「パンプキン・シザーズ」ネタバレ・感想・評価

20巻ぶっ続けで読んでいた。ここ最近読んだマンガでは最もソソられる作品だった。月刊誌にて2002年から15年連載が続いており、2006年には2クールでアニメ化もされている。マンガでは現在「合同会議テロ編」が佳境に差し掛かっているが、ぜひともここで終わらないでほしい。個人的には「カルッセル事件編(7〜9巻)」が最も良かった。

舞台は別世界における近世、世界史で言うところの第一次大戦あたりになるが、技術水準などは混濁している。ガトリングや航空機はまだ実戦配備されていないにも関わらず、戦車は第一次大戦で用いられたものより高度なものとなっている。「薄氷の停戦」と呼ばれた帝国と共和国との停戦から3年後、戦災復興を目指す小隊の物語。

導入

1巻あたりは軽いマンガっぽく入りやすい。主人公「伍長」ことランデル・オーランドは戦時中、901ATT隊という生身で戦車を撃破していく対戦車部隊に所属していた。901ATT隊は肉体に特別な処置が施され、ドアノッカーというゼロ距離で戦車の装甲を破る武器を使用する。実験部隊であり、公にはその存在も秘匿されている。

停戦によって戦場がなくなり、生きる術を失った伍長は仕事を求めてさまよう。あるとき帰還兵が支配する町に立ち寄る。町の住民は兵隊崩れに蹂躙されている。そこへ駆けつけた帝国陸軍情報部第3課は、兵隊崩れの所業を人為戦災とみなし、討伐に向かう。偶然居合わせた伍長はその場で陸情3課に雇われることになる。

もう一人の主人公は「少尉」ことアリス・L・マルヴィン。戦災復興を目的とする帝国陸軍情報部第3課、パンプキン・シザーズの小隊長。貴族の家柄で次期当主。軍隊学校にいる頃に停戦が決まり、戦場での実戦経験は無し。戦歴が名高い大祖父に憧れ、影響を受けている。特に貴族という立場の役割や、正義を成すということ意味について多くを教わっていた。

概要

ジャンルとしては、いわゆるミリタリーマンガにあたる。しかし舞台は我々が生きる世界とは別物で、ファンタジーのような誇張も入っている。この世界では戦車が特別視されており、海戦や航空戦は全く登場しない。また、階級制度が根強く残っており、戦車を操れるのは貴族だけとなっている。戦車は兵器であると同時に権威の象徴でもあり、対戦車砲など戦車を撃破する兵器は、平民が手にすると貴族を倒せるようになるため作られていない。

マンガとしては「進撃の巨人」に若干近い。あれよりも真っ直ぐでわかりやすいテーマを取り扱っている。「ガルパン」は見たことないが、軍事ヲタ向けのマンガでもない。ここで問われているのは「正義とは何か」「統治とは何か」ということ。また、貴族のあり方、民のあり方という政治的なテーマが中心になっている。貴族、平民という階級制度は封建時代のもので、現代における市民と大衆に比べれば極端だが、内容としては今でも十分通じる論議がなされている。

帝国のモデルはドイツであることが推測される。というのもドイツ語の名称がそこら中で使用されているから。ドイツに詳しくないからドイツっぽさというのはよくわからないけれど、技術力と軍事力で成り立っているあたりとか、軍隊の規律にあまりにもストイックであるところとか。

停戦中のフロスト共和国についてはほとんど記述がないが、モデルはロシアだろう。北方の国であり、リリ・ステッキンが歌う「共和国の歌」にキリル文字が用いられている。ヴィッター少尉が潜入捜査を行うときもロシアっぽい服装だ。

あらすじ

1話2話完結の短編もあるが、物語の核となる長編を一部紹介する。

舞踏会襲撃編(3〜5巻)

姉に請われ、貴族の舞踏会に出席することになった少尉。しかし近隣の平民の間には、舞踏会の参加者である経済管理庁長官パウロ侯爵の横領を示す書類が出回っている。貧困にあえぐ平民たちは結集し、舞踏会の襲撃を計画する。計画に気づいた3課は、今まさに平民たちがなだれ込んできた舞踏会に割り込む。

一見単純な構造だが、実は複雑な要素が絡み合っている。まず、3課には逮捕権がなく、横領の証拠があるパウロ侯爵を逮捕できない。パウロ侯爵を逮捕することで平民の襲撃を止めることができない。次に平民たちが襲撃を敢行してしまえば、後にやってくる軍隊に鎮圧されることは確実であり、逮捕された平民は家族も含め粛清される。平民たちは3課に言われて初めてそのことに気づく。

カルッセル事件編(7〜9巻)

潜入捜査を行う2課の隊員の暗号文を、3課が受け取り解読してしまう。2課の機密を読んだ責任を負い、3課は2課と合同捜査を行うことになる。行き先は、共和国との国境にある街カルッセル。その街から暗号文を送った2課の隊員の消息を追う。

