宝くじが当たらなくても仕事をやめた

宝くじが当たっても仕事はやめない - 意味をあたえる

これを読んで。

やめたところで一体どうやって生きていくのか。食うに困らなくなって、何をする必要のない人生が私には怖い。もう「仕事が忙しくて○○できない」という言い訳ができないのである。仕事が好きだと言うつもりはない。

この人は嫁も子供もいるからこういう発想なのか?それだけではないと思う。僕は食うに困らない人生が怖いなんていう発想はない。食うに困らなければ、どれだけ良かっただろう。ずっとそう思っていた。仕事が忙しいとき、僕の神経は常に衰弱していた。「仕事が忙しくて○○できない」という言い訳は可能な限りしたくなかった。仕事以外にやりたかったことがあったわけではない。

僕は宝くじも当たっていないし、配当金だけで暮らしているわけでもない。仕事をやめたとき、一番現実的だと思えた最後はホームレスになって死ぬことだった。飢え死に、行き倒れは、生物として一般的な死に方だと思った。どんな死に方がいいとか、若い頃はあったかもしれない。でも結構前からどうでもよくなった。最近身近で病死した人を見て、死の間際にまで立ち会い、どんな死も等しく苦しいのではないかと思った。だったら形にこだわるのは無意味ではないかと。

ただそれまでに、やれること、やり残したこと、興味を持ったことに手を出そうとしていろいろしてきたのが、仕事をやめてからの5年間だった。今のところまだ間近に自分の死は迫っていない。宝くじが当たっても、焦らないだろうな。「資産を守ることに注力せねば、とか考えると憂鬱」はちょっとありえない。普通に手堅く運用すると思う。今年はコロナのタイミングで一時的に下がったけれど、そのとき買増した分が順調に上がって、コロナ以前より増えているという人は多いんじゃないか。

さらに元の文章

こんな世の中だからこそ、「本当のお金持ち」の話をしよう。 - いつか電池がきれるまで

こちらも読んだ。こちらは税金や資産形成の話。労働の対価で蓄財することと、投資によって資産を増やすことを対比している。ここに書かれていることは極端で、必要十分な小金持ちの例が抜けている。自分の知り合いの投資家は、仕事もしながらIPOも当たらず、10年ぐらいかけてコツコツと5千万から1億程度の資産を投資で築いた。目標とするなら、選ばれた立場にいるスーパー金持ちよりも、スタート地点が大して変わらないこちらじゃないのかな。持たざる者が、元々持っている人に追いつく必要なんてあるか?追いつきたいと思わない。年収1億なんていらないでしょ。

僕がそう考えるのは、お金を全然使わないからかもしれない。ギャンブル依存症ではないし、旅行はするけど贅沢な旅行はしない。お酒は飲むけれど高いのをあえて飲んだりしない。店で飲むよりボトルを買って家で飲むことのほうが多い。タバコは1年半吸っていない。ソシャゲには課金しない。10年ぐらい同じ服を着ている。本はブックオフの100円コーナー、新刊は図書館で借りる。グルメでもない。というか食べるの苦手。今まで何度も「そんな人生楽しい?」と言われてきたが、僕は浪費することの喜びはあまり感じない方。虚しさが勝る。

今はレコードを買ったりしている。1ヶ月で3,000円とか?子供の小遣い程度。生活できる前提にはなるけれど、お金を使わない生活をしていれば、お金のことであれこれ悩むことはあまりないんじゃないかなーと思う。資産がどうとか、取り組むのはいいと思う。けれど極端に恵まれた人たちと自分を比べたって、あまり意味がない。それが格差なら、昔からそうだったと思うし。