本を読んでいる人が、頭が良く見えるとき

僕は普段本を読まない。最近やや読んでいるけれど、読むときにたくさん読んで読まないときには全然読まない。その読むときというのが滅多に来なくて、ここ3ヶ月ぐらいが久々にそのときであった。それでもここ3ヶ月で読んだ本というのは、何冊だ、1、2、15冊ぐらいか。いったい何を読んだのか、

  • ペスト アルベール・カミュ
  • 歴史とは何か E.H.カー
  • 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
  • 遠い太鼓 村上春樹
  • 青が散る 宮本輝
  • コンビニ人間 村田沙耶香
  • 謎の独立国家ソマリランド 高野秀行
  • 恋するソマリア 高野秀行
  • 未来国家ブータン 高野秀行
  • 西南シルクロードは密林に消える 高野秀行
  • 間違う力 高野秀行
  • 放っておいても明日は来る 高野秀行
  • ワセダ三畳青春記 高野秀行
  • 異国トーキョー漂流記 高野秀行
  • 移民の宴 高野秀行
  • アヘン王国潜入記 高野秀行

ご覧の通り、ほぼ高野秀行。普段本を読まない僕がこうやって月1冊以上のペースで読んでいるのも、ひとえに高野本の読みやすさにあった。そうか10冊も読んだのか。ちなみに高野さんはだいたい25冊ぐらい本を出していてほとんどKindle化、もしくは文庫化されている。まだまだ読む本は多い。手元にあるものでまだ読み終えていないのは「ミャンマーの柳生一族」という本。 

【カラー版】ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

【カラー版】ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)

  • 作者:高野秀行
  • 発売日: 2014/06/05
  • メディア: Kindle版
 

 

本と言っても様々

さて、この中で面白かった本は、というと難しい。たくさんある。独断と偏見で星をつけるとすれば、★5はやっぱりソマリランドになってしまう。ソマリランドについてはどういう内容の本なのかあらかじめ知っていたにも関わらず、読んだ上での発見が大きかった。娯楽本でありながら勉強になることも多かった。

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド

  • 作者:高野秀行
  • 発売日: 2014/11/01
  • メディア: Kindle版
 

勉強になる本と言えば、この中では「歴史とは何か」が筆頭に上がってくる。この本は途中まで読んだところで日記にさらっと書いたけれど、その後の最後の章が一番面白かったので、最後までめげずに読んで下さい。

理性への訴えが主ではなく、訴えは、大部分、オスカー・ワイルドが「知性より下のところを狙う」と名づけた方法によって進められています。 

歴史とは何か (岩波新書)

歴史とは何か (岩波新書)

 

他に、読むのが大変だったのはペスト。それ以外はエンタメとしてさらっとすぐ読み終えた。本と言ってもこのようにフランス文学、日本文学、紀行文、新書、ノンフィクション、エンタメ、エッセイとばらばらだ。読みやすいのはエンタメやエッセイ、大衆文学なんかで、読みにくいというか読むのが大変なのは古典文学や岩波グリーンみたいな新書だったり、読むにあたって事前の知識や教養を要求されるような本がそれにあたる。

本を読む人は賢いか

本を読む人は、本を全く読まない人から「頭いいんですね」なんて言われることがよくあると思うけれど、もちろんそんなわけがないことはみなさんご承知の通りだ。しかし、本を読まない人がそう感じる理由も理解できる。本を読まない人にとっては、内容に関わらず本を読むこと自体のハードルが高い。文字を目で追って頭の中で組み立て、理解する作業を続けていかなければならない。テレビや音楽のように五感に直接訴えかけてこないのが本であり、情報に対して受け身になることを続けていれば自ら情報を読み取っていくという作業が非常に億劫になる。こんなものは慣れでしかないんだけど、それを日常的にこなす姿は慣れない人にとって頭が良く見えるのだろう。もしくは、世の中には文字情報を読み取るのが苦手な人もいる。数字の計算は得意なのに言語となると苦手、という人もいる。そういう人にとっても読書を日常的にこなす姿は、能力を持つ者の姿として映る。

つまり、本をたくさん読むから頭いいわけではない。読まない人も慣れれば読めるだろうし、読まない人は「読まない」という選択をしているだけに過ぎない。テレビを見ない人が「見ない」という選択をしているのと同じ。そして、頭がいいからといって本を読むとも限らない。本を読まなくても頭のいい人はいくらでもいる。そもそも頭がいいなんて一括りには言えない。知識、教養に限らず柔軟な思考、センス、発想、論理的思考、記憶力、表現力、全部頭がいいと言える。基準を何処に持っていくか、何を尺度にするか。基準は大抵自分になる。自分より頭がいいか、どの観点で?それも時と場合に依る。例えば今回は本をテーマにしているから、自分を基準に、本を尺度でちょっと考えてみよう。

頭がいい人が読む本

僕はそんなにたくさん本を読まないけれど、本を読んでいる人を見ただけで「頭いいですね」とは言わない。本をたくさん読んでいるからといって、頭がいいとも思わない。読んでいる本の内容で判断する。ではどんな本を読む人であれば頭がいい、「頭がいい」という言い方はちょっと違うな、「お、こいつ…!」って思うのか。「おっ…!」と思う人はどういう本を読んでいるのか。

