京都の意外な話

京都と言えば一般的には寺、町家、舞妓さんみたいなイメージなのだろうか。今回はそんな文化的な話ではなく、庶民的な話になる。僕のように生まれも育ちも京都の人間からすれば常識であるようなことも、京都に馴染みがない人にとっては意外なことってあるかもしれない。京都人に限らず関西人でもまあ知っている、しかしそれ以外の地域の人にとっては多分意外な、京都の一面をいくつか紹介してみたい。ちょっとばかり思い出を回顧みたいな日記になってしまう。

 

大学が多い?

関西圏で受験をしたことがある人は京都に大学が多い印象だろう。ちなみに京都で有名とされる大学は、京都大学、同志社、立命館ぐらいが挙がってくる。その名前も関西圏の人か、関西圏で大学受験をしたことがある人ぐらいにしか馴染みがないかもしれない。地元の人が目指すのは国公立の府立大や、理系なら京都工芸繊維大学。医学生なら京大医学部に次いで京都府立医大、芸術系なら市立芸大とかになるのかな。よく知らない。ちなみに高校だったら僕らの時代は京都教育大学附属高校が名門だった。今は堀川高校とかだろうか、時代が違うのかもしれない。私立だと洛星高校洛南高校は今でも名門校だろう。

さて、肝心の大学の多さについて。ネットで探すと既にそれを調べた記事や統計データありました。ちょっと引用します。

大学数 7位 京都府 33校

全然多くない。1位東京138校は別格だとしても、2位大阪56校、3位愛知51校と、大学の数で見れば全国7位というのは決して多い数ではない。「京都は大学多い」って勘違いだったのだろうか?しかし、市町村別の統計を見てみるとそうでもなかった。いわゆる京都市に関しては

大学数 2位 京都市 26校

京都という弱小の市が東京に次いで2位ってことは、多い方に値するのだろう。それより気になったのが、市の人口における学生の割合。

学生率 1位 京都市 10%

この10%、市の人口における10人に1人が学生って数字が実はぶっちぎりのようで、2位東京23区にあたっても5.8%しかない。ちなみに3位5.1%は福岡市だそうです。

http://www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/7274/1/201311SP.pdf(PDF)

まとめると、京都府で見ると大学が多いわけでもない。京都市で見れば多いっちゃ多い。そして人口の少ない京都市において大学が多いため、学生の比率で見るとすごく多くなる。つまり多いのは学生だった!!ついでに学生の比率は京都府で見ても全国1位らしいです。

学生率 1位 京都府 6.17%

大学(都道府県データランキング)

「街を歩けば大学生に会う」「若者の町」「大学生のバイト競争率が異常(京都の学生しか知らない)」っていう京都市の印象はあながち間違ってはいなかった。文化と伝統の町とされる京都が実は「若者の町」っていうのは、京都に馴染みがない人にとって意外だったのでは?

お笑い芸人が多い?

関西にてお笑い芸人といえば吉本興業、松竹芸能の大阪だけど、果たしてどれぐらいの人が京都とお笑いのイメージを関連付けているだろうか。大阪と京都は隣同士なため、京都出身のお笑い芸人というのも結構いる。有名な人だと

上岡龍太郎
島田紳助
バッファロー吾郎竹若
宮川大輔
サバンナ高橋
チュートリアル
ブラックマヨネーズ

京都府出身の人物一覧 - Wikipedia

「キック・ザ・キッド」とは何か?:京都出身のお笑い芸人さんたち - livedoor Blog(ブログ)

僕の芸人感がかなり偏っているなあ、上に挙げた人はみな京都市の人たち。市外も含めるともっと多い。吉本興業に関しては昔、京都花月という劇場があった。そして今は祇園花月という劇場が京都にある。2011年からあったそうだけど僕は2009年から京都を離れていたため全然知らなかった。

よしもと祇園花月 - Wikipedia

関西圏以外の人から見て、「大阪人」と聞くとお笑い芸人のイメージがあるかもしれない。「関西人」という括りでも印象としてはそうだろう。しかし「京都人」という枠になると途端にお笑いのイメージから外れ、どこか気取っていけ好かないエセ文化人みたいなイメージを思い浮かべる。しかし実際僕ら京都人は大阪のテレビやラジオ番組、劇場が発するお笑い文化圏に育ち、大阪人と気質の違いはあれど、日常的に笑いに馴染みがあり、愛してやまない点については大阪人に追従する勢いだと思う。京都人が面白いかどうかというのは、何とも言えない。クセの強い笑いで好き嫌いがあるかもしれない。

共産党が強い?

