愛されたいと思ったことがない話

奥さんがバチェロレッテを見ていて、台湾でタコを上げるくだりかなにかのときに、タコ(灯籠?)の両面に、「お互いにとって愛とは何か」を書くみたいな場面があった。スギちゃんと呼ばれる上島竜兵みたいな男性は、「花びら」と書き、バチェロレッテは「生きる」と書いていた。「花びら」とは、つかもうとしても手元に収まらず、待っていれば手元に落ちてくることもあるもの、みたいな意味らしい。「生きる」とは生きることそものもが愛みたいな意味だったかな、忘れた。

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そこで自分にとって愛を一言で表せば何になるだろう、と思った。自分だったら何て書くだろう。愛とはなにか。すぐに思いついたのは、「空気」だった。どういう意味なのか詳しく書いてくれと言われたから考えてみる。

空気と言ったのは、あって当たり前のもの、みたいな意味だったと思う。自分にとって、ということだけれど、生きていく上で愛なんてものを改めて意識することがない。空気と同じように、当たり前のようにその場に充満している。愛と誠。

愛と平和が充満していない人も環境もあるだろうとは思う。現在の地球上に、大気は無条件で充満しているけれど、月や火星がそうではないように。宇宙空間が不安と混沌に満ちているように。自分は地球環境のようなぬるま湯、ゆりかごで生きているため、愛と平和を改めて意識する必要がない。そこにある空気と同様に、目に見えず、あって当たり前、分け与えるという概念すらない、共有財産だとさえ思わない、存在を意識しない空気。息をするように愛と平和。

Zガンダムにおいてクワトロ大尉がダカールで演説を行ったときは(ダカールの日)、このように表現していた。

人は長い間、この地球というゆりかごの中で戯れてきた。
しかし!時はすでに人類を地球から巣立たせる時が来たのだ。
その後に至って何故人類同士が戦い、地球を汚染しなければならないのだ。
地球を自然のゆりかごの中に戻し、人間は宇宙で自立しなければ、地球は水の惑星では無くなるのだ。
このダカールさえ砂漠に飲み込まれようとしている。それほどに地球は疲れきっている。
今、誰もがこの美しい地球を残したいと考えている。
ならば自分の欲求を果たす為だけに、地球に寄生虫のようにへばりついていて、良いわけがない。

この後クワトロ大尉(シャア・アズナブル)は地球に隕石を落として寒冷化し、人の住めない星にしようとするんですけど、意味わからないですね。

ここから得られる教訓はつまり、なんだろう、愛に甘んじていれば空気は汚染されるということなのか。宇宙空間で暮らすスペースノイドは、空気(愛)が無条件でもたらされない環境で耐え苦しみながら生きているというのに、地球で暮らす人間たちは空気(愛)を貪るばかりで地球環境を汚染してしまっている。地球を元の姿に戻すため、一度野に返そうという話。この例え全然わからなかった。

つまり、愛と平和はあるものにとっては空気のように当たり前であっても、無いものにとっては非常に得難く、獲得、維持するために大変な苦労を要するものだということだろう。

自分は本当に、愛がどうとか考えたことなかった。愛するとか、愛されるとか自然なこと過ぎて無意識だった。もっと空気を意識して生きていきたいと思います。ありがとう空気。