5日目、アウシュビッツ=ビルケナウ

前回の続き

僕がアウシュビッツへ向かう話を、オルガやパブロとしていた。パブロ曰く

「あそこはすごく広いから、全部見るには5時間ぐらいかかるよ」

ということだった。そのため朝から向かうのが基本らしい。その時既に深夜だったため次の日早朝に起きるのは無理だなと思っていた。アウシュビッツへ向かうにはクラクフの中心から電車、及びバスで1時間半、そして現地のガイドツアーが約3時間、ビルケナウが2時間だとしても計5時間、また戻るのに1時間半と行って帰ってくるまで8時間コースになる。僕はビルケナウだけ見たかったら

「そんなに時間かかるならビルケナウだけでいいや」

って話をしていたら、

「それだったらミュージアムだけでいいんじゃないか?ミュージアムへ行った方がいい」

と二人から推された。ミュージアムというのはアウシュビッツ第一収容所を改築したもので、殺されたユダヤ人たちの人毛で織った生地や、押収された所持品、義足なんかがあるということで、そちらを見ながら時間があったらビルケナウに寄ろうと思う。

 

アウシュビッツの行き方

当日、起きたのは朝11時頃。行く準備をしていれば12時になる。

「今から行っても間に合うかな?」

僕がオルガに尋ねると

「今日は夜7時まで開いているみたいだから大丈夫だよ」

そう言われ気兼ねなく向かうことにした。彼女は調べてくれていたみたいだ。昼12時にオルガ宅を出て、昨日と同様にトラムの駅からクラクフ中央の長距離バスターミナルへ向かった。アウシュビッツへはバスと電車どちらでも行くことはできるが、ネットで調べた情報によると電車の駅は現地から少し離れており、バスは施設の真ん前で停めてくれるということだったからバスで行くことにしていた。

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バスのチケットを買う場所はGaleria(ガレリア)の上にあった。ちょうど空港からのバスを降りた場所の上だ。買うチケットの行き先はOświęcim(オシフィエンチム:アウシュビッツのポーランド語)、金額は14złoty(469円)だったかな。購入したチケットにはバスが来る停留所番号と時間が記載されており、まだ少し時間があったから僕は待合室のベンチに腰掛け、フリーのwi-fiを利用していた。

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停留所へ向かうとそこで待っていたバスは、バスというよりワゴンのようで既に乗客がたくさん乗っていた。乗合バスというのだろうか。僕がドライバーにチケットを見せ、シートに座っていると後から人がさらに乗り込んできた。席がなくなり立ち乗りも数人、バスの中は満員になった。買ったチケットを見せる乗客よりも、ドライバーに直接お金を払っている人が多かった。

アウシュビッツの歩き方

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時間が過ぎ、バスが走りだすとある程度進みつつもところどころで止まり、また人を乗せていた。停留所があるのだろう。これは別にアウシュビッツへ行くためだけのバスではなく、現地の人たちにとって普通の移動手段らしい。僕は事前に保存していたアウシュビッツのWikipediaなんかを読んだりしながらも眠くて途中寝ていた。途中で降りる人も増え、バスの中は少し空いてきた。

「アウシュビッツ」

とドライバーに言われ、バスを降りたのは僕と僅か二人だけ。バスはそのまま走り去っていった。僕らが降りた場所は正面ではなかったらしく、アウシュビッツ第一収容所の正面へと向かい、そこにあったバス停はクラクフ行きと書かれており、帰りの時間を確かめた。

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夜の7時半がラストだった。着いた時刻が2時頃だったから余裕といえば余裕だ。アウシュビッツ第一収容所(以下ミュージアム)に入るには荷物を預けないといけないと言われた。あるサイズ以上のカバンは持って入れない。サイズは忘れたけれど僕が持っていたリュックはだめで、ウエストポーチのようなものなら持って入れる。荷物を預けるには3złoty(100円)かかる。僕はカメラと貴重品だけ持って中へと入った。

入場の際に空港のような身体検査があり、前の人に続いてヘッドフォンやレシーバーを受け取って入場ゲートの右側の個人用(左が団体用)カウンターでチケットが欲しいというと、受付の女性が

