自己肯定感の話

自己肯定感うんぬんっていつから言われだしたのか、今では誰もが知ってる定型句になっているけれど、20年も前には誰も言ってなかったよな。承認欲求とか自己肯定感とかいう言葉が蔓延したせいで、そういう言葉に縛られる人が出てきた気がする。そんなもんは本当にあるのか、それって本当に大事なのか。実はどうでもいいんじゃないのか。

この匿名ダイアリーでは、「自己肯定感を持てと言われるが、そんなもの持てない、長所を探しても無くて自己嫌悪になる」と言って終いには「詰んだ。助けてくれ。」と言って締めている。自己肯定感を持てないとなにが詰むのか。助けがいることなのか?この投稿に対しては、以下のようなコメントがついている。

実は自己肯定感なんて嘘っぱちで、不安を煽って自己啓発ビジネスに呼び込むためのものだよ。生きる資格なんて存在してたまるか!

自己肯定感なんて、長所を承認するってことじゃないんだよ。ダメな自分や最低な自分でもオッケーって思うこと。そうしないと条件付きの愛しか認められなくなる。存在自体を承認。

これらは要するに「気にすんな」ってことだろ。自己肯定感うんぬんの話を見ているといつも、この人たちは一体誰と戦っているんだろうという気持ちになる。そもそもなんで肯定なんていうものが必要だと思っているのか。こういう話を見かけるたびに僕は毎回同じ感想を抱いて、同じ意見を言っている。自己肯定感なんていりません。必要ないです。肯定しなくていい。

別に自己否定を抱きながら生きていけばいいじゃないか。そういうもんだろ、生きるってことは。否定を抱き続けるのが苦しいのか。それとも自己否定しながら存在し続けることに矛盾を感じてもどかしいということなのだろうか。自己を否定するからって、それがそのまま即座に「死ななければいけない」なんてことにはならない。死んだほうがマシだ、とか思うのだろうか。それは思い込みというものだ。ただやりたいだけなら既にやってるだろうし、やってないってことはやっぱり思い込みだ。「死ぬべき」みたいな強迫観念に囚われている。

それとも何か、単に自己肯定感が欲しいのだろうか。自分で自分を肯定したいってことなのだろうか。なんで?気持ちいいのそれ?いらなくね?なんで欲しいの?全然わからん。自分を肯定できたら前向きに生きられるような気がするから?なんで前向きに生きたいの?後ろ向きに生きたらいいじゃん。嫌なの?自分で自分を認めることができて、人生前向きバラ色ハッピー楽しそう?本気で言ってるのそれ。そんな俗物みたいな生き方に憧れてるの?だったらあなたに足りないのは、自己肯定感ではなく信念です。よそ見したり他人の顔色ばかり伺っていないで、まずは自らの信念を築いて出直してください。