飲酒喫煙外交

今思えば、酒の席で人と仲良くなることが多かった。打ち解けるというか、認知されるというか。自分はお酒に弱いため、飲んでしまうと結果的に羽目を外すことが多かった。それで失敗したり怒られたこともあったが、どちらかというといい結果の方が多かった。次の日に知らない人に顔を覚えられていたり、名前を呼ばれたりして、こちらは全然記憶にない、ということがけっこうあった気がする。

飲み過ぎると記憶をなくすから、誰と仲良くなったか覚えていない。自分の振る舞いさえ覚えていないことがときどきある。それがよくないなーとは思いつつも、飲む前より飲んだ後の方が、周りの僕に対する印象が良くなっていることが多かった。何故か。おそらく、普段は物静か、大人しい、無口、話しかけづらい、イライラしている雰囲気なのが、酒の席では多弁で気安くなるのだろう。酔っ払ってタガが外れて、実は明るい人、愉快な人、みたいに思われるんだと思う。

いや、まあなんつうか、そんなことあったなあという思い出です。今はどこにも所属しておらず、そういう機会がない。お酒を飲むのはだいたい家で一人か、奥さんと飲むだけ。お酒は、もともとずっと、毎日家で一人で飲んでいた。人と飲む機会はときどきあったぐらい。進んで参加したり開催したり人を集めたりするようなことはなかった。自分にとっての飲酒は習慣みたいなもんだったんだけど、人と飲むときは外交手段として役に立っていた。

タバコも同じ。2年前に禁煙を始めて、今で2年と2ヶ月続いている。タバコをやめてよかったと思うことはない。タバコがきっかけで人と話すことは多かった。特に、団体で活動するとき。昨今では喫煙者も少なく、喫煙スペースも狭いため、必然的に距離が近くなる。タバコを吸っていなければ、顔も名前も知らず、話すこともなかった、という人はたくさんいる。それはお互いがそうだ。

喫煙所でタバコについて話すことは滅多にない。タバコを吸う人が喫煙所に来ているだけで、タバコが趣味だとか特別タバコに思い入れがある人たちではない。喫煙所では、ただタバコを吸うついでに、日常の雑談をするだけ。そういう機会というのが、普通に生きていると意外と少ない。滅多に無い。休憩しているときに話しかけたりしない。食事をするときは、見知った間柄の特定の人としか行かない。喫煙所には本当に、そこでしか接点の無い人たちがたくさんいて、そこでしか広がらない会話があった。

だから、喫煙外交はうまくいっていた。喫煙外交に失敗したという人の話をきいたことがない。誰にでも開かれた機会が、喫煙所にはあった。今の僕にはそういうのがなくなったんだけど。

今思い返してみれば、場の影響によって無意識のうちに、人と打ち解けていた。人とのつながりを広げようとか、人と仲良くなるために、そういう意図というか野心を持って、酒を飲んだりタバコを吸うようなことはなかった。団体に所属しなくなり、飲酒喫煙外交の機会もなくなり、人と打ち解ける必要もなくなった。

謎の独立国家ソマリランドによると、ソマリランドではカート宴会というカート(麻薬の一種)を貪り食う集まりが社交場の役割を果たしているそうだ。飲み会や喫煙スペースのなくなった日本社会には、人と人が打ち解ける機会はあるのだろうか。むしろ酒もタバコも呑まないという人は、一体どうやって不特定の人と仲良くなるんだ。スポーツとかか。