京都=共産党っていうイメージを全国の人がどれぐらい持っているのだろうか。僕自身は共産党に投票したことないんだけど一般的には強いらしいです。「京都 共産党 強い」で検索すると出るわ出るわ、その根拠もかなりいろんな説があり、僕は単純に「学生が多いから=学生運動の名残」だと思っていたんだけど実際はどうなんだろう。

個人的にはそんなに興味のあるトピックではないんだけど、確かに周りで支持していた人は多かった。ただし年配層に限られる。

何を隠そう、うちの親父はレッドフラッグを購読している。他にもエノクとか、青木雄二も好きだった。まあ読売新聞も購読しており、根っからの赤というわけではない。彼はソビエト共産党も中国も嫌っていた。思想的にはよくわからないが、共産主義という理想を思い描きながらも現実と折り合いをつけている一般人なのだろう。京都=赤という印象は忘れてしまっていい。

京言葉?

僕は生まれも育ちも京都だから京言葉を話すんだけど「京言葉ってどんなの?」「大阪弁と(関西弁と)どこが違うの?」と言われてもなかなか説明しにくい。一般的な舞妓さんが話す「どすえ」は使わない。あれは極端な京言葉だと言えるんじゃないだろうか。あと僕は世代的にかなり薄れてしまっているため、「おくれやす」とか「おいでやす」も言わない。多分昔の人なら使った。うちの母親なんかは今でも普通に「おおきに」は言う。僕は言ったことがない。

それでも、出身を聞かれて京都と答えると結構な割合で「確かに話し方が京都っぽい」と言われる。特に関西人同士であればその違いがはっきり分かるようで、大阪人の話す大阪弁と都人の話す京言葉は比べてみると結構露骨に違う。また、言葉遣いだけでなく声のトーンや話すテンポ、物腰などにもその違いが現れている。僕はあまり意識したことがなかったんだけど、大阪で働くようになった時職場に大阪人や奈良、兵庫、和歌山などのその他関西圏の人たちと京都人が混ざって話すと、京都人がいれば話していて同郷だということがすぐにわかる。それは京都に限らずどの地域出身でも同じかもしれない。

京言葉を解説しているサイトはたくさんあった。

京言葉 - Wikipedia

まずWikipedia。分類などもある。

漫画を添えた、簡単でかなり分かりやすい紹介。

京都弁 会話・単語・難解地名集 | 必修!京都弁講座|京都を遊ぶ|京都旅行ならJR東海ツアーズ

基本的な用語集。旅行ガイドブックの巻末にある簡易外国語辞典みたいなの。

京言葉

文法なども含めたかなり詳細な情報。

京言葉に関心がある人は少ないだろう。ここで言えるのはステレオタイプな「どすえ」とか「ぶぶ漬け」とかそういうのは全然一般的じゃないっていうことぐらいだろうか。意外かな?どうだろう。

観光で成り立っていない?

