前置き
今話題になっている話の発端は、2024年のノーベル文学賞を韓国の作家ハン・ガンが受賞したことだったかな。僕はハン・ガンは読んだことないけど、名前は知っていた。Wikipediaを読んでみたら長いこと小説書かれているみたいだ。親も作家だとか。
で、なんで話題が村上春樹に飛び火したかというと、ノーベル文学賞の発表のたびに村上春樹が受賞するかどうか話題になるから。確か「海辺のカフカ」でフランツ・カフカ賞とかエルサレム賞とか獲って、1Q84でもカタルーニャ賞を獲ってノーベル賞候補と噂されるようになり、それから10年以上続いている。大手メディアまでもが毎年「受賞ならず!」とか記事を書いているこの空気のほうが、僕はよほど気持ち悪いと思うんですけど。
とにかく村上春樹が10年以上候補に挙がりつつ、なんで獲れないのかみたいな流れから?か知らないけど、今年受賞したのは韓国人女性だし、女性が描けていない村上春樹にはもうこの先受賞は無理な世相に変わってきたんじゃないか、みたいな話になってるのかな。なんとなくそうじゃないかな。全部を追っかけてるわけじゃなんで、違ったら教えてください。
本題
村上春樹の小説キモい論争について、僕は自分のタイムラインに流れてきたリツイートと、Togetter でまとめられたものしか見ていない。今んところここがまとまっているのだろう。今まで村上春樹ネタで散々いじってきたんで、多少触れておこうと思った。
読んでみて、うーん好みでしかないやろ!同じくキモい作家として森鴎外、川端康成、大江健三郎が挙がっていてそのうち二人がノーベル賞作家なあたり、今回のノーベル賞の文脈とは関係なかったのか?時代が変わったって言いたかったのか?
好みなんで、好き嫌いはあると思う。嫌いなもんを嫌いって言うのも全然構わないと思う。巨人の文句言ってる他球団ファンと同じかな。それ以上のものではなかった。
あと村上春樹はいつもずっと批判され続けてきたイメージで、褒めてんのは外国人とファンぐらいで「キモいって言えない空気」は微塵も感じなかった。まあ、強いて言えば大の大人が嫌いな作品見つけて「キモい」とか公言してるのは人としてどうなの…という空気は今もずっと変わらずあると思う。モラルに欠けている。それを「村上小説キモいと言えない空気」と読み違えたのかな?!
このTogetter まとめもどちらかと言うと「村上春樹キモい論調」に乗っかる形ではなく、キモいと言ってる人を批判する方向でまとめられていた。
いまさら過ぎる村上春樹批判を「これまで言い出せなかった」とする感覚がまず意味不明だし、その根拠が「キモい」という生理的嫌悪感って文筆を生業にする者としてのプライドがないのかね。その"キモさ"の正体を詳らかにして伝えるのが仕事だろうがよ。
— 八月 (@8th_month) 2024年10月11日
村上春樹のキモさよりも、「自分がキモいと感じるものすら一人でキモがれない人」の精神性のほうがキモくて、村上春樹のキモさが薄まってるな
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2024年10月11日
この辺の指摘が的確だと思った。内容として正直、あまり触れるほどのことではなかったです。もうちょっと中身のある話かと思った。こんな程度の低い釣りネタに引っかかった俺がクマ。