自分が非コミュすぎてあせる

その昔非モテという言葉がはてな界隈で流行ってましたが、その後コミュニケーション能力という言葉が台頭しだしてからというもの、それが極端に欠けたことを意味するコミュ障という言葉も流行ってました。それとは別に僕の極端な非コミュぶりについて、自分でも驚いてしまった。

昨日、学校で発音のクラスがあり、終わって帰ろうとしたらエレベーターの中で話しかけられた。日本人の女の人で、「日本人ですよね?」って、そのクラスには日本人が僕とその人しかいなかった。僕は相手が日本人だからといって心開けるわけでもなく目も合わせないままあいづちを打っていた。

「どれぐらいるんですか?」
「3ヶ月です」
「長いですね!私まだ2ヶ月なんですよ」
「でも全然上達しないです」
「ですよねー私なんかこのプロナンスのクラス意味あるのかなーって思って」
「いやー今から覚えていけばいいんじゃないですか」

などというような当たり障りのない会話をしていた。他にも何か喋ったけどあとは覚えていない。僕はその場で信号が変わりそうだったので猛ダッシュした。
「あ、喋ってる途中だった」と思って振り向いたらあまりにもダッシュしたからもうその人がどこにいるのかさえわからなくなった。喋ってる途中に何も言わずに急に走り去ったことを本当に反省しています。向こうがどんな気待ちだっただろうかと思うと胸が痛いです。遠い外国に来てたまたま同じクラスにいた唯一の日本人に話しかけたのに目も合わせられず途中で走って逃げていったことを思うと。

僕のこのコミュニケーションに対する雑さは異常かもしれない。相手が嫌いとか嫌だったとか気に食わなかったとそういうの全部無いんです。ただ信号が変わりそうだったから走っただけ。だいたい僕はいつも一人で過ごしており誰かと会話しようとしたりすることなく、話しかけられても手応え無いという結果になってしまいがちだ。だから僕に関わった人は無駄に損した気分になるだろう。「あいついつも一人だから」と気遣って話しかけてくれた人や、「あの人は物静かで話しかけやすい」と思った人なんかはその反応の無さに2倍損した気分になると思う。いや本当に申し訳ない。その時は全く意識していなかったんだけど後になって反省している次第であります。
それは別に日本にいるからとか外国にいるからとか関係なく、相手が誰だとかも関係なく、僕はよく「シャイで殻に篭っている」と勘違いされるけれど、殻が全く無いからこそ自由な言動をとりがちでこうなってしまうわけで、殻と本心の単純な二重構造であればどれだけ簡単に事が進むかと嘆いたりする次第であります。また、よく「冷たい」というご指摘を受けますが、僕にはその冷たさも欠けており至ってニュートラルな状態で少しぐらい冷たさでもある方がまだ人として感触がありマシなのかなと思う次第でございます。

琴線に触れない会話はまったく耳に入ってこなかったり上の空で意識が別の方向へ持っていかれがちです。無視しているつもりもないのですが、結果的にはまだ無視していた方がましな事だってあるような気もしてきました。「どうでもいい」という態度の中にはまだその「どうでもいい」という意思表示が含まれておりまして、私のように「既にその場にいない」という状況にはならないわけです。