乗り越えた。6月には雨が降り、7月は灼熱の大地が。

テレビの話ばかり。しかし頭の中はすっきりしない。初夏だというのに。布団の中でのたうちまわぅねいる。不穏です不確かなアタマを抱えている。乾いている。鼻腔も乾いている。