京都は観光地としての印象が強いかもしれないが、京都に住む多くの人は、実は観光業とあまり関わりがない。どこかにデータがないか探したが見当たらなかったため、狭い観測範囲から得られた実感で話す。少なくとも僕の周辺で観光に関わり、観光の恩恵を受けている人はいなかった。実家は全然関係なかったし、親戚においても普通の会社勤めだったり織物をやっている人はいるが買うのは観光客ではない。また友人やその親、その他周囲を見渡してもても何らかの形で観光に関わっている人というのをほとんど見たことがない。僕自身も大阪で働いていたから全く関わったことがなかった。関係ないけれど職業ネタの延長で、中学の同級生には能の跡取りがいた。他にも千家(千利休の末裔)の人がいた。

京都の財政における観光業の占める割合というのは大きいのかもしれない。しかしその恩恵を受けているのは一部の観光業者であったり寺や旅館、観光客向けのレストラン等に限られ、多くの一般市民はほとんど関係ないというのが僕の実感だ。僕らは観光客が行くところには基本的に縁がない。また、京都はそこそこ有名な企業も多く、地元勤めであってもいわゆる普通のサラリーマンが多い。

京都市 - Wikipedia

京都=観光地というイメージがあまりにも定着しているため、京都の人はみんな観光業に携わっていると思われていても不思議ではない。実態経済がどの程度観光に依存しているのか定かではないが、観光に関わりのない人が多いというのは実は意外な点なのではないだろうか。

これも僕の実感でしかないけれど、京都に住む多くの人は観光客に対してあまり有難味を感じていない。観光客をもてなそうとか、お金を落としてくれてありがとうという感覚は皆無に等しい。それもそのはずで、恩恵を受けていないから。それどころか中には観光客嫌いの人もいたり、迷惑を被っていると嘆く人もいる。「京都人は冷たい」という印象の一つとして、この観光客から迷惑を被る地元の人の、毛嫌いする対応があると思う。

ただおそらく、多くの人は昔から観光客慣れをしているため、今更観光客がどうこう思わない。春や秋の修学旅行生などは見慣れた姿であり、よく外国人に道を聞かれて教えていたりもする。それにしてもやはり観光客は多いため、地元の人と観光客との距離がもう少し縮まるような仕組みができれば、地元の人とのわだかまりもなく、より多くの観光客を誘致でき、地元の人と観光で来る人の双方がお互い良い印象を抱くことができるのではないかと思う。ということはやはり行政の問題なのかな?仮にその部分が大きかったとしても、丸投げせずに少しでも自分たちで何かできればお互いの誤解は解消されやすくなるんじゃないかなあ。

ラーメンが有名?

ラーメンなんて全国にある。北海道から九州まで、あちこち地域で有名なラーメン屋はあるだろう。「その中でも京都が」という話ではなく「実は京都にもラーメン激戦区なるものがありまして」という話だ。特別ではない。有名でもないだろう。「京都でラーメン?」って言われたこともあり、一般的な印象は薄いと思うからご紹介です。このブログで京都のラーメンについて扱うのは3回目ぐらいだろうか…。

特徴としてはやはり、歴史が古いということになるのかな?京都ラーメンの発祥は1938年らしい。これはどうやら博多とんこつラーメンよりも古いらしい。でも札幌ラーメンの方がもっと古いみたいだ。京都ラーメンは知名度の割に歴史があり、古くから庶民にとって馴染みがあるっていうことでいいだろう。

京都ラーメン - Wikipedia

味の特徴としては。濃い。そして甘い。子供の頃から京都のラーメンを食べてきてこれが普通だと思っていたから、他の地域に行ってラーメンを食べた時の違いや、京都に戻ってきた時に食べたラーメンの味の懐かしさっていうのは地元の人間ならではの感想である。他の地域から来た人で、ラーメンが好きだったら一度試してみてほしい。

そういう話を持ってきておきながらも僕は店とかに詳しくないため、ランキングなどをしているほかのサイトを引っ張ってきます。

このランキングは定番が多い。

こちらもある程度定番で固まっている。写真はどちらも新福菜館ですね。

一乗寺が多め。

京都でラーメンというのは、ラーメン通でもなければ意外だろう。そして京都のラーメンはごてごてトッピングで1000円近くするような最近のラーメンではない。500〜700円ぐらいの安くて古くからあるオーソドックスなスタイルが多いため、量や見た目、話題性で誤魔化していない本物が味わえると思う(僕はどちらのラーメンも好きです)。

地元の人は京都のどこで過ごす?

