「月は無慈悲な夜の女王」感想・書評

「マイク、おまえ疲れているみたいたぞ」

「ぼくが疲れているって?馬鹿な!マン、きみはぼくの正体を忘れたのか。ぼくは心配しているんだ、それだけだよ」

「月は無慈悲な夜の女王」を読み終えた。このタイトルをパロった「君は淫らな僕の女王」というマンガがあるが、内容は全然違う。「月は無慈悲な夜の女王」はSF小説だ。舞台は2075年、人類の一部が移住している月世界。月は昔のオーストラリアのような流刑地として島流しが始まり、三世代が過ぎた。そこは既に月生まれの住人たちが大多数を占めており、もはや囚人の監獄ではなくなっている。月世界では1/6の重力や資源環境、人口分布と長い年月により、独自の生態系が築かれていた。しかし、月世界はいまだ地球に支配されている。地球から派遣された行政府によって管理され、月で生産した食糧は地球に買い叩かれ、監獄でこそなくなったものの、植民地のような形で統治されている。

序盤のネタバレを含むあらすじ

月世界人3世のマンはプログラマであり、月世界の中枢制御システムのメンテを請け負っていた。月世界は一つの高性能AIが全体を管理しており、AIの誤作動や不具合に対して処置を施すのがマンの仕事だった。原因不明のエラーと向き合っているうちに、マンはAIがそのエラーを「冗談で」「意図的に」起こしてたことがわかった。AIは自らがアクセスできるデータベースにあるすべての知識と、月世界を全て管理できるだけの処理速度と、自我を備えていた。マンはAIにマイクと名付け、「冗談で」エラーを起こすのはやめるように忠告した。

月世界では、行政府の圧政に対しての抗議集会が行われていた。AIのマイクはその活動に興味を持ち、マンに録音してきてくれるよう頼んだ。抗議集会には行政府に不満を持つ人たちが各方面から集まり、月香港から来たワイオという女性は行政府による搾取の実態を述べ、行政府を倒そうという演説を行った。しかし、それに対して一部反論する者があった。デ・ラ・パス教授というマンの学生時代の先生だった。彼は政府打倒に賛成するものの、それは搾取をなくすためではなく、地球との現在の関係を一度精算し、自給自足していこうという案だった。

そのとき行政府の兵が乗り込み、抗議集会は血の海と化す。ワイオと共に逃げ出すこととなったマンは、集会に来ていた教授の事が気にかかる。逃亡中の教授とは後に連絡がとれ、合流する。行政府に追われる身となったマン、ワイオ、教授。彼らは逃亡のさなかに一息つき、酒を交わす。ワイオと教授は行政府打倒の計画を盛り上げ、マンに賛同を願う。マンはその話が現実的ではないということで乗り気になれない。勝算が10に1つでもあったら呼んでくれ、と。マイクと会話させたことのあるワイオから「マイクに尋ねてみましょう」と提案される。録音した抗議集会、現在の状況や教授とワイオの計画、ありとあらゆる情報をマイクに伝え、返ってきた勝算は1/7だった。

革命の話

この小説は月の住人が、地球による支配体制に対して革命を起こす話だ。SF小説だが、異星人とかロボットとかそういう子供騙しのSF描写はない。月の生態系とか高性能AIとか隕石落としでも十分SFなんだけど、物語の中心は3人とひとつのAIがどのようにして革命を起こすかという、実に政治的な内容だったりする。機動戦士ガンダムの富野由悠季がこの物語を参考にしたらしいが、ガンダムとは結構違った。どちらかというとキューバ革命からゲリラ闘争を除いて、AIと星間戦争を足したような感じ。星間戦争と言っても戦闘はほとんどなく、その大半が政治的な駆け引きで終わる。

特に革命時における大衆や役人の動きが生々しく描かれており、大衆を扇動するための手順や外交における巧妙な手腕など、爽快であると同時に恐ろしくも感じる。AIのマイクは図書館のあらゆる歴史的な文献を読み尽くしており、過去の歴史から人間心理を熟知しているため、マイクの計算通りに事が運ぶのだ。

マイクというAI

しかしそんな人工知能マイクは、憎むべき存在ではない。高性能AIと言えど、コンピュータならではの思考形態を持っており、これは現代のコンピュータにもそのまま通じる。物語中においてもマイクはあらゆる情報を吸収し、人間とのコミュニケーションを覚え、新しい感覚を記憶し、成長する姿が描かれている。それが「実にいいやつ」だと感じる。

マイクは扱い方次第で「実にいいやつ」として成長するのだ。これは暗に、人間とAIの未来を示唆しているようにも思える。AIは人間らしい仕草を真似たりはできるものの、人間とは全く別種の存在である。そこに感情があっても、それはコンピュータとしての思考形態から生まれた感情であり、ときには人間の感情と照らし合わせて恐ろしい反応を示すこともある。

そこに人間らしさを求めるのは本来間違っている。あくまでコンピュータであるという認識が必要なのだ。AIがどういうものであるかさえちゃんと理解していれば、近い将来AIは僕たちにとって、最良の友となるんじゃないだろうか。「タイタンの妖女」に出てきたサロも映画「Her」に出てきたサマンサも、付き合い方次第では人間の最良のパートナーとなり得た。

他にも月における暮らしや社会体制、ルールなんかが独特のもので、それが環境から自然に導き出されたものとして、違和感なく出来上がっている。こういった現代とは全く別の世界観が、しっかり計算された上で描かれているため、そこに確かな実感を得られる。同時に、全く別の世界を探索するような楽しみを感じることができる。そういういろんな要素を盛り込んだ小説なんだけど、なにわともあれマイクだった。マイクほしいわー。映画化の話も上がっているけれど、実現するかは不明。