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カナダに来て変わったこと

日常生活

一番変わったのは何と言っても日常生活だろう。所変われば品変わるではないけれど、住み方も変わる。だからこのあたりは日本に帰ったり他の国に行くとまた変わると思う。

食事

僕は何度もここに書いているように、痩せた。それもひとえに食事が変わったからだ。こっちへ来て特に運動しているとかそういうことはない。むしろ日本に居た頃の方がしていた。痩せた話はこれぐらいにして、僕は日本にいた時外食か、惣菜などを買って食べるのが基本だったものの、こっちでそれだと高く付く上にまずい。結果的に自炊することになった。自炊と言ったって僕が食べる食事は3種類ぐらいしかない。ただ自炊安い。毎日パスタを食っていると尋常じゃないぐらい腹が減ります。

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風呂

汚い話になるが、こっちにいるとあまり風呂に入らない。これは僕だけかもしれない。湯船に浸かるとかそういう話ではなく、シャワーさえしない。だいたい2日に1回か酷い時は3日に1回だったりする。こっちは空気が乾燥しているためあまり汗をかかない。すぐに乾いてしまうから臭くもない。不潔感があまりない。トロントニアンでも週に1回とかしかシャワーしないのが普通だと聞いた。そのあたりは人によると思う。ただ日本人は大抵日本にいる時と同じように毎日シャワーを浴びている。僕はめんどくさいだけ。

掃除洗濯

こっちでは基本的に家や建物がボロボロで汚かったりするから、いちいち掃除してられない。壁とか剥がれまくってやりだすとキリがない上にまたすぐ掃除しなければいけなくなる。さすがに髪の毛やホコリが出てくるから掃除機をかけたりするものの、日本にいた時は暇があれば毎日していた。会社員の時も週1回は掃除していた。今はそんなこともない。また、持参している服が限られていることと、僕が今住んでいる家はコインランドリーに行かないといけないため洗濯は週1回のみ。コインランドリーはこっちで結構普通。

英語

当たり前だけど、買い物をするにも喫茶店に行くにも道を尋ねるにも何もかも英語だ。唯一日本人と会話している時や、こうやって文章を書いている時が日本語になる。ストイックな人がよくやるのは、こっちに来たんだから全部英語にしてしまう。日本人との会話も英語、文章も英語、何もかも英語、そうやって上達を目指す人は多い。僕はどうしても日本語の文章というのが捨てきれなかった。また、日本人との接点も多くあったため結局半々というところ。英語は計画的に勉強しないと伸びません。断言できます。

外国人に対して

僕にとって外国人というのは、多くの日本人にとってそうであるように、遠い存在だった。今でも遠いことには変わりない。しかし1年とは言え、外国で暮らして今まで接点のなかった外国人たちと関わり、思うところに何かしら変化はあった。

外国人に対する印象

各外国人に対して持った印象というのは以前にまとめたのでここでは省こうと思う。

特にこっちの人、トロントニアンについて思ったことは、まず外食が多い。金持っている人に限らず、レストランに限らずコーヒー、サンドウィッチ、トロントに来て初めに気づくのは、コーヒーの紙カップを持ち歩きながら歩く人の多さだ。そしてレストランが繁盛している。外食クソ高い(物価の違いもある)にもかかわらず、彼らは外食しまくり。金があるのか、金遣いが荒いのか、それとも福祉が強くて備える必要がないのか。

こういう些細な気付きは1年かけて色々書いてきた。他にも冬になると女の人がタイツを地肌に履いてそのまま外を歩いているとか。この姿は本当に多く見かける。日本で言うところのレギンスのみになるんだろうか。さすがにこっちに住んでいても日本人であれをマネする人はいない。 

人種に対する偏見

人種に対する偏見というのは少なからずあった。そもそも知識が少なく、偏っているから無い方がおかしい。またこちらで直に接することにより、新たな偏見なども芽生えた。

例えば、僕は全然知らなかったんだけど白人と黒人と黄色人種では体臭の種類が違う。食べ物等で変わってくるのかもしれないけれど、根本的に臭くなった時の臭さの種類が違った。これはいろんな国へ行ってみるとより実感すると思う。あとは黒人の発音の聞き取りにくさとか、街でたまに冷遇されている様子であったり、そういうのを肌で感じた。食べ物の好みなども人種によって違ったりするけど根拠は不明。

