童貞 is dead

僕らにとって永遠のテーマ、のはずだった童貞。ある人にとっては昔過ぎて忘れてしまった童貞感。またある人にとっては事実上永遠のテーマになり続け、そしてまたある人にとっては喪失感として、心の何処かに残り続ける。しかしいつの日からか、そんな童貞感、もしくは童貞観という概念そのものが失われたような気がする。現代において童貞は、そもそもコンプレックスではなくなったのではないか。そのような疑念が確信へと変わりつつある。

フラット化したオタク

それはオタクが差別の対象でなくなったことと、少し似ている。僕がオタクという存在を認識しだしたのは高校生の頃だった。今から15年以上前、西暦2000年前後のオタクと言えば、長峰に象徴されるような「萌系美少女好き」が典型だった。そして「親が買ってきた服を着ているメガネのデブが現実の女に相手にされず二次元の美少女でオナニーしている」というのが一般的なオタクに対する印象のテンプレートだった。

それが今や、オタクは文化として社会的承認を得ている。オタクであると公言することは恥でも何でもなく、一部ではかっこいい憧れの対象としてさえ見られる。そんなオタクの恩恵にあやかろうとニワカオタクまで現れる始末だ。15年前は忌避されていたオタク。差別を受け、劣等感を持ちながらもオタクであることをやめなかった彼らは、今や市民権を得た。そして無害かつライトな存在として、世に解き放たれることとなった。牙をもがれたのである。

フラット化する前のオタク

オタク差別があった時代は、強烈な劣等感を持ちつつもどこか自分たちが特別な存在であることを意識していた。「二次元の良さがわかる俺ら」にとっての二次元とは、最初は現実(三次元)に居場所がなかったところからの駆け込み寺だったかもしれない。やがてそれはいつしか現実(三次元)を超越するものとなり、同時に三次元への架け橋ともなる蜘蛛の糸でもあった。「現実で相手にされないから」ではなく、現実における至高の存在としてオタクを位置づけるようになったのである。オタクの話が長くなりすぎたのでそろそろ本題に移ろう。

ここで童貞である。僕らの世代(2000年前後に中高生だった世代)からすれば、オタク文化と童貞文化の親和性は非常に高かった。イコールで結んでもいいぐらいだった。それが今やオタクは地位を確立し、かつては蛇蝎のごとく嫌われていたオタクがかっこいいとまで言われる時代になり、童貞との関連性がまるで失われてしまった。

恥ずかしかった童貞

さらにここに来て、童貞という価値観そのものも変化してきている。かつて我々の世代における童貞とは「童貞が許されるのは小学生までだよねー?」の画像に象徴されるように、まさしく劣等感の源であった。「童貞を捨てる」という言葉に体現されるように、いかにして早く失うかが競われ、保持し続けていることが恥のように考えられていた。

しかし現代はどうだろうか。統計によると、性経験のない未婚男性の割合は20代前半において47.0%(2015年)と半数近い。我々の時代はどうだったか。約33.6%(2005年)、今よりも童貞が少ない。20代前半の童貞は、ここ10年で13%ほど増えている。しかしポイントはその数値よりも傾向にある。

f:id:kkzy9:20171005185536p:plain

参照元:第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所

おわかりいただけるだろうか。80年台後半から低下傾向にあった若年者の童貞率は、2005年をターニングポイントとして上昇傾向に転じているのだ。

フラット化する童貞

思い起こせば我々の頃は「性の低年齢化」が問題となっていた。しかし現代は全く逆で、童貞は増加傾向にある。2005年を契機に何があったのか、原因は様々あると考えられる。結果としては、10年前とは違い、童貞が恥ずかしい対象ではなくなった。そう、まるでオタクが恥ずかしい存在ではなくなったように、世の中における価値観の転換が生じた。

童貞が恥ずかしくなくなると何が起こるか、童貞感の崩壊である。かつて劣等感の対象として独自の価値観を築いていた童貞という概念は、いまやフラットになった。かつて「童貞は恥ずかしくないんだ!!」と叫べば、「そうだそうだ!」と賛同を得られたかもしれない。しかし現代において「童貞は恥ずかしくないんだ!!」と叫べば「何アタリマエのこと言ってんの?」と返ってくるだろう。これが価値観の転換である。

消失する童貞文化

これは我々にとって、世の中の大きな変化に見える。今の10代と30代以上の間には「童貞」という概念について列記とした価値観の相違が見られるのではないだろうか。童貞増加傾向の続く現代において、チェリーボーイネタなんてのはもう、笑いの対象ではなくなったんじゃないだろうか。童貞は闘争の末、ではなく何らかの結果により、コンプレックスの対象にならない存在として市民権を得ることになった。

同時にかつてあった、童貞のねじ曲がった僻み根性から来る独自の文化も、母体を失ったと言える。フラット化した社会において、童貞は特別な存在ではなくなった。たとえその先に童貞がいたとしても、世の中にいる当たり前の存在として承認されている彼らは、徒党を組み独自の文化を築く必要がなくなった。

童貞 is dead

現代の「童貞アリだよね」という風潮は、個人的には素晴らしい変化だと思う。世の中は遠い昔から比べると、少しずつ、確実に、排他的ではなくなっている。童貞差別はもともとそれほど厳しいものではなかったが、私の世代で童貞問題というと、10代から20代の多くの男性が悩み、苦しみ、コンプレックスの種であった。そのことしか考えていなかった時期も多かれ少なかれあっただろう。そういう悩みが一つ、世の中から消えてしまったということは、少し住みやすい世界になったと感じる。素直に喜ばしい。

ただ、一抹の寂しさがある。僕は知っている。あの頃の童貞にあった劣等感と不安、それに比例するヤケクソの反骨精神と開き直り。コンプレックスから来る底なしの原動力。あの頃の童貞には、セックス以外なんでもできたんじゃないか。そう思わせる輝きがあった。

それが現代においては「童貞?普通っしょ?」と言われるようになり、それどころか当人まで自ら「セックスとか、興味ないわー」と言うように変化してしまえば、もはや童貞という言葉は意味を持たない記号と言える。Cherry is dead, 童貞 is… dead.

[asin:4840106193:detail]