営業が苦手っていう話

今日ポッドキャストを聞いていたら、営業が苦手っていう話を思い出した。かつて日記に書いたような気もする。

自分は会社員時代に営業職のような仕事をしていた。ノルマがあったり歩合だったりするわけではない、飛び込みとかテレアポとかもしない、相談・解決がメインというような、営業っぽくない仕事だった。上司は担当そっちのけで仕事を取ってくるような営業オバサンで、事務が苦手な人だった。その人が「営業はやっぱり人だから」と言っていた。同じ商品でも、営業担当が優れていれば買うし、売れる。それは確かに世の真理だと思う。

「営業はやっぱり人」、僕はその言葉が引っかかっていた。営業担当は契約を取っても、アフターフォローはしない。僕がいた会社は引き継ぎがしょっちゅうあり、契約後の担当はコロコロ変わっていた。人で選んだはずなのに、選んだ人は契約の成果だけ取って外れていく。気づいたら別の担当がついている。そんな体制ではたして、その場の成り行きで、人で選んで契約していいのだろうか。

僕は、商品(製品)は、商品価値で売るべきだと思っていた。説明して価値がわかってくれる人に、価値を見出してくれる人に契約してほしかった。営業担当なんかで選んではいけない。ましてや人柄なんかで商品を買っていいのか。「営業はやっぱり人」という言葉の元で結ばれた契約が、モノではなく人に金を払っていることにならないか不安だった。ちゃんとモノを良いと思っているのだろうか。人で選んでも、その人は商品ではない。

僕自身も、営業担当で商品を選びたくないと思っている。モノについてよく調べ、会社の体制や評判も調べるようにしている。いくら営業担当がいい人でも、商品が合わなければ手を出そうと思わない。だからなるべく営業には会いたくないとさえ思っている。営業の良し悪しは、物を選ぶにあたってノイズにさえなってくる。優れた営業力なんてものがあるとしたら、僕にとってそれは、モノの良し悪しを正確に説明できる人になる。それはwebページにでも書いておいてくれれば事足りる。

かつて、マーケティングができれば営業はいらないと言われていた。客層は選ぶと思う。いくらマーケティングが成功しても、待ちの姿勢の人に対して営業が有効なのは変わらないだろう。人に勧められないと意思決定ができない、隠れたニーズが本当に隠れたままの人は確かにいる。かたや、自ら調べては積極的に情報を取りに行ったり、要る要らないの判断がはっきりしていて不要な営業がノイズになる人もいる。

もしくは、忙しすぎて自分から動いている余裕がない人もいる。そういう人には向こうからやってくる営業が便利かもしれない。そうなってくると結局は相性なのかな。見極めが肝心。自分は営業を避けがち。