さて、そんな観光地京都に生まれた我々ですが、地元の人は一体どこでどのような生活を送るのか。意外なところもあるかもしれないのでご紹介です。これは僕の経験談であり一般論ではなく、かなり偏った思い出回顧録。

子供時代

僕は北区出身であり、子供の頃はだいたい北大路とかで買い物をしていた。近所のおもちゃ屋やゲーム屋に集まってアーケードゲームをやったり家でゲームをして過ごしていたことが多かった。少年時代にはゲーム以外にもプラモデルとかミニ四駆とかエアガンとかマンガが僕らの娯楽だった。新大宮商店街にあった「だるまや」はもう潰れた。本屋にもよく通っていた。一番良く通ったのは近所の本屋で、少し遠いところだと大垣書店、マンガが豊富だったのは千本北大路のリーブルとか。大垣書店はここ10年くらいで支店が増えた。昔は烏丸北大路の本店が一番大きかった。僕は中高と受験したから、学術参考書が一番豊富だったのは京都駅にあるアバンティブックセンターだった。遠いからあまり行ったことがない。

夏はよく賀茂川の上流で泳いだりもした。柊野ダムやもっと上流にある大岩、螢谷キャンプ場でバーベキューやキャンプなどをしていた。今は遊泳禁止になっている。山にも何度か登った。船山や大文字山、比叡山は保育園の遠足でよく連れていかれ、花背山の家には何度も行く羽目になった。愛宕山にも登ったことがある。意外と自然は多い。川に関してはもう泳げるような場所はないんじゃないかな。

映画などを見るときは河原町のスカラ座によく行った。今はない。今だと新京極のmovixとか二条のBiViになるのかな。今の人はあまり映画館で映画見ないか。遠出するときは大阪だった。母親が海遊館に連れていってくれたことがあったり、なんばグランド花月にも行ったことがある。京都は景観条例というのが厳しく、高い建築物を建てることができない。大阪へ行くと高層ビルばかりで、少年時代の僕には都会だという印象だった。

中学生の時

中学生になると北山とかで買い物をするようになった。当時北山にはBEAMSがあり、トランスコンチネンツとかもあった。僕が買ったソーラーの時計をテレビでパフィーがつけていた時は軽くショックだった。BEAMSが入っていたところにはヴィレッジヴァンガードが入り、去年に潰れた。その後は京都に帰っていないため、今何が入っているか知らない。BEAMSは新風館に移り、そこからまたどこかに移った。BEAMSで買い物するってことはさすがにもう無いだろう。行動範囲が広がり、新京極にも友達同士で足を運ぶようになった。spinsという古着屋で服を買ったりしていた。中学生の頃はだいたい服だったり靴だった。ジーンズやスニーカーが流行っていた時代だったからcool taransとかsmartとか雑誌もよく買っていた。あとは音楽をよく聞いていた。音楽と言ってもJ-POPで、僕の中学ではなぜか黒夢が流行っていた。京都のCD屋と言えば十字屋であり、三条と北大路の店にはよく行っていた。でもCDはあまり買わず、レンタルしてMDにコピーしていたから空のMDを買いに行くことが多かった。北大路の十字屋は潰れたらしい。

中学の頃はどこかに行っただろうか。あまり思い出せない。週3日、夕方から夜まで塾に通い、夏休みは毎日朝から晩まで通い、そんなことしか覚えていない。受験には失敗した。