まず第一候補としては、自分が読めなかった本を読んでいる人。難しすぎてわからなかった本を読んでいる人がいれば「おっ…こいつもしや!」と思うだろう。第二に、読もうと思っていた本を既に読んでいる人。これは共感を呼ぶという意味の「おっ…!」にも繋がるが、例えば読むのが大変そうで二の足を踏んでいたりした本を先に読んでいる人がいれば「おっ…こいつ!」となる。目をつけていた本を既に手にしているときも同じ。第三に、自分が読んで良かったと思う本を読んでいる人がいれば「コイツできる…!」と思う。内容が難しい本であればそりゃあ「頭いいんですね」とはなるけれど、いくら難しくても興味ない本を読んでいる人に対して思うことは特にない。自分を基準にするとはそういうことでもある。

読んでどう理解しているのか

いくら難解な本であっても、ただ文字を目で追うだけのことは文字さえ読めれば誰でもできる。苦行には違いないが、全く意味がわからないまま読み終えたところでその行動は時間の無駄だと言える。僕は高校生の時にゲーテのファウストを読んだ。ギリシャ神話などの予備知識ゼロだったため、意味がわからないまま読み終え、中身も全く頭に残っておらずこういう話のネタにしか使えない。

だから、何を読んでいるか、の次の段階に来るのは、どう理解しているか、どう解釈しているのか、そこから何をどう読んだのかが焦点となる。どの程度読み込めているのか、自分が気づいたようなことは把握しているのか、自分が気づかなかったようなことまで網羅しているのか、それとも誰でも持ち得る視点で表層しか追っていないのか、誰もが持ち得ないような特別な視点を持ってはいないか。

次にその内容について、どのような感想を持ち、どのような意見を持っているのか、これがまた一つの尺度になる。中身を読み込んでいたとしても、ただ納得、迎合しているだけではないか。本に書かれていた内容の受け売りではなく、自分の頭から出てきた自分の言葉で感想・意見を持っているか。反論はあるか、反論はありきたりではないか、矛盾していないか、思いもよらない斬新な切り口で意見を述べられたらそれだけで惚れる。

これらも自分が基準となるため正解不正解では語れないが、自分が欲しいもので、なおかつ持ち得ないものを持っている人がいれば、誰しもが憧れるだろう。中身ペラッペラだと思われていた本であっても、そこに自分にはあり得なかった視点を持ってこられるだけで尊敬に値する(もちろん本の中身と辻褄が合えばの話)。

どのように活用しているか

これが最終段階です。あらゆる本を読んで、独自の解釈から意見を繰り出す人がいても、全く活用できていなければ宝の持ち腐れだ。運転免許を取ったのに車に乗らないペーパードライバーのようなもので、もったいない。実用書ならそういった具体的な使い道があるけれど、そうじゃない本についてはなんて例えればいいんだろう、せっかく得たはずの知識や視点、考え方、読んでいたそのときは確かに頭の中で構築されていたはずの何かが、全く活きていない、あれ?とときどき思う。ある本を読んだ人にとっては、それが当たり前の世界がある。それは読む前には存在しなかったが、読んだことでその世界に足を踏み入れ、当たり前になる。しかし、読んだときは確かにここにいたのに、いつの間にか出ちゃってる人がいる。

読み終えれば右から左で何も残っていない、何の糧にもなっていない、エンタメはそういうもんだからそれでいいんだけど、選ぶ本から読み方から意見から輝くものがあるにも関わらず、進歩がない、成長がない、抜けていってしまっている、人物に反映されてない。あの日の君は何処へ行った。そんなときはがっかりするというよりも、やはりもったいないという言葉がしっくりくる。分野や状況において得意不得意もあるんだろうけど、読み終えたらいかに自分の世界に結びつけるか、いかに行動に結びつけるか、そういう尺度からも人を「おっ…!すげえ!」と思うことがある。

どんな本を読もうが、それでどうしようが勝手じゃないか。余計なお世話だ。いやあすみません、その通りです。だいいち、僕は活用なんて全然できていません。以上が「本を読んでいる人を見ておっ…!と思う基準」でした。

日本に住む恩恵

カナダのトロントにいたとき、本を読む人は少ないと現地の人が言っていた。それこそ「本を読むだけで賢い」と言われた。図書館で勉強する人は山ほどいたからそっちの方がよっぽど賢いと思うけどね。でも本を買う環境、読む環境はあまり整っていなかったように思う。オーストラリアでもそうだった。まず、本屋の数が少ない、置いている本のバリエーションも少ない、本自体も高い(物価も高い)、何よりAmazonが発達していない。日本は本が読みやすい環境であるからこそ、本を読む人が多いのかもしれない。もしくは本を読む人が多いからそのような環境になっているのか、どちらにしても手軽に本が楽しめる環境はなかなか有り難いことなので、せっかくだから大いに活用しましょう。