最近見たのはこれです。
この人は同年代っぽいので、同調する部分が多い。特にTwitterの「おすすめ」フィードが受けつけないあたり。でも僕とは理由が違って、おすすめで流れてくる投稿があまりにもネガティブすぎるからだそうだ。僕は単にフォロー外だと求めていない興味のない情報が多すぎるから。
でもTikTokを皮切りにフォローフォロワーモデルが時代遅れって書かれていて、それに則ったのがおすすめフィードということなんだろうけど、TikTokでノイズがそんなに気にならないのはすぐに画面外に飛ばしてしまうからだろう。動画だからというのもあるかもしれない。かといってYouTubeでノイズが気になってしまうのは、TikTokとは違って数秒で見終わる短いコンテンツじゃないからなのか。設計のコンセプトの違いも大きそう。
TikTokをよく見ているかというと、全然見ていない。一時期ソフト化されていない過去のテレビ番組が違法アップロードされていてそればかり見ていた。そのへんはYouTube初期、ニコニコ動画初期と同じ消費のしかただなあ。
この成田悠輔と養老孟司の対談の31分ぐらいのところから、SNSの終わり論的な展開がある。人と人がつながることによる失敗を経験してきたのがfacebook以降の10数年だった。広がらない、繋がらない、理解し合えない他者とは出会えない設計が今求められているんじゃないかという話。
炎上や叩きから自殺や犯罪に至るようないわゆるSNS・インターネットの負の側面がなくなるような仕組みってどんなんだ。AIによるマッチングが最適化して、最初から理想の相手としか巡り合わない、それはそれで凝り固まって危うい気がするけど、娯楽、消費、趣味の世界と割り切っていればそれでもいいのか、それってもうSNS、インターネットなのか?わからん。エサを与えられているだけのような…。
どうでもいいけど成田悠輔がいつどこから出てきたのか知らない。
最後に、こちらはIT全般の話として語られているから文脈が違うかも知れないけど、ハードも行き着くところまで行き着いて、ChatGPTのバブルが弾けたと書かれている。SNSはfacebookにしてもTwitterにしてもスマートフォンというハードから今の広がりを見せた。iPhoneの登場が2007年で日本で普及しだしたのは2010年頃からという認識でいる。そこから15年近く経ち、動画やら位置情報やらマップやらでスマートフォンを元にしたSNS的なできることはあらかたやり尽くされたという感じなのだろうか。
消費者的な観点からすると、TikTok以降に話題になったのはメタバース、ビットコイン、ChatGPTで、結局その中でも群を抜いてChatGPTが市場にも影響を与え実用もされているような気がする。ChatGPTはまだまだこれからだと思うんだけど、そうじゃないんですかね。
冒頭のSNSの終わり的な話から今後の流れを想像すると、もう既にある「受動的」な流れがどんどん加速していくのだろう。GoogleのGeminiやAppleのApple Intelligence が何をしてくれるのかはまだ全然知らないけど、今までの話の流れからすると「閉じた世界」「マッチング」がより最適化され、OS(今のところスマートフォン)に搭載されているAIから話しかけられて興味あるようなニュースを声で要約してくれたり映像を見せてくれたりするのだろうか。そのソースがどこにあるかを知ることもなく。
イメージとしては、よく言われている映画「Her」に近い。ウェブを介して無闇に人や情報と関わることなく、AIでワンクッション置くことでノイズを避けるモデル。「ブレードランナー2049」のジョイも近いものがあるけど、こっちは露骨すぎるというかちょっと前の感覚かもしれない。
ただ同時に、リアル回帰、アナログ回帰みたいなことも観測している。なんていうか本当に自分の狭い見地の話でしかないんだけど、音楽とかライブに行く人ってこんなに多かったっけ?っていうぐらい周りの人が生の現場に向かっている。ライブもそうだけどレコードやカセットテープで音楽を聞く人が増えたり、純喫茶を始めとしたレトロ実店舗が今までなかった客層に発見されたり、デジタルとアナログの分断、ではなく棲み分けのようなものが感じられる。
SNS時代はそのあたり同期していたというか、まさにネットとリアルが繋がっている感覚があった。でも今はデジタルはデジタルでしか楽しめない体験として、アナログはアナログだからこその味わいを求めて、それぞれ別々の体験として享受していく方向に別れていってる気がする。入口まではオンラインで見つけたとしても、その先にはオフラインの喜びが待っているというか。
今の人はもうなるべく人と関わりたくないとかっていう話もどっかで目にした。仕事の時間以外は家に帰ってコンテンツを消費して寝たいとか。一斉を風靡した承認欲求的な価値観はもう古いのかも知れない。そういうのはもうAIが全部満たしてくれそう。
SNS以降のAIモデルの世の中との関わり方は、人やウェブと直接関わらない、AIのワンクッションをかまして情報やコンテンツを摂取する形になるかもしれない。そこではノイズがカットされ、GeminiかApple IntelligenceかChatGPTかわからないけどAIはいつも優しく望んだタイミングで接してくれて、紹介された記事を読んだり映像を見たりコンテンツを消費して、一方いつもAIのサポートの元で提案されたリアルイベントや実店舗に足を運んだり、人と知り合ったり、旅行したり物事を決めたりする。そういう未来像を見たい人は映画「Her」を見てください。
あとはなんだろ、人の手が加わる領域が減って、情報が万人に最適化され取捨選択されノイズがカットされていくと、バズるとか映えとか人為的な誇張だったり嘘による自己アピールみたいなのは機能しなくなっていくのだろうか。皆がそれぞれ自分の見たい情報にしか触れられなくなると、情報の流通は今よりさらに細分化していったりするのか。そんなの機能するのか?わからない。でも情報の発信はこれからもあって、それが細々としたものであるほど個人的には嬉しい。なんかそんなことを考えてました。未来はお楽しみですね。