東洋人は、だいたいどこへ行っても東洋人に理解のある人以外には相手にされていないという印象だった。中韓からの移民が多く言葉を話さない人もいるためかもしれないけれど、東洋人であるというだけのことが、彼らにとっても一線引くに十分な理由なのかもしれないと思った。それぞれのコミュニティは分かれており、混ざり合っていない印象。

日本人に対する印象

こっちにいる日本人についてもよく考えたけれど、それ以上に日本にいる日本人について、こっちにいる間に本当によく考えたと思う。まず、外国で女の人がチヤホヤされて、男の人は見向きもされないというのは正解。これはモテるとかモテないとかそういう話ではなく、実に合理的でわかりやすい。日本人の女の人には価値があり、男の人には無いから。男の人でも自らの価値が醸し出ていたり主張して聞き入れてもらえれば受け入れられると思う。そういうめんどくさい世の中なのはどこの国へ行っても同じだ。

日本にいる日本人に対して思うことは、日本にいた時と結局変わらなかった。特に2014年は年間を通して外から日本のニュースを眺めていたが、終始「くだらないことで騒いでるな」という印象しかなかった。大きく取り上げられるニュースがそれで、本当に大事な内容も隠れているというのはわかるんだけど、まあなんてくだらないんだろう日本社会。メディアがゴシップまみれになる経緯としては、ゴシップが儲かるから←ゴシップを喜ぶから←知能が低いから、というフローがある。つまりバカが悪いと。教育レベルの国際比較や教育水準や教育改革などがずっと叫ばれる理由はここにある。根本を正そうと。バカを矯正しないと国が滅亡すると。しかしそれを正そうとする側がそもそも正しいのか、そういう議論も方向性も進まず、ずっと上手くいっていない印象。学問のすすめとか面白いです。

国や社会

外国に住んだことがある人だったら「国が違えばこうまで違うのか」「文化が違うってこういうことか」「国や文化が違ったところで大差ないな」どれも感じたことがあると思う。いわゆる旅行で訪れるファンタジーの外国とは違い、住んで実感することは確かにあった。ここでも否応なく日本disになりそうだ。日本のいいところは食べ物が美味しい。

カナダに対する印象

カナダと言っても僕はトロントにしか住んでいない。ここトロントの特徴として以前に書いたのが、外国人が日本に来ることと、日本人がトロントに来ることは全く違うという点にある。トロントでは多文化主義が浸透しており、各国からの留学生や移民が多い。日本人がいたところで何ら異質なところも不自然なところもない。トロントニアンが「カナダ人って何?」と言うぐらいだ。

しかし日本では違う。日本では日本人による日本社会が形成されており、そこに入り込む外国人はどうしても異質な存在になりがちだ。受け入れられるとしても言わば「特別枠」として受け入れられる。メインストリームに乗っかるには何年かかるだろう。日本ではなくこっちにいたって最低限英語が話せなければ同じことではあるが、日本において日本語が話せること、日本文化に馴染むことと、こっちで英会話ができることとは全く意味合いが違ってくる。それは文化の違いだけでなく歴史の長さとか国の成り立ちとか様々な理由があるにせよ、カナダは移民の国だから必然的に外国人が住みやすい事を強く実感した。

日本に対する印象

僕が日本で生き難いと思う理由の一つとして大きいのが、誰でもかんでも横並びしたがるという点にあった。僕はそれがすごく嫌いであり苦手であり、尚且つ横に並べなかった。誰もがそれを最良で最善だと信じており、安心しており、横に並べない異質な存在を受け入れられず、排除するかもしくは厄介者として扱う。僕はそのどちらも耐えられない。ここにいる多くの日本人も、この1年がまるで何事もなかったかのように、日本へ帰れば日本社会へと溶けこんでいく。どうしようもないにしても、それは少しもったいない気がする。外国に住んだという経験は、それは外国への逃げ道になってほしい。何もどこかの国へ永住するとかそういう話だけではなく、例え短期であっても外国に住むという選択肢を自分の心の中の何処かで「アリだな」と思わせる事が重要だと思う。場所や仕事、人や時代によっては日本で住み続けるよりもずっと過酷かもしれない。それはわからない。しかし何も生まれてから死ぬまでずっと日本に居続けることはないんだ。海外は旅行のためだけにあるレジャー施設ではない。そこに住むという選択がもっと浸透すれば日本人にも心の余裕が生まれ、日本社会の風通しも良くなってもっと住みやすい場所になるんじゃないかなと思った。