「個人なのになんでヘッドフォン持ってるの?返してきて。はいこれチケット」

と言ってチケットを渡された。僕はてっきりガイドツアー強制の有料だと思っていたから拍子抜けした。僕はヘッドフォンとレシーバーを返し、チケットを見せて入場した。これチケット意味あんのか?入場してすぐ左の本屋に日本語のパンフレットが売っていた。5złoty(167円)どの棟に何が展示されいるか紹介されている。ガイドツアーじゃないのは本当に良かった。自由な順番で自分のペースで回ることができる。ガイドツアーだとそうはいかない。ガイドの有無にかかわらず写真撮影は許可されている場所と許可されていない場所があった。

予習のススメ

現地へと向かう人がいれば、ぜひとも十分な知識を備えていってほしい。その方がより充実する。現地に説明文があっても英語かヘブライ語だけで日本語はもちろんない。英語やヘブライ語が読めたとしてもいちいち立ち止まって読んでいては時間がかかる。ドキュメンタリー番組や映画「シンドラーのリスト」「ライフ・イズ・ビューティフル」「戦場のピアニスト」ぐらいは見てから行った方がいいんじゃないだろうか。本だったら夜と霧か、アンネの日記あたりが有名だろうか。単純に情報収集としてWikipediaを読んでから行くだけでも全然違うだろう。せめてそれぐらいは頭に入れていった方がいい。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 - Wikipedia

Twitterよりリプライをいただき、「縞模様のパジャマの少年」という映画もあるそうなので参考に。

ビルケナウ

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ミュージアムはだいたい2時間ぐらいで回った。時刻は夕方4時頃、この季節のクラクフは夜9時頃まで明るい。最終のバスまで全然余裕があるため、第二収容所ことビルケナウに向かうことにした。ビルケナウはミュージアムから出ているシャトルバスに乗って1分かそれぐらいの場所にある。

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個人的にはやはり映画や映像の印象が強かったため、ビルケナウに来て良かった。ビルケナウは広大で、鉄条網に囲まれたバラックが並んでいる。この土地は冬は−20℃まで下がり夏は37℃まで上がるらしい。足を踏み入れた最初の印象というのは「なんじゃこれ」だった。途方もなく広い。Wikipediaによると東京ドーム37個分らしい。一つの民族を絶滅させるためにこれだけの大規模な施設を建設し、運営し、虐殺していったという事実がすごい。国家権力というのはなんて強大で恐ろしいのだろう。個人が個人を笑ったり攻撃したり殺したり、グループや企業が争うのとは次元が違う。

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この源流が我が闘争にあり、またその元を辿れば第一次大戦のドイツの敗戦とベルサイユ条約にあった。そう思うとやはり戦争やこういった虐殺は、憎しみの連鎖、恨みを晴らす行為が新たな恨みを生み、連なっている。アウシュビッツでの虐殺を受けたユダヤ人。また一方で、イスラエルがアラブ諸国に過剰な攻撃を加え恨みを買っている。負の連鎖を断ち切るには、相手を絶滅させるしかないと判断するのだろうか。対立する当事者たちが自分たちを最後に終わらせようなどと思うはずがない。仮にそれを飲み込んだとして終わるものでもない。ミュージアムもビルケナウもイスラエルからのユダヤ人修学旅行生であふれている。歴史とは、憎しみの連鎖が絡みあってできた連なりそのものを言うのかもしれない。

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ビルケナウではバラックの中を見ることができた。板で出来たベッド、土の床、一箇所に何人が収容されていたのだろう。

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最後にガス室の復元を見て僕は出口へと向かった。僕は今こうやってここを出ることができる。けれど収容され、ここで死ぬことを考えると吐きそうな気分になった。彼らにとっての出口は、煙となって煙突から出ることだけと言われていたそうだから。

帰りは6時半のバスに乗り、クラクフまで1時間半か2時間ほど寝ていた。今日一日中ずっと重いものが胸に詰まっていた。見たほうがいいとか、行く価値があるとか、この場所についてそういう意見を持つことができなかった。

次回、クラクフの街を3人で