俺は会社を辞めるぞ

まだ会社を辞めていない理由 から9ヶ月が経った。

もう親には言った。元々相談をしていた人や、シェアの同居人にも話はした。そして、会社にも言った。

新卒で採用されて、普通のサラリーマンとして5年以上働いた。中小零細ではなく、休みもあった。給料も標準で、決して待遇が悪かったわけでもない。かと言って、定時で帰れるとか、残業代が出るとか、高給であるとかそういうわけでもなかった。特別良くもなければ悪くもない。でも、今後こういう恵まれた職場で働く機会はないだろう。自分でも贅沢だと思う。自分の考えはぬるいと思う。それでも働き続けることが出来なかった。
何を辛いと思うか、無理だと思うかは自分の基準に従うしかない。他の状況と比較することに意味はあるけれど、他人の基準と比較することに意味はない。人は人、私は私。 

自分の前途には何もない。本当は今までにも何もなかった。ただ、会社員であるうちは、カードが作れた。ローンも組めた。車も家も買えた。結婚も、相手がいて、しようと思えば出来たかもしれない。子供だって育てることが出来たかもしれない。そういう可能性は、全て無くなった。社会的信用、金銭的保証は全て失うことになった。今後、世間的に真っ当な人間としての人生を歩む道は絶たれた。それでも、僕は辞めることを決めた。

本当は、初めからそういうものとは縁がなかった。常識人としてのメンツを守った、世間一般の暮らし。望んだところで得られるものではなく、今はもう諦めている。子供の時からずっと、世間一般を目指していた。他の人が当たり前に望み、当たり前に出来ることが、自分には遠く、疎外感を感じていた。みんなの当たり前を目指していた。普通になろうと努力していた。でも僕は普通以下でしかなかった。 

自分の存在を、世間に認めて欲しかったのかもしれない。自分も世間の一員であるということを認めてもらって、疎外感を無くしたかったのだろう。だから、人とも交流するようにした。就職もした。馴染もうとした。でも、出来なかった。結果的には、馴染むことはままならず、その馴染もうとすること、自分を自分でなくそうとすることも、堪え難いことだった。自分は所詮、自分でしかいられなかった。世間に受け入れられないという自分でしか。

個人では、そんなことはない、と言ってくれる人もいる。自分を特別に思うな、と言う人もいる。そういう意見は有難く受け取っている。そしてそれは人の意見だ。僕が感じたものは、何者にもなれないどころか、人であることさえいれない自分の違和感であり疎外感であった。そして、その場に居られないと思った。

社会不適合者

そういう人は、僕以外にもたくさんいる。それを割り切って、煙たがられながらも世間に居つづける人は、たくさんいる。自己主張して、違う自分を世間に受け入れられる人もいる。僕にはどちらも出来なかった。馴染もうとしたり、生きるために割り切ろうとしたり。その努力こそがまた、自分の生を脅かすことになった。我を通し、周りを説得することも、肩身が狭い思いを割り切ることも出来ない自分。世間の一員にもなりきれなかった自分。僕はそこまで強くなかった。

僕は負けた。敗残者だ。会社を辞めてフリーランスを志す人や、起業する人、転職する人とは違う。僕には何もない。だから、ずっと辞められなかった。それでも今回は辞めることを決めた。

そのきっかけの一つは、外国を旅行したことにあった。外国には価値観の違う国、物価の違う国、ある意味全く別世界が広がっていた。そこで知ったのは、日本の世間は日本固有のものであること。外国に行けば外国の社会があり、それは日本固有の世間とは全然違うものであるということ。そこには日本の世間を勝ち抜いてきた者や、僕のように日本で負けた人間、世間に合わなかった人間もいるということだった。

僕は、そこなら心機一転うまくやっていける、などとは思っていない。ただ、道からそれた人間として、同じ日本で、世間に肩身の狭い思いをしながら日々をしのいでいく自信がない。だから、とりあえず1年ほどは外国に居ようと思う。それ以上居続けることができたら、それからもいたい。合わなければ、場所を変えて。

日本でも外国人を雇用するようになれば、この凝り固まった世間は変わるだろう。数年前、コンビニのバイト店員へ、説客マナーに対して怒る老人がよく見られた。最近のように外国人の店員ばかりになると、こいつに怒ってもしょうがないと、それを求める自分が間違っていると悟る人も出てきた。会社員でもそのうち同じ事が起こるだろう。

世間や常識を守る人には申し訳ないが、このままグローバル化が進んで、良くも悪くも見せかけではなく中身が重視されていけばいいなあと思う。それはきっと、過剰のない、僕にとって住みやすい街だろう。

今後どうやって生きていこうか。見失ったなりに、方向性を立てた。まず、今あるお金で半年カナダへ語学留学する。日本を離れることと兼ねて、外国で生活できるレベルの英語を身につけられたらと思う。その後、カナダに居続けられたらワーキングホリデーで1年延長する。お金がなくなるので働きながら生活することを目指す。その1年で、もし就労ビザが取れたら、そのままカナダに残る。そのまま続ける事ができれば、永住する。就労ビザが取れなかったり、途中で挫折すれば日本に帰って青年海外協力隊に応募する。通れば2年それで過ごす。それもだめならば、別の国で働く。アジア、アフリカ、南米、仕事のありそうなところを探す。

そんな計画がうまくいくとは思っていないが、そんなものでも持たないと、僕は進めなかった。僕の人生はもってあと2、3年だろう。このまま会社にいてもそれは変わらない。2、3年以内に死ぬか発狂していたと思う。そのギリギリのところで辞める決意をした。僕が辞める決意をしたのは、死ぬことを受け入れたのと同義にあたる。あとは、死に場所を選びたかった。
異国での生活が僕の、死ぬ前に やり残したこと だった。

理想を言えば、僕はホーチミンに憧れていた。植民地支配に苦しむ自国を離れ、ベトナム独立のためにフランス、ソ連、中国で活動し、30年後、国を導く革命家としてベトナムに帰ってきた。フランス、アメリカ相手にゲリラ戦法で戦い、独立を勝ち取った。
ホーチミンになれるとは思わないけれど、僕が日本に帰った時、日本が変わっていればいいと思うし、本当なら日本に何か持ち込むことで、日本を少しでも変えることが出来たら一番いいと思う。
それは物よりも価値観であったり、概念であったり。日本を変えるという大それたものでなくても、違う空間、場所、何か日本の若い人の明日に繋がる良いものを導けたら、それが理想だ。 

続き:退職日記