わがこころ

風呂読書

インナーワールド。映画見放題無料期間が終わり、放ったらかしにしていた本を読み進めている。今3つぐらい同時に進めており、一つは外を歩くとき用、もしくはベッドに横になり電気を消した後用のKindle本、もう一つは部屋で読む用の借りた本、最後に風呂場で読む用のブックオフ100円コーナーで買った本。万が一のことを考えて、図書館で借りた本や人から借りた本、Kindleは風呂場で読まないようにしている。

知り合いの人がよくNetflixで海外ドラマを見ていて「見る時間なくないですか?」と聞いたら「風呂の中でスマートフォンで見ている」と返ってきた。「防水なんですか?」と聞いたら「防水じゃない」と返ってきた。スマートフォン高いだろうに、重要なデータも入っていて、壊れたらしばらく不便だろうに。何も水中に潜って息を止めている最中にドラマ鑑賞するわけではないからそんなズブ濡れになるわけではないんだけど、それにしても水蒸気やらしぶきやらちょっとした不注意やらがありえなくもない。生活防水ぐらいは施してあるのだろうか。最近のiPhoneは確か防水だった気がするけど。

でもそういう態度を考えると、スマートフォンに比べたら風呂場に図書館の本やら人に借りた本を持ち込むことなんて大したことない。なんだったらその「風呂の中で海外ドラマ見てる」と言った人に借りた本を今読んでいるんだから、もしものことがあったとしてもわかってくれるんじゃないか。「人の本を風呂の中で読むなんて、常識的に考えて有り得ない!」とか言われそうだ。そりゃそうだ。だからやってない。便所に持ち込むこともしていない。紙がなくなったときにちぎって拭いたりはしない。

積み上げてこなかった人生

過去を振り返るなんて、不毛だからやめとこうという思いが強い。僕は積み上げてこなかった人生の代表格で、過去にやってきたことが何一つ今の自分の糧になっていない。高校生の時の勉強とか全部忘れてしまっていて、本当に生かされていない。大学ももちろんそう。今となっては全部無駄だった。今に至るまで何かずっと積み上げ続けていればそれなりに飯も食えたかもしれないのに。例えば専門職の何かとか。いろんなことをあれこれやっては忘れ、やっては忘れ繰り返しているから、いつまでたっても空っぽのままだ。話のネタにもならない。

だからそういうことを思い巡らせても「自分の人生は全部無駄だった」と憂鬱になるだけで、あまり考えないようにしている。ところがどっこい、考えないようにしていても夢で見る。過去のことを何度も繰り返し夢で見る。やめてくれよーと言いたい。こういうのをトラウマって言うんだろうね。そして、なんせ積み上げてこなかったから、過去のことを忘れて今や未来のことを考えようにも思い描ける今や未来が無い。これっぽっちも無い。強いて言えば今からスタートラインに立って初めから積み上げていくことしかない。かと言って、ここで過去の過ちの二の舞いです。積み上げたいことがない。何一つ。いや~マジなんもやりたくねーよと思いながら数十年過ごしてきた。

マンガ読み放題は出版社単位で

マンガ読んでました。少し前たくさん読んでました。暇で、というよりめんどくさいことをやりたくなくて。本読んだり映画見たりするのは気が向かないとできない。読むのめんどくさかったり、気構えが必要だから。アニメとかも画面に縛られる感じがしんどくてなかなか見られない。その点においてはマンガが一番敷居が低い。エンタメ作品なら尚更気軽に手に取れる。最近はウェブ連載やラノベ原作のファンタジーを片っ端から読んでいた。ラノベという媒体はかったるくて本当に読めないんだけど、マンガだと気兼ねなく読める。

それはそうと、普段少年マンガとか読んでいた人ならジャンプ+とか入れたほうがいいと思う。けっこう前からだけどWebコミックがかなり熱い。遠い昔は新都社とかで読んでいたのに、あんなにたくさん媒体増やさないでほしい。集英社とかは翻訳も合わせてNetflix的な定額マンガ読み放題サービス作れば世界中でかなり儲かると思うんだけどなー。ジャンプ+は月額900円で少年ジャンプのアプリ版を定期購読できるけど、あのコンテンツ量でその金額は高すぎる。Netflix並には広がらない。

映画の話

去年最後に見た映画はムーンライトで、新年一発目に見たのは押井版攻殻でした。どちらも映画館ではない。ムーンライトはいまだに毎日作中に出てきた音楽を聞きまくっている。

押井版攻殻については、ここで言われている「アイデンティティを捨てる」みたいな話がいまだにピンとこない。理屈としてはわかるが、現代でも世の中の流れに飲まれない「自分らしさ」みたいなことが叫ばれる中で、「こだわりを捨てる」っていうもっと先の話を20年以上前に提唱している。そういう話は仏教で言うところの無我や夏目漱石みたいにずっと昔からあったかもしれないが、どこまで定着している概念なんだろうか。