「夫のちんぽが入らない」は全然響かなかった

短くまとめると、

「ありきたりな普通の価値観に染まった人が、普通のことをできなくて思い悩みつつ、そんな自分を徐々に受け入れていく。世間もそんな自分たちみたいな人を受け入れてくれたらいいのに」というようなことが長々と書かれていた。要するに啓発が希望なのだろう。

本としてはおもしろかったが、内容としては正直なところ全然乗っかれなかった。僕の感想は悪意に満ちているとさえ言える。だからこの本を好意的に読んだ人は以下の感想を読まないほうがいい。

世界狭っ!

一番最初に思ったのは「なんて狭い世界の話なんだろう」ということだった。あまりにも閉じた世界の中で生きている著者。そこには生活とか価値観が2パターンぐらいしか見受けられない。時代とか地域のことも多少はあるんだろうな。僕よりも少し上の世代で、東北かどっかの人みたいだ。それにしてもこの本の舞台になっている世界の辺境っぷりと言ったら。この人は本とか読まないのだろうか?そんなはずはない。学校の教師をしていたんだから。世の中を知らなすぎるのか?何でこんな状況になっているのかよくわからない。

いずれにせよこの閉じた世界にすごく違和感を覚えた。一体どこの話?いつの時代?という具合に。同じ日本で、近い時代の話だとはとても思えない。唯一インターネットのくだりは身近に感じたが、それにしてもこの人、物を知らなすぎる。ここに書かれているだいたいのことは、皆10代の頃に通り過ぎるのではないか。母親のことを「半径数キロが自分の世界」と言っているが、この著者自身だって全く変わらないではないか。僕は本当の意味で田舎に住んだことがないから、もしかしたらここに書かれているようなことは田舎のリアルなのかもしれない。

たくさんの疑問が湧き起こる

だからこそ仕上がったエッセーだと思う。もし多様性とかを知って体感していたら、こんな凝縮されたものはできあがらない。そうなるといろいろ考えてしまう。例えば、もしこの人が都会の大学へ行ってたら?夫に出会っていなかったら?果たしてこの人は何歳まで生きられただろうか?同時にいろいろな疑問が湧く。若い頃に一体何を学んでいたのだろうか?とか。

この本に書かれていないことは山ほどあるはずだから、むしろそういうところが気になる。一番の疑問は「なぜ真っ先に病院へ行かなかったのか?」というところだろう。この本を読んだ誰もが疑問に思ったはずだ。わけがわからない。あと全くわからないのが、なんでこの人教師目指してたの?向いているとか向いていないとかはともかく、子供時代の様子を読む限り学校生活が楽しかった風でもないし、教師やりたいと思う理由が一切見えてこない。

最終的に、幸福自慢ですよね?

全体的にとにかく幸運な話だなーと思った。何よりも夫と出会えたことが幸運だったし、別れなかったことが幸運だったし、今生きていることが幸運だ。死なずに生きてこれたのは度重なる幸運あってのことだろう。さらにこんな本が出て売れている。病気や困難、死ぬ思いもあっただろうけど、ただうらやましいと思った。そしておそらく、著者自身も今この幸運を噛み締めているはずだ。いつでもウシジマくんになり得たのに、ならなかった。夫と出会ってなかったことを想像する。一人で乗り越えられたのかなー?なんてめでたい話だ。

誰とも巡り合わない人は、若い頃から考えて、学んで、知って、自分だけの力でなんとか生き残れるように悪戦苦闘して、いろいろなものを取り入れて切り捨てて闘って、それでもうまく行かなくて死んでいったり、なんとかギリギリ乗り越えていくもんだと思うが、そういう成長の過程が一切抜け落ちているように感じる。思考と学習に伴う行動の改善が全く見受けられない。バカなの?と思う。彼女なりに精一杯やって、特に社会に出てからはたくさん苦労もしていると思うが、何と言うか、バランスがいい。うまく死なない程度の不幸しかやってこない。やはり幸運に支えられている。

他人には救いのない話

「世間の常識に乗っかれないつらさ」みたいなものわかるけど、それってそんなに長々と悩むもんなのかな?生き残るためにはもっと早く、それこそ10代のうちに悩み抜いて割り切るもんだと思っていた。環境のせいなのかな?だから狭い世界の物語だと感じるのだろう。全体的にすげー遅い話のように感じる。ただこういった形で人をバカにしたってしかたがない。これはそういう一例の話であって、「もっと頭がよかったら」なんて考えることに意味はない。このエッセーはこのエッセーとしてできあがっており、これ以上でも以下でもないこの人の話を真正面から捉えないといけない。

この人に関しては単に運がよくて、幸福でよかったねーと思う。実際には苦労しただろうし、文面に書かれている以上に血反吐を吐いて死ぬ思いだっただろうけど、今そこにあるのは紛れもない幸福なはずだ。こんな形の幸福を提示されて救いになるのは、やはり運良く同じような伴侶を得た人だけだろう。そういう伴侶が欲しい!って思う人はいるかもしれないが、現実には得られない多くの人にとって、かえって残酷な話なんじゃないか?何で僕がこんなにも乗れないのかって、この事例を提示することが何の解決にもならないからだ。いい人と出逢えよって?普通のことしか書いてねー。