装甲列車が取り巻く国境の街カルッセルは、不穏な空気が漂う。現地を管轄する軍隊は横暴が目立ち、領民は過剰なまで軍隊に怯えている。2課の隊員はここで何を見て、どうなったのか。

0番地区抗争編(10〜12巻)

帝国と同盟関係にある西方諸国連盟の合同会議がせまるなか、帝国内部0番地区を掃討する計画が立ち上がる。0番地区とは帝国に放棄されたスラムを指し、ならず者が集まっている。0番地区の存在を帝国の怠慢とみなす実業家のロンダリオは、内部抗争を起こすことで軍隊による鎮圧を画策し、合同会議前に帝国の体面を正そうとする。

伍長は0番地区の出身であり、仕送りが届いているか確認するため帰郷する。そこでロンダリオによって仕掛けられた抗争の火種を目にし、後を追ってきた少尉とともに抗争を食い止めようとする。

合同会議テロ編(12巻〜21巻)

西方諸国連盟の合同会議が帝国で開催される。会議では各国の政治交渉、技術交換、文化交流が行われる中で、コネクションづくりや利権争い、問題提起により同盟国家間のパワーバランスが推し量られる。

会議の裏では、かつて帝国に滅ぼされ領地として組み込まれた亡国の人民が集まり、テロを企てる。テロを支援する組織により軍備を整えた集団は、合同会議場である「言語の塔」を軍事力によって占拠する。

感想※ネタバレ含む

このマンガの爽快な部分は、少尉ことアリス・L・マルヴィンが世の中の欺瞞に対して真正面から向き合って行くところだ。舞踏会襲撃編では、正義を騙りパウロ侯爵に襲いかかろうとする民衆を抑えるため、パウロ侯爵へ決闘を申し込む。取り合わない民衆がパウロに襲いかかろうとするが、少尉は祖父の言葉に倣い民衆を律しようとする。何故そこまで決闘にこだわるのか、という民衆の言葉に対して少尉は答える。

「"不公平"が許せないからだ。貴族だから裁かれない、平民だから赦される、笑止。罪あらば裁く!悪あらば斬る!それが貴族でも、平民でも、皇帝陛下であろうとも!それが私に唯一できる"公平"だ」(4巻p180-181)

ここでは正義とか善とかではなく、公平さにこだわっているところがポイントだ。アメリカの映画などでよく「フェアじゃない」というセリフがあるが、何よりも公平性を最重視する姿勢というものは、誰から見ても潔く映る。

カルッセル事件編では、フランシア伍長の遺したメッセージを見て落ち込むヴィッター少尉を前に、愛について自分なりの考えを語る。

「アリス・L・マルヴィンは公平でなくてはならない。誰か一人犠牲者を選ばなければならない状況が来た時、誰を選んでも不公平になるなら、私が、私の愛する者を差し出すのが一番公平だろう。アリス・L・マルヴィンが愛するということはそういうことだ」(9巻p12-13)

愛する者をまず最初に犠牲にする覚悟。こちらでも「いかに公平であるか」を最重視している。こんな愛し方では、個人の幸せを望むことはできない。しかし軍人として任務を全うする、もしくは貴族として民を治めるにあたっては、身内を一番最初に差し出すのが務めなのだろう。このあたりは武士道精神に通じるものがある。

合同会議テロ編においては人質解放の際、貴族のメンツが邪魔して誰も解放されようとしない。少尉は彼女が逃げれば他の貴族も続くだろうと、全員を逃すために先人を切って人質という立場から逃れようとする。待ち受けている民衆からは卑怯者と罵られ、石を投げられる。少尉の意図を汲み取ったバートンは少尉に続く。少尉はバートンへこう投げかける。

「なぜ『正義』そのものではなく、"の味方"と名乗るのだろう。子供心にそう思いました。"味方"という言葉を使う時点で、正義とは"複数であること"を前提に体現されるものだと。そして…民衆を救う英雄が=『正義の味方』となるなら、英雄を救う者…即ち、『民衆』こそが正義である、そんな不文律が横たわっていることになるのではないかと…」(15巻p187-188)

バートンはその言葉の意味を、少尉が民衆の制裁に殉ずる覚悟だという風にとらえる。少尉はどこまでも高潔であり、貴族であろうとする。治世者としての義務を全うしようとする。そういう少尉の姿に心打たれるのが、このパンプキン・シザーズというマンガの真骨頂と言える。

主人公であったはずの伍長は、最初一人で戦車を倒す無敵超人みたいに登場するが、周りの人たちと人間らしい関係を築くに連れどんどんヘタレていく。登場時と現在ではあからさまにキャラが変わっていて、ある意味成長なんだろうけど葛藤しながら思い悩む様子があまりにヘタレで嘆かわしい。しかし少尉という英雄を手本とし、その労をねぎらおうとする姿も小市民が全うできる一つの形なのだろう。

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