5.18

人が真面目に生きている姿を見ると、応援したくなる反面、後ろめたい気持ちでいっぱいになりますね。人生と、世界と向き合って、よく頑張ってるなーと。私は全然なんでね、なんか申し訳ございません。さっきも中国で働いている知り合いのnoteを読んで、世の中を前に進めているなーと感心していた。だからといって自分も何か世の中を良くするために前向きに頑張ろうなんてことはこれっぽっちも思わないんだけど、さすがに多少引け目を感じるというか、そういうことってよくある。

僕は所詮自分としか向き合ってこなかった人間なんで、これからもそうだと自負しております。自分の欲望を満たすために人を犠牲にして悪いことをしてる、っていうほどではないんだけど、世のため人のためとか、できない。「人が喜んでくれると嬉しい」ってよく言うけど、自分にはそれが無いなー。他人が喜ぼうが悲しもうがどうでもいい。でも「人が喜ぶから」とかではなく、自らのライフワークとして世の中の重要な仕事を全うしている人もいて、何を言っても言い訳にしかならない。所詮僕は自分の世界にしか興味がない。

だから、すごいなーと尊敬しつつも、感化されることなくこれからものんびり暮らすのだと思う。何にコミットするわけでもはなく、せいぜい身の回りのことだけを考えて、前に進むことのない平凡な毎日を過ごす。今は安定しているから、後退することはあるかもしれない。自分の世界を生きるという意味では、もしかするとそれなりにコミットしてきたほうなのかもしれない。ただ世の中に対しては全く、何も。世界のことはあなた方に任せた。

個人にはそういう、公や社会のために尽くす義務なんて、無いと思う。市民としての責務、シティズンシップみたいなことから、僕は外れて生きてきたのではないか。もちろん制度上は十分恩恵を受けており、制度上の義務は果たしている。罰せられるから。でもそれ以上のもんはなんもねえっす。むしろ存在を無視されてきたんじゃないかなー。嫌なことしかなかった。

人と人との関係の中では、持ちつ持たれつ良くしていこうという気持ちはある。けれどそれが組織、公となってくると、呪いこそあれど報いる気持ちはこれっぽっちも浮かんでこない。だからなおさら、世の中をよくする動きをしている人を見ると、感心するわけです。自分はあーはなれないなと。