「ねじまき鳥クロニクル」感想・書評

ねじまき鳥クロニクルは村上春樹の最高傑作だという風に言われていることが多かった。どこでそういう評判を聞いたかは忘れたけれど、僕はずっと気になったまま読んでいなかった。この本は外国人に人気があった。外国人が村上春樹の本を指す時、大抵は何故かねじまき鳥クロニクルを指していた。それが何故なのかも知らないけれど、トロントニアンの友人も僕に対してねじまき鳥クロニクルを勧めてきたし、モントリオールに住むPodcast配信者も村上春樹のねじまき鳥クロニクルを勧めていた。「それはどんなスタイルの本なの?」と聞かれて彼はこう答えていた。

"it’s a kind of this magical realism, it’s a kind of drama but there is a lot of almost sci-fi elements too, it’s just a real interesting adventure and, it’s a great story"

何じゃそりゃという感じだ。それを聞いた人も"sounds very exciting "と返答していた。そう答えるしかないだろう。とにかく何故か、ねじまき鳥クロニクルは外国人に人気があるという印象だ。もしかすると、正義と悪みたいなものを明確に打ち出した二元論的な要素が好評なのかもしれない。

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物語について

この本は上中下の3巻であり、結構長い。でもいつもの村上春樹の小説と同じで長さを感じさせないものだった。僕は4日ぐらいかけて読み、長くて読むのが苦痛ということはなかった。内容はいつにも増して壮大に手広く扱っているように思う。たくさんの登場人物と、それぞれの人生を辿るような詳細な話、ファンタジーをベースにしているにもかかわらず、珍しく歴史に絡んだ物語。今まで読んだ作品には少なかった暴力的な描写も数多く見て取れた。また、この作品中の一節は、彼が原発事故に関してカタルーニャ賞受賞の際に述べたスピーチの内容と一部重なっていた。物語の中において、彼自身の考え方のようなものがふんだんに盛り込まれている。それは何もこの小説に限った話ではないだろうが、彼の言う総合小説というのはもしかするとこのねじまき鳥クロニクルが一番近いのではないだろうか。

日常と非日常

他の作品と比べて、日常と非日常の境界が意識的に強調されて描かれた物語だった。初めからファンタジーというわけではなく、なんとなくファンタジーに入っていくというわけでもなく、最後までリアリズム小説というわけでもない。ここから先は非日常、主人公はその境界を明確に意識しながら日常と非日常を行ったり来たりせざるを得ない展開に巻き込まれる。これは日常から非日常に足を引きずり込まれる物語であり、尚且つ非日常から日常を取り戻す物語である。非日常とは、普段とは違うという意味ではなく、まさしく異世界であり、多分僕達の、ほとんどは縁がない世界だろう。恐ろしくて関わりたくない。でも同時に多くの人たちは何らかの形で、ファンタジーめいたものではなく現実的に、そういう世界と対峙している。そのようなことがファンタジーの形を借りて示唆されているように思える。

オンパレード

物語とは直接関係ないが、この本はいわゆる村上春樹表現のオンパレードという印象だった。村上春樹と言えば「猫」「井戸」「やれやれ」「射精した」これら全ての要素がこのねじまき鳥には全て詰まっており代わる代わる交互に登場する。世間一般の村上春樹イメージはこの本に集約されているのか、もしくはこのねじまき鳥から村上春樹の印象というのが生まれたのではないかというぐらい登場する。いやー村上春樹の本読んでるなーって実感する。ただまあ、ノルウェイの森にだって猫も井戸もやれやれも射精も登場するか。

村上春樹に限らず同じ作家の本を読んでいて思うことは、毎回同じ何かを違う角度から伝えようとしているのではないかということ。だから似たような表現や人物、モチーフ、設定が登場し、毎回違う言葉で同じことを語りかけているのではないかと思える。それは何も小説に限らず、歌なんかも同じ。何か一つのことを伝えようとして、試行錯誤しながら藻掻いている姿に見える。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 
ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)

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