世界観フェチであるという話

昔、小学生の頃、ドラクエ4コマ漫画をたくさん買っていた。ドラクエ4コマ漫画とは、ドラクエの設定を元に駆け出しの漫画家たちが自由な発想でギャグだったりコメディの4コマ漫画を描き、一冊の本にまとめたものだ。アンソロジーというのだろうか。何冊も出ていた。何冊も買っていた。一冊700円とかしたから、小学生時分にいったいいくら費やしたことだろう。

その漫画というのが、あまりおもしろくないのだ。大半はつまらないとさえ言っていい。ドラクエネタという内輪ネタに特化しておきながら、なおかつつまらないんだからギャグ漫画として致命的だ。なぜそんなものを何冊も、せっせと買い漁っていたのか。そういう人は僕以外にもいたし、大抵はみんな漫画がおもしろいからではなく、ドラクエが好きで集めていた。

僕はドラクエの世界観が好きだった。鳥山絵でメラやホイミやスライム、ロト、天空。ドラクエの世界観は唯一無二で徹底している。ドラクエと言えばこう、という軸がブレない。その確固たる別世界、一定のルール内で繰り広げられる冒険活劇が好きだった。ゲームだけに飽き足らず、僕はドラクエ4コマを買っていた。ゲームのドラクエで体験した世界観をベースに、拡張された2次創作であるドラクエ4コマ。そこは元の世界観に忠実で、できあがった設定の中で別の物語が繰り広げられていた。まるでゲームの続きをプレイしている気分だった。

ぼくがあまりおもしろくもないドラクエ4コマにせっせとお金をつぎ込んでいたのは、世界観の拡張にあった。ドラクエが広がるなら何でもよし。4コマ漫画に、というよりはドラクエの世界観に金を払っていた。ドラクエという世界観をより広く、長く楽しみたかった。

世界観フェチなのです。キャラクターよりも物語よりも展開よりも世界観。登場人物が活躍する舞台で、あれこれ遊べることを考えるほうが楽しく感じてしまう。アキラの金田がどうこうよりもネオトーキョーを観光したいとか春木屋行きたいとか思う。大東京帝国での生活を想像する。その場所に居たら楽しい、そういう世界が描けている作品を好む。ブレードランナーもその典型例。行ってみたい場所、生活してみたい場所がそこにある。

世界観がしっかりできあがっているかどうかは、設定にかかってくる。舞台設定がどれだけ細かく忠実で、リアリティがあるか。そこに存在する別世界として生活感を感じ取れるか。そこで独自に生きる人たちが描かれているか。ベースの世界観がしっかりできあがっていると、二次創作も生まれやすい。ドラクエにおけるロトの紋章やダイの大冒険、ガンダムにおける08小隊や0080などといった外伝、スター・ウォーズのローグ・ワン、メインを外れた新たな物語の中にも、根付いた世界観が活きている。だからゲームでも漫画でも小説でもしっかりとした世界観が構築された作品に触れたい。触れて埋没する妄想をしたい。現実と地続きであるか否かは問わない。おもしろければいい。