ミーチャ、イヴァン、アリョーシャ、それに腹違いのスメルジャコフ。『カラマーゾフの兄弟』の兄弟の名前を全部言える人間がいったい世間に何人いるだろう?
ー『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹)より
世の中には読んだだけでイキれる小説、イキリ文学がある。イキリ文学の代表は「カラマーゾフの兄弟」であり、イキリ仕草の代表は村上春樹の小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」内におけるカラマーゾフ兄弟の名前を空で言えるイキリだろう。こんなに恥ずかしいイキリ仕草はなかなか思いつかない。
それでもこのイキリ仕草は、ドストエフスキー著、文学作品の最高峰、文庫版で5冊に及ぶ大長編「カラマーゾフの兄弟」を読み終えた人間だけの特権である。読んでいない人間がこれをやると、イキリどころかただのカマシになる。読んだからにはイキっていいのだ。例えそれが恥ずかしいイキリであっても。
ちなみに「カラマーゾフの兄弟」におけるもう一つの代表的なイキリは、「大審問官だけは読め」である。かつてどこかのブログ上で、「カラマーゾフの兄弟」を「カラ兄」と略す人が「大審問官だけは読め」と言っていた。カラマーゾフ兄弟次男のイワンが書いた作中作「大審問官」。いやー僕もこれを初めて読んだ時は度肝を抜かれましたね。「こんなこと書いていいの?」って。(イキリ)
「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがない人も、「大審問官」はカマシとして使える。使用方法としては、
「読んだことないけど、とりあえず大審問官は読んでおきたい」
「読んだことないけど、大審問官ってどんな内容なんすか?」
など「カラマーゾフの兄弟」は読んだことないけど、どこが重要かは知ってるカマシができる。それを聞いて「大審問官とはね…」と読んだ人がイキって答えてくれるはずだ。カマシとイキリの応酬が始まることで、なんかこいつら知った風なことでやり合ってるぞ空間が生まれる。大審問官のなんたるかは、ぜひ読んで確認してください。そして存分にイキってください。
「カラマーゾフの兄弟」以外にも、僕自身がこれまで読んできたイキリ文学を挙げて、軽くイキっていきたい。
失われた時を求めて
もう一つのイキリ文学代表作は、岩波文庫版で14巻に及ぶ大長編、20世紀三大小説の一つ、マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」だろう。
「失われた時を求めて」のイキリ仕草の代表は「無意志的記憶」である。反対に、「失われた時を求めて」を読んでいない人のカマシ仕草代表が「プルースト効果」である。プルースト効果についてはWikipediaにも載っている。
ある匂いを嗅ぐとその関連した記憶が思い出されることを、紅茶に浸したマドレーヌの匂いから物語が展開していく本作品から「プルースト効果」と呼ばれている。 ー 失われた時を求めて - Wikipedia
2021年のTBSラジオ、アフター6ジャンクションで宇垣美里さんが、「失われた時を求めて」と「プルースト効果」についてカマシ仕草を発揮してくれた。まず宇垣さんはラジオで「『失われた時を求めて』は読んだ気がするけど覚えていない」と発言している。14巻もある長編を読んだかどうか覚えてないなんて、そんなことあるわけがない。これはカマシの疑いが強い。読んだことをイキりたいイキリストはちゃんと覚えている。読んでないなら読んでないと言えばいいのに、覚えてないとかいうカマシをするカマシストは、読んだイキリを発動するイキリストよりもっと恥ずかしい。
そして宇垣さんは、読んだことがある根拠としてプルースト効果を挙げていた。マドレーヌを紅茶に浸して食べ「これがプルースト効果か」と思ったことがあるとか。「これは読んでないとできない特権だから、きっと読んでるはず」というような発言をしている。いやいや、ちょっと待て!「失われた時を求めて」のイキリストをなめてはいけない。
「失われた時を求めて」の真のイキリストは、ヴァントゥイユのソナタや、エルスチールの絵、石畳を踏んでバランスを崩した時や、皿にスプーンが当たった響きから無意志的記憶にダイブすることを挙げてくる。このあたりは終盤までちゃんと読んでいないと知らないくだりで、「失われた時を求めて」を読んだイキリを発動するにはもってこいだからだ。マドレーヌのくだりは序盤も序盤、14巻中の1巻に出てくる。1巻だけ、もしくはウィキペディアしか読んでない人が、マドレーヌのくだりからプルースト効果〜などとカマシがちなのである。
「プルースト効果」はともかく、その元になる「無意志的記憶にダイブ」とはなんのことか。今ここでイキリ散らかして解説することもやぶさかではないが、そこはぜひ「失われた時を求めて」を読み、理解した上で存分にイキってください。
豊饒の海
イキリ文学の特徴としては、とにかく長いこと、難解である(と思われる)こと、文体が読みにくいこと、題材に馴染みがないことなどが挙げられる。日本文学からイキリ文学にエントリーしてもいい小説としては、三島由紀夫の遺作であり、全4巻からなる長編小説「豊饒の海」が挙げられる。
昭和の文学で、もはや古典と言ってもいい三島由紀夫の大作だけど、「豊饒の海」を読んでイキっている人はあまり見かけない。1巻目の「春の雪」が2005年に妻夫木聡と竹内結子というトレンディー俳優主演で映画化されたり、三島由紀夫というある種キワモノ扱いの作家の作品であったり、輪廻転生モノというポップな雰囲気も相まってイキるには物足りなさがあるのかもしれない。
「豊穣の海」でのイキリ仕草を挙げるとすれば、一つは「あの結末の解釈」ではないだろうか。「豊饒の海」を読んだ人ならわかると思うが、「あの結末」は僕は最初意味がわからなかった。というか今もわからないところがある。「あの結末は何だったのか」を語れるのは、「豊饒の海」を読んだ人の一番の特権ではないだろうか。「豊饒の海」の結末は、すごいスペクタクルとか、全然わけがわからないとかではない。まさに「何だったの?」である。ぜひ「豊饒の海」全4巻を読んで、結末イキリに花を咲かしてください。
緑の家
読んだだけでエライ気がする小説は、イキリ文学に該当しやすい。その点ではガルシア=マルケスの「百年の孤独」よりも、バルガス・リョサの「緑の家」に軍配を上げたい。いや本当に挫折しかけました、ラテン文学読みにくいっすわ、「百年の孤独」なんて目じゃないっすわ、登場人物いったい何人出てくんねん!誰が主人公やねん!それでも読み終えたけどね、というイキリが爆発する。
「緑の家」を読んだイキリ仕草としては、「話としては平凡だけど、展開がすごかった、文体がすごかった」などという、この物語の一体何がすごいのか結局よくわからないイキリではないだろうか。これはまさに読んだ人にしかわからない。「読んだ人にしかわからない」は、イキリ仕草の真骨頂である。
実際「緑の家」の何がすごいのか。ノーベル文学賞にまで輝いた、読み手の心理を意のままに操る文体の妙を、ぜひ最後まで読んで味わってください。そして「ノーベル文学賞も納得だわ」と存分にイキってください。ただしノーベル文学賞の受賞理由を見る限りでは、「緑の家」よりも「世界終末戦争」の方が契機になったと思われる。
おさらい
イキリ文学の特徴
- とにかく長い
- 難解である(と言われる)
- 文体が読みにくい
- 題材に馴染みがない
などは一例で、これらの要素に該当しないイキリ文学があったり、他のイキリ要素があってもいい。読んだだけでイキりたくなるイキリ文学は、他にも多数あると思う。僕が最近読んだ中では「煙の樹」がそれにあたる。2段組で600ページ超え、重厚なテーマとよくわからない結末。ただしこれは古典ではないが、イキリ要素としては十分カバーしているだろう。
ただ読んだだけで満足する、達成感がある、人にイキりたくなるあなたのイキリ文学はどれだ!人のイキリを聞いて「むむむ…」としたいものだ。個人的には「この程度でイキられても」から始まるイキリマウントも大歓迎。やっぱりイキリ仕草にも「長いのにあっという間に読めたわー」とか「難解って言われたけど簡単だったわー」みたいな小手先イキリよりも内容やテーマに絡めたほうが、より本格的なイキリを発動できる。カラマーゾフ兄弟の名前を全員暗記していることをイキられても…ねぇ?




