こんな生活とか

10代の頃はしきりにデカダンを意識していたけれど、実質はまだ将来の可能性もあって、それを楽観的に信じたり信じなかったりして自堕落に過ごしていた。ある意味余裕があったため、気取っていたに過ぎなかった。

今が、その思い描いていたような生活に限りなく近い。デカダンなんて言葉は、長く忘れていた。現実に向き合うと、そういった思想・観念的なことは意識しなくなる。無意識であった、が、我に返ってみると、無意識なこれこそが頽廃である。そんなかっこつけてもられないんですが。