壁を這うパイプを撮りたかった。雑な作りだなあ
続きを読む『攻殻機動隊』を初めて見たのは、映画『マトリックス』が公開された頃だから1999年になる。当時マトリックスはめちゃくちゃ騒がれていた。そんなマトリックスが、日本のアニメに影響を受けて作られたと知る。オープニングシーンなんかはまるまるパクリというかオマージュになっている。そのアニメというのが『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』だった。監督は押井守、『ビューティフル・ドリーマー』で有名な人らしい。押井守については名前も知らず、ビューティフル・ドリーマーも見たことがない。結局マトリックスを見た後に攻殻機動隊を見た。映像はすごいし、サイバーパンクの世界観はかっこいい(もっと前にアキラを見ていた)。でも映画そのものは、当時高校生だった僕にはわけわからなかった。
攻殻機動隊は日本ではヒットしなかったが、アメリカではセルビデオが100万本売れたらしい。ビルボードランキング1位を取ったそうな。何じゃそりゃ一体。アメリカで受けたのはサイバーパンクの前進である『ブレードランナー』が人気だったことや、『アキラ』の影響もあったのかもしれない。攻殻機動隊はインターネットがある世界をベースにした設定である。映画が公開されたのは1995年で、アメリカにおいては既にWindows95を中心にネットが普及していたから、入りやすかったという意見もある。それにしても難しい映画だった。ネットや近未来の世界観において、「人間とは、自己とはなんぞや」という問いかけが物語の主題になっている。
底辺文化系トークラジオ「29歳までの地図」を聞いて、映画『リンダリンダリンダ』を見た。
映画の内容をネタバレしているため、映画を見る人はあとから聞いたほうがいい
軽音部が高校の文化祭でブルーハーツの「リンダリンダ」を歌うだけ、というシンプルな映画だ。起承転結を明確に描くというより、邦画にありがちなゆったりとした情景の中に変化を混ぜながらそのままクライマックスまで持っていく。
続きを読むはてなブックマークを作った人が話題になっているが、それはともかく、モテや恋愛にまつわる自分のエントリーを読み返していて、抜け落ちている部分を補完する意味で、セックスについての態度を思い返してみたいと思う。
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一風堂に群がる外国人を撮ろうとしたら偶然前を横切ったジイさん。ジイさんの口から出てきたミニチュアっぽい
3人グループを先導する白人のオッサン。ではないが、たまたまそういう構図になった。彼ら3人が何友達でどこへ向かっているのか想像する。
こちらも浴衣のご一行様。群衆をかき分けどこへ向かっているのか、奥の鉾も含めてロープて繋がった犬の散歩っぽい。
前回の続き
4日目は15時50分発の飛行機に乗る。空港には14時ぐらいに着いておけばいいだろう。帰るにあたりカバンに荷物を詰め、軽く掃除を済ませ、宿泊先を出た。今日も暑い。速やかにバスに乗り、佐敦(ジョーダン)駅を目指す。
バスで直接空港へ向かうことも可能だが、現金がないため駅でオクトパスカードを返却し、デポジットを返してもらわなければいけない。オクトパスカードの返却はおそらくどの地下鉄駅でも受け付けている。改札にある窓口で「Refund(リファンド)したい」と言ってカードを渡せば即座に手続きしてくれる。
現金を手にしたが、空港に行くにはまだ早すぎると思い、佐敦(ジョーダン)駅の周辺をブラブラする。そう言えばお土産を買ってなかったなあと思い、Welcomeスーパーに入った。鴛鴦茶を買おうと思ったが売っておらず、普通のミルクティーを買ってしまった。他に定番お菓子としてPOP PANのネギ塩味を買う。これで空港へのバス代を除いた現金はほぼ使い果たした。あとはバスに乗って空港へ行き、帰るだけ。
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続きを読む後は野となれ山となれ、えいやーっと引退したのは30歳だった。あれから4年、まだ生きてるなあ。
生きることはすなわち死と隣り合わせであり、生まれ落ちたはいいが何も持ち合わせていなかったため、死に向かう過程の餓えや貧困に伴う痛みという感覚を恐れて、ほどほどに勉強したり就職したり、いわゆる社会参加に勤しんできただけの30年であった。それは恐怖だけを動機としていたからか、心の何処かにどうでもいいという正直な気持ちを秘めていたせいか、結局うまく回らずに、引退という選択を余儀なくされた。反発があったのだろう。拒絶があったのだろう。かといって死に伴う恐怖に抗えるようになったわけではないが、生きるにあたって保証のようなものを求めるのことはあきらめた。やっぱり無理だなって。社会参加から引退した30歳。その後、やり残したことを消化した数年。それも終わった。今は特に、手元には何も残っていなくて、頭の中も空っぽだ。恐怖がないと言えば嘘になるが、真っ向から立ち向かう気力はない。もういつ死んでもいいし、いつ死ななくてもいい。どうでもいい。
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最近お酒とタバコの量が増えてきて、軽く中毒のようになっている。体調はあまりよくなく、お金もかかりなんとかしたいと思った。しかし禁酒禁煙なんて非現実的だ。そこまでひどいわけでもなければ、お酒は付き合いもあってやめることもできない。それに、ドーパミンである。ドーパミン中毒に陥っているなら、抜け出すのは並大抵のことではない。それが生活習慣と化してしまっているなら尚更。
