ヤリチンとは、女性の願望を最適化した存在なのか

この辺のやりとりを見ていて思ったこと。

女性の願望を満たすことに最適化した男性は、ヤリチンであるという法則。これについてよっぴー氏は、ヤリチンのパラドックスと呼んでいるそうだ。何がどうパラドックスなのかというと、

女性は気の利く男性を求める

気の利く男性(ヤリチン)現る

女性は惚れて、遊ばれる

男性(ヤリチン)は浮気する

女性は傷つく

というフローのこと。つまり、女性は気の利く男性(ヤリチン)を求めるからこそ、遊ばれる。初めから気の利く男性(ヤリチン)なんて求めなければ、遊ばれることも傷つくことはないのに、それでも気の利く男性(ヤリチン)を求めるなんて、どうかしてるんじゃないか?ということだろう。ちなみに気の利く男性とは、例えば

「車道側を歩く」「入口のドアを開ける」「お会計はトイレに行ってる間に済ませる」「雰囲気の良いレストランに詳しい」「褒め上手、聞き上手」みたいな事

これをスムースに出来る人間らしい。

よっぴー氏のヤリチンパラドックスについて、ツイッター上でおそらく女性と思われる方が「女性は別にヤリチンを嫌っていない」と発言していた。相手がヤリチンであろうと気にしない人、傷つかない人は、男性にスマートさを求め続けてもパラドックスは生じない。例えば互いの浮気を認め合う関係とか、そもそも付き合っていない遊ぶだけの関係だと、スマートに気の利くヤリチンの良さを全面に享受できる。僕はそういう関係が理想だと思うし、どちらか一方だけが肩入れするのは不健全に感じるため、避ける傾向にある。お互いが遊びであれば、浮気にもならないし傷つくこともない。

例えば、女性の願望を最適化したヤリチンは、女性たちの共有財産だとみなせばよくないだろうか。彼が誰と関係を持とうとお構いなしで、自分の方を向いてくれるときだけうまくエスコートしてくれれば、それでお咎めなしだったらダメなのか?ヤリチンとは本質的にそういう存在だと思う。愛も優しさも持たない、対価を与えて願望を満たしてくれだけのロボットのような存在。

よっぴー氏は、「そういう小手先の優しさだけで人を判断するよりもっと本質的な優しさに目を向けたほうがお互い幸せなんじゃない?」と言っている。ヤリチンの行動というのは、女性の願望を最適化しただけの行動であって、優しさでもなんでもない。モテるための技術だ。それを優しさだと勘違いして股開いて相手がヤリチンであることに傷つくのはバカなんじゃないの?と言いたいのだろうか。

確かに身の回りで、自称「恋愛に失敗した人(女性)」の話を聞くと、そもそも恋愛にまで発展していないことが多い。ただ一方的にヤリチンを好きになり、股開いて遊ばれて、付き合ってもいないのに相手が浮気していた(遊んでいた)ことがわかり、傷ついているだけ。そういう事例を何度か聞いた。こういう人が男性に求めるのは、決まってスマートさみたいなやつだ。恋愛工学の教科書みたいなやつ。

僕が話を聞いた人は、女子校育ちだとか恋愛をろくにしたことがないとか、男女関係に不慣れな人が多かった。もしかすると一部の女性はこういうヤリチンパラドックスを乗り越えて成長していくのかもしれない。その渦中にあるか、もしくは乗り越えられなかった人がいるのか。ヤリチンに引っかからない人は、初めからこういう「手慣れた男性の危うさ」みたいな構造が見えている。

ここ最近で何度か、ポリアモリーなる便利なごまかし用語を聞いた。本当にそういう人がいるのかもしれないが、知り合いの話を聞いたときには笑った。

「私の彼氏はポリアモリーなんだって。私はそれを受け入れてるの。彼に他の彼女がいてもしかたがないの」

みたいなことを言われた。それ、ヤリチンに上手いこと誤魔化されているだけですよ!ヤリチンはあなたのこと彼女だと思っていないし、都合のいい女、性欲解消の道具ぐらいにしか思っていないし、あなたに対して優しさも愛情も皆無ですよ!ただ女性の願望に最適化しているから、あなたは彼の行動を「優しい」とか「愛されている」とか思っているかもしれないですけどね!

相手は完全に開き直っているだけなんだけど、「ポリアモリー」という如何にもそれっぽい単語を出されただけで、女性はわけもわからずに納得してしまっている。というかむしろ、それを認めて受け入れられる自分は進んでいるとまで思っている。男性からすればこんなに都合のいい言葉はない。

これはまあ、なんだろうな。無自覚なら滑稽というかなんというか、男女逆の場合はぶりっ子な女性ということになるのかな?思わせぶりな女性?「キャバ嬢が自分に惚れていると勘違いする男性」と同じです。対価が金か身体かの違いだけ。

僕はそういうのすごい苦手で、相手もわかるからか、そもそも対象外なのか、僕に対してぶりっ子が発動されることはこれまでになかった。僕自身は対等に話せる人、頭の回転が速い人が好きだから、自分をチヤホヤしてくる相手には全く関心を持てない。ざっくばらんにガンガン議論できる人がいい。自分に新しい世界と発見をもたらしてくれる人が好きです。キャバクラとかは会社の付き合いで数えるほどしか行ったことがないけれど、女の子を接待している気分になる。

思えば男女関係に限らず、人間は気が利く相手を求めがちかもしれない。そして気が利く相手ほど「自分のことを考えてくれている」「優しい」「愛を感じる」と勘違いする。本当は機械的に最適化しているだけなのに。僕は気が利く人を、どちらかというと受け入れない傾向がある。愛想がいい人もそうだけど、裏になにか目的があることが露骨すぎて、気分よく付き合えない。そんな回りくどいことをせず、はっきりと言い合える関係のほうがいい。

自分に取り入ってくる人に対して、「お、こいつは気が利くな」「お、こいつは話がわかるな」などと言ってお目掛けしようなんて、気持ち悪いじゃないですか。どこの腹黒大名だよ。信長と秀吉の有名なエピソードで、ホントかどうか知らないけれど冬に草履を懐で温めていたというのがある。あれは秀吉が自ら「親方様、寒いだろうと思って懐で温めてきました」と言わないのがポイントで、「おまえ穿いてきただろ!」と信長が秀吉にキレて、「いいえ、懐で温めてきました」と反論するから美談として語られる。信長もそんなことでキレんなよと思うが、この話は現代でも日本的おもてなしの手本みたいになっている。自らアピールしないけれど、ちゃんと相手が気づく気遣いをする。

僕が信長だったら「いや、そういうのいいから、ちゃんと現場で手柄立ててね」と言うだろう。

とにかく、「ヤリチンに遊ばれた」といって落ち込んでいる女性は、ヤリチンをディズニーランドか何かだと割り切ったほうがいいです。そして遊ばれる相手ではなく対等なパートナーを求めるなら、現実の男性とまともな付き合いを学んだほうがいいんじゃないか。チヤホヤしてくれる関係ではなく。