両親に感謝の気持ちなんて持ったことない

これを読んでいて思った。

まあ、なんだろ、両親に対して人として感謝したことはいくらでもある。でもここで言われているのは、親として、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうって意味だよな。そういう感謝の気持ちは全くない。子を産むというのは親の選択であって、子の選択ではない。だから産んでくれてありがとうとは思わない。育ててくれたことに関しては、そりゃ義務だろと思う。人として当たり前だろって。産んだのに育てないのが責任放棄なだけであって、育てるのは普通だと思う。スティーヴ・ジョブズが里子に出されたとき、里親になる条件として「子供を大学に行かせること」だったらしいが、ジョブズが大学に行けたことについてはジョブズ本人も実の親も里親に感謝することはない。だって里親になるための条件だったんだから。

親の愛みたいなものは、それなりに受けて育ったほうだ。それでも上に貼ったようなことは一度もなかったし、もっと言えば生まれてきてよかったと思ったことがない。生まれたから仕方なく生きている感じはものすごくある。「死ねよ」って思われるかもしれないが、例えばポンと10万円もらったとして、わざわざ捨てないでしょ。「10万とかもらってもなー」と思いながらちびちび使うか、パーッと使うか、いずれにせよ使う。くれた人が「その10万は大事に使ってくれ」と言ったら、それなりに大事に使う。自分の命はその程度のものに思える。

生まれてから今まで一度もいいことがなかったという意味ではない。それなりにいいこともあっただろう。でも生まれてきたことそのものがよかったかと言えば、よくはなかった。生まれてしまったからには生きているが、仮に生まれるかどうか選べたとしたら、おそらく生まれなかった。理由はやっぱり、生きるのが大変だから。「そんな人生楽しい?」とか「何のために生きてるの?」とか色んな人からよく言われる。親からも言われてきた。そんな人生です。

芥川龍之介の河童という小説に、以下のような部分がある。

父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽うがひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。

「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」

 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

これを読んだのは確か高校生ぐらいの頃だったと思うけど、すごくいいなと思った。