2024.1.14

不安というのは所詮気の持ちようで、現実の不安要素をどう捉えるかによる。実際にどれぐらい危険かということと、それをどれぐらい不安に感じているかには、解離がある。「どうすべきか」という基準も答えも存在しない。

お金、健康、孤独への不安について、どれだけの恐怖に苛まれるか。それとも楽観的でいられるかは、自分次第というところがある。僕自身は何もキャリアを積み上げてこなかったから、自信の根拠が乏しく、地に足付いた楽観的になれる要素はない。自分の現状は自分の何に根ざしたものでもないから、ある意味不安を抱えていて当然と言える。明日がどう転ぶかわからない。

その反面、日本に生まれ育った日本人というだけで、ある程度どうにかなる部分も大きい。日本語や四則計算ができて、基礎教育を受けていて、多くを望まなければ求人もある、生活保護もある。社会保障がままならない国や地域に生まれ育った場合と比べたら、あってないような不安かもしれない。自分よりも何も持っていない人が、楽観的であることはよくある。

麻薬を売って生計を立てている人たちは、中には一攫千金を夢見ている人もいるかもしれないけど、仕事が無さすぎたり賃金が低すぎたりして、生きていくギリギリのお金を稼ぐためにやっていることもある。地縁がないとか、それしかできないということもあるかもしれない。日本でも社会保険料の高騰や、賃金格差の拡大などにより、普通に生きているだけではまともな生活が送れないこともあるのか。どうなんだろう、どこまでその現実が見えているのか。ハスラーとかハスリングっていう言葉が、アメリカ人ラッパーの真似事ではなく日本社会の現実としてあることは、僕はあまり知らない。

写真は2023年、岐阜県。