7月26日発売だそうだ。コレクターズ・エディションが12,000円というとんでもない値段だけど、そこに手を出す人は限られているだろう。映画館でもグッズとかあまり売れなかったって言うし。普通のDVDは3,800円、ブルーレイは4,800円だからそっちで十分かと思います。
『君の名は。』はあれがおもしろかったと思った人なら、もう一度見たい仕組みになっている。実際中高生を中心に何度も映画館へ足を運んだリピーターが多かった。だから劇場で見た人もスタンダード版DVDぐらい買うんじゃないだろうか。
他人のことなんて気にしなくていい、とは言うものの、他人と関わっていれば観点や常識の差異に戸惑う。それぞれ当たり前と思うものが違い、大事なものが違う。問題なのは違うことではなく、違うということが認識できていないこと。聞かされないとわからないのに、わからないことをさも当たり前に大切かのように人は言う。だって本人にとっては当たり前で大切だから、言うまでもないと思っている。そして、人の当たり前や大事なものを目のあたりにするたび面食らう。「そんなどうでもいいことが大事だったの?知らなかった」って。でもやっぱり僕にとってはどうでもいいし、めんどくさいから理由までは聞かない。理解しようとは思わない。
続きを読む買ってまだ3回ぐらいしか飛ばしておらず、撮影なんて一度もやっていないのにどこかへ飛び去っていってしまった。
いつものように公園で飛ばすのではなく、もっと人が少ないところを目指して河原へ来ていた。それが一番の間違いだった。最初のうちは地面の草が絡まり、ジャイロがうまく回らなかった。草がない場所へ動かし、いざ浮上の操作をすると僕の斜め後ろめがけて一目散に飛び去っていく。まるでその方向に惹かれる何かがあるみたいに。僕は急停止させ、歩いて取りに行き、また元の位置に戻した。
今度は急停止ではなくリモコン操作で元の位置へ戻してみよう。再び浮上の操作をする。ドローンは再び僕の斜め後ろめがけて飛び去っていく。方向転換の操作。するとドローンはさらに奥へと向かって飛び去っていく。もう川の上だ。まずい、このまま川を渡りきってしまうと一般道に出てしまう。反射的に僕は急停止スイッチを押した。ドローンの姿は見えなくなった。
やってしまった。僕は慌てて橋の方へ向かい、対岸へ渡ってドローンが飛んでいった辺りを探した。このあたりは草ぼうぼうだったり、もしくは川の水が流れているためドローンらしきものは何も見えない。せめて録画でもしていれば。ベンチに座っているおっさんに「ドローン飛んできませんでしたか?」と聞くのもはばかられ、捜索は断念した。ドローンは草の中に埋もれているか、着水して流されてしまったか、もしくは今もどこか上空をさまよっていることだろう。
操縦難しすぎる。サイトを見回っていたら最初は小型のもので練習したほうがいいと書かれていた。
「海外」っていう言い方は「外国」よりも一般的だが、僕はなるべく「外国」を使うようにしている。なぜかというと「海外」という表現が通じないことが多かったからだ。外国人と話していると「海外?海の向こう?なにそれ?」と言われる。なぜかというと、彼らにとって「海外」なんていう言葉は一般的ではないからだ。国と国は陸で繋がっており、国と国を隔てるのは国境でしかない。ましてや海に面していない国もたくさんある。内陸国の人にとって海外なんていう言葉は、どこか別世界の言葉のように思えるだろう。「海外?海の向こう?なにそれ?」である。
日本は島国だから、海外と言えば外国を指す。まさか海外と言って沖縄を意味することはないだろう。北海道沖縄あたりを区別するとしたら、内地、外地あたりの言葉だろうか。海外と言えばやはり外国であり、海外という言葉は海岸線が国境に相当する島国特有の表現に過ぎない。イギリスはどうか。イギリス連邦には4つの国があり、国境もある。イギリスで海外という言葉が一般的かどうかは知らない。イギリス人の友達はいない。オーストラリアはどうか、フィリピンはどうか、台湾は、島国なんて数えればいくらでもある。そこで彼らが「海外」なんて表現を用いているかどうか。そもそも「海外」は日本語だから、いわゆる「海の向こう」=「外国」的な認識を持っているかというと、おそらく持っているだろう。
だから日本独特とはいえ、日本だけ、ではない。おそらく。しかし、島国の人間以外に「海外」は通用しない。海を隔てた向こうにある別世界、という意味合いの強い「海外」という言葉は、内側である島とそれ以外を隔てる言葉である。島国の人間にとっては島こそが世界であり、島の外は別世界であるという認識が「海外」という表現に込められている。事実そうではなかろうか?陸続きの国々と同様に、隣の国を身近に感じているだろうか。所詮海の向こうの出来事だと思っている。言ってしまえば、外国という言葉もそうだ。海に関わっていないだけで、他国、ではなく外国なのだ。内と外だ。外の世界は、内の世界と隔てられている。そのような意識は根強い。その境界が絶対になくならない海ということで「海外」は尚更強い。
結局は、外国という言葉を使ったところで同じなんだ。我々は国を、内と外で分け隔てている。外の世界は自分とは関わりのない、ファンタジー世界のように半ば考えている。foreignという言葉は日本以外であまり耳にしなかった。よく外国人が、日本に来ると"alien(エイリアン=外国人の意味もある)"の扱いを受けると嘆いている。これがヨーロッパや東南アジア、南米、アフリカで暮らしていれば全然違っただろう。また、イギリス人に比べると、同じ島国の日本人はほとんど国外へ出ない。アメリカも多くの人はアメリカから出ないと言われ、アメリカ人はアメリカ=世界と思っているかもしれないが、アメリカに入ってくる人はたくさんいる。ビジネスであれ移民であれ、世界中からたくさん。日本とは規模も事情も違う。だからといって海外あらため他国、なんてい言われてもピンとこないな。