京都人としてのプライドなんてものは果たして存在するのか

ブログの名前をこんなにしておきながらなんですが、僕の家は祖父母の代から京都で、二代目三代目というのは京都ではいわゆる新参者になる。それも幼少の頃どこかで聞いただけの話で誰かに確認したわけでもなく「新参者ですねえ」なんて言われたこともない。

誰が京都人なのか

なんかこう、京都についての偏見というのは、それが真実であるか嘘なのか人によっても地域によっても世代によっても違うため、「そうじゃないんです」と勝手に否定するわけにもいかず、「そうなんですよ」って答えている人が本当に京都人なのかどうかなんてわかったもんじゃなく、当然僕が見たものが京都の全てではなく、京都の全ての地域に住んでいたわけでもなく、京都で働いていたわけでもない(仕事で行ったことは何度もある)。だから、自分が京都生まれで京都育ちだとしても「本当の京都人はこうなんですよ!」と自信を持って言えない。全ての京都人がそうではないから。

京都に対する偏見について

それでも京都に対する偏見というのは、僕が見た範囲聞いた範囲の中で「これはどうも京都に対する悪意が強すぎるんじゃないか」と思わせられることが多い。何をそんなに怒ることがあったのか、何をそんな辛い目にあったのか知らないけれど、京都という町は文化が違うから、面食らうことは多いと思う。それは何も京都に限ったことではなく、大阪もそうだし、東京でも下町に行けばそうなんじゃないか。北海道や沖縄にだってその地域独特の文化があるだろう。そして、それに対する好き嫌いもあると思う。例えば、会津の人が戊辰戦争の影響で薩長の人をいまだに恨んでいるとか、話を聞けば理解はできるけど僕にはどう頑張っても共感できない。異文化とはそういうものだ。

異文化だという認識の無さ

京の文化が嫌いという人に無理に好きになってもらうことはできない。しかしそれは、性格が悪いとか陰湿だとかいう人格の問題ではなく独自の文化の問題なのだ。例えば、インドでは左手で飯を食わないとかそういうルールとかマナーの話を聞いたことがある。本当かどうかは知らないけれど、あれと同じ。そういったルールに違って左手で頭触られたらそりゃあインド人だって怒るかもしれない。京都の人に嫌がらせをされた人というのは、たいていが文化的なタブーを犯しているんじゃないかと思う。

「俺らが悪いって言うのか!?」「そんなもの知らないから仕方がない、向こうが悪い」と思う人も多いだろう。それで済ませるかどうかは本人に任せる。アメリカでポケットから右手を出したら警官に撃たれたとしても、同じように「俺らが悪いって言うのか!?」「そんなもの知らないから仕方がない、向こうが悪い」と言えるだろうか?でも内容としては同じ話なのだ。

僕個人としては、京都が好きだと言ってくれる人は好きであってくれたら嬉しいし、いけ好かないと思う人に好きになってもらおうとは思わない。ただ、その人が仮にタブーを犯していたなら、「お前が失礼なことしておいて逆ギレか」と思うだろう。タブーを犯すということは法律でも何でもないが、欧米圏で鼻をすすることや、先進国でも些細な事でもいくらでもあり、それをやった人間に対して「知らないんだから仕方がない」とは誰も言ってくれない。単に「無作法なやつ」としての扱いを受けるだろう。

本当に何もやっていない場合

中にはタブーを犯していない人だっているだろう。これは京都人に直接教えてもらわないとわからないことなので自分では気づけないことになるが、タブーを犯していないにもかかわらず嫌がらせを受けたという人も実際いると思う。それは単に悪い人に当たっただけだ。運が悪いとしか言いようがない。世の中にはいくらでも悪い人がいる。たちの悪い人、最悪な人、それは京都に限らずいくらでもいる。京都にはたまたま文化的制約が多すぎて知らず知らずのうちにタブーを犯してしまい、迫害を受けたからといってそれは何も京都人が悪いわけではない。そして、タブーを犯していないにもかかわらず被害を受けたからといって、その人が京都人だから悪かったわけでもない。

やり方の問題

「間違いがあったら言ってくれたらいいのに、対処の仕方が気に食わない」という人もいるだろう。タブーを犯した人に対して現地人がいちいち指摘してくれるケースというのは、世界中を探してもそうそうないんじゃないかと思う。国境を越える際にそのような注意を教えてもらったことがあるだろうか。そういうのは自ら調べておくことで、また自ら現地で学ぶことだったりする。タブーに対してはっきりと批判したりしないのは日本人全体に言えることで、何も京都人に限ったことではないだろう。まわりくどい、というのは確かにあるが、それも含めて文化なのだ。 
京都人の遠回し表現について - Letter from Kyoto

京都人のプライド?

これは一体京都を擁護できているのかどうか定かではないが、京都人のプライドなんてものは、僕には存在しない。ただ、京都人としてのアイデンティティはあるんじゃないかと思う。僕は大学を卒業するまで20年以上ずっと京都に住んでいた。大学でも京都出身の人は少なかったが、その後大阪で就職して転勤などもあり、5年以上も京都を離れていた。京都から一歩外を出てみると、京都人は結構珍しいようで、その頃から自分を京都人と自称するようになった。それまでずっと京都にいたから、僕にとっては当たり前過ぎた全てのことが、京言葉も