筒井康隆のSF小説「パプリカ」を読んだ。この人の長編小説を読むのはこれが初めてだった。代表作はなんだろうと思って調べていたら「旅のラゴス」っていうのが評判がいい。そのうち読むかもしれない。「パプリカ」の方は映画を先に見ていたため、どうしても映画のイメージが強かったが、映画と原作は結構違った。映画はいわばダイジェスト版であり、映像で魅せる演出が多彩で、内容もしっかり1時間半でおさめられている。原作はもっと長い物語を詳細に描いている。映画にあった目まぐるしく多彩な展開は部分的であり、地道なSF物語がじわじわと進む。
映画のトレーラー
あらすじ
精神医学研究所に勤める時田浩作は、PT(サイコセラピー)機器という夢にアクセスできる機械を開発した。そして同僚の千葉敦子と患者の臨床を重ね、夢を映像化してトラウマを探ったり、患者の夢に侵入することでトラウマの克服をうながす治療方法を確立、精神医療を飛躍的に発展させた。その功績が讃えられ、二人はノーベル医学生理学賞の候補となる。このあたりの展開は映画に全く出てこないが、小説ではこのノーベル賞というキーワードがかなり重要な要素となってくる。
研究所の副理事長で、過去に同じくノーベル医学生理学賞候補になったこともある乾清次郎は彼らの功績を妬み、また自らの理解が及ばないPT機器による治療を危険なものと考え、二人を退陣に追い込もうとする。しかし研究所の理事長であり、二人の良き理解者でもある島寅太郎が彼らをかばい、研究所内は理事長派と副理事長派の対立になる。副理事長派は研究所内で政治工作を行い、PT機器を悪用することによって医療事故を起こす。事故はあたかもPT機器の不具合であるかのように仕組まれ、PT機器の開発にたずさわった理事長派の立場は危うくなる。
精神攻撃
このPT機器の悪用が、非常にえげつないやりかただった。PT機器による治療は精神が病んだ人間の夢に入り込み、病んだ部分を治療することによって回復をうながす方法だ。悪用とはまさにそれの逆をやる。本文では詳しく描写されていないが、精神分裂病(いわゆる統合失調症)の患者の夢を健康な人間の夢に照射し、植え付けることによって同じ症状を併発させるというものだ。このおぞましさといったら、その世界に少しでも触れたことがある人なら想像できるだろう。狂気のイメージを他人の脳内に移すことで、他人まで狂わせてしまうこの手段は非人道的なんてもんじゃない。拷問に近い。
そうやって狂わされた人たちが研究所内に多発する。理事長の島寅太郎は政治工作に疎く、理事長派は後手後手に回る。このあたりが物語の序盤から中盤の流れになる。
パプリカ
タイトルの「パプリカ」とは主人公である千葉敦子のことであり、PT機器がまだ公に認められていなかった時代に、非合法で治療を行っていたときの通称だった。パプリカに扮した千葉敦子は患者と会い、当時臨床試験中だったPT機器を用いて患者の夢を行ったり来たりしながら、カウンセリングを行うことで成果を上げてきた。そしてPT機器の認可が下り、医療機関で合法的に利用できるようになってからは「パプリカ」を廃業していた。千葉敦子は理事長の島に頼まれ、再びパプリカとしての裏稼業を行うようになる。
夢と現実の入り混じった世界
PT機器の後継機として、開発段階のDCミニというものが登場し、それが副理事長派に奪われ悪用される。DCミニには副作用があった。この副作用が物語全体を大きく変えていく。この小説は事態が緊迫化していくにつれ、ところどころ変な部分が目立ってくる。副理事長本人を除く副理事長派も理事長派も、みな同じ社宅寮に住んでいる。その中で不法侵入があったり、また同じ研究所内で医療犯罪があったり、非常に狭いところで事件が起こっている。なんで避難しないんだろう、とか、なんで警察に届けないんだろうと思う。ノーベル賞を控え、事を荒立てたくないのはわかる。しかし行方不明者が出たり立派な医療犯罪が行われている中で、平然と同じ建物に住んだり同じ職場を行き来するのはどうも変で非現実的だ。
そのうち警察の知り合いが出てきて、やはり平然と違法捜査を行ったりする。証拠を見つけたと言うが、違法捜査で見つけた証拠なんて証拠にならないだろう。なんか変だ。物語の展開のしかたが初めの方と全然違う。この小説はSFと言えど、しっかりした設定のもとに現実感をもって描かれていた。しかしいつの間にか、物語の整合性があいまいになり、ファンタジーのような都合のいい世界観に変わっている。まるで夢の中の世界のようだ。DCミニの副作用とは、夢の実体化だった。夢の中に登場した非現実的なものが、夢を飛び出して現実にも現れ、影響を及ぼす。そういうことなのか。夢の実体化、すなわち現実の夢化は物語全体にも影響が及んでいた。リアルなSF小説だった「パプリカ」の物語は、DCミニの副作用によりいつの間にか、SFファンタジー小説に変わっていた。このあたりも小説独特の展開なので、映画と両方楽しめると思います。 [asin:4101171408:detail] [asin:B000O58V8Y:detail]