高校生

高校の頃はほとんど服を買わなかった。僕は私服の高校に通っていたが、いつも同じ服をローテーションで着ていた気がする。高1の時にマクドナルド金閣寺店でバイトをしていた。金閣寺にはいまだ一度も行ったことがない。バイトで稼いだお金はだいたい携帯代とかパソコンの用品に消えていった。当時iモードが始まった頃で、携帯のパケット通信料がかさんだ。京都には寺町電気街という小さな電気街があり、そこによく通っていた。主にパソコン関連雑誌やCD-Rを買いに行っていたような気がする。単価の安いディスクを探し回っていた。高校の頃の記憶というのはあまりない。学校で寝て家でテレホタイムから2ちゃんねるに入り浸っていたがそのうち常時接続になり、常に入り浸っていた。クラスメイトが授業中、面白半分で各科目の先生に出身大学を聞きまくっており、東大や京大出の先生が多いことにみんな驚いていた。京大や東大を出てこんなふざけた生徒たちの相手をしなければならないなんて。僕の高校は1年の夏休みに比叡山で勉強合宿があった。修学旅行は理系のクラスということで種子島宇宙センターと屋久島だった。楽しみのかけらもない。

相変わらず本屋にはよく行っていた。丸善京都店はまだ潰れる前で、檸檬の置物があった。一度潰れたけれど最近また復活したらしい。ちょうど現代文の授業で檸檬を読んでから足を運んだのを覚えている。河原町にあった駸々堂が潰れたのはもっと前だった。その後にできたブックファーストにもよく行っていたがそれも潰れた。烏丸三条には新しく大垣書店ができていた。そう思うとジュンク堂は大手とはいえ長い間同じ場所にずっとあるもんだ。音楽は高校の頃もよく聞いていた。インディーズバンドが流行っていた時代で、ハイスタとかブラフマンとか、ポットショットとかB-Dashを聞いていた。北山にあったJEEZという店にたくさん置いていたが潰れた。

大学生の頃

大学生になると僕は中型バイクに乗っていたから、また行動範囲が変わった。バイクに乗って琵琶湖に行ったり嵐山の道を走ったり、宇治川の方にも足を伸ばしていた。また、日雇いのバイトで市外にもよく行っていた。今思えば何もわからずよくあんなことやっていたなあ。大学生にもなると彼女がいて、外食なんかもするようになった。木屋町のオムライス店に行ったり、スターバックスなんかも流行りだした頃だったから烏丸三条のスターバックスにはよく行っていた気がする。一人では行かないようなところだった。一人で行かないと言えば、通り過ぎるだけだった御所に梅の花を見に行ったり、京都コンサートホールで彼女の知り合いが演奏するオーケストラを聴いたり、清水寺の紅葉ライトアップなんかも行った。清水寺はそれまで行ったことがなかった。京都以外だと城崎温泉に行ったりディズニーランドに行ったりもした。そのへんはあまり関係ない。

服は大学生らしく四条通にあるユナイテッドアローズやSHIPSで買っていた。新京極も卒業しておらず、ユーズドもよく着ていた。当時新京極にはCA4LAの路面店があり、帽子もよく買っていた。当時の彼女に吉田カバンのショルダーバッグを藤井大丸で買ってもらったのは覚えている。誕生日か何かだったと思う。僕が何を買ってあげたかは全然覚えていない。ああ、ティファニーのなんとか。当時WinMXなどが流行り音楽はほとんど買った記憶が無い。聞いていたのは大学生らしくNIRVANAとかNUMBER GIRLとか。本は大学生の頃に一番よく買っていた。多くは三条京阪にあるブックオフで買ったものだった。それか、この時はもう既にAmazonだった。本じゃないけれどiPod shuffleをAmazonで注文したら遅れまくってキャンセルしたのを覚えている。当時の日記が残っていた。 

ずっと京都で過ごしてきた

多くはないけれど、いくつかの京都の地名や店が出てきた。それらの大半が潰れてしまった。僕は大人になるまでほとんどの時間を京都で過ごしてきた。大阪に行くようになったのは就職活動からで、それまでは大阪の地理も全く知らなかった。それは僕に限った話ではなく、京都人はあえて大阪まで出る必要がなかった。大阪に行くのは阪急電車でたった45分なんだけど、何をするにも京都でまかなえていた。今はどうか知らない。でも京都人だった僕は、地元でこんな感じに過ごしてきました。普通だ。観光地としてではない京都とそこに住む京都人の姿が垣間見れただろうか。内容がローカルすぎて殆どの人にとっては理解できない話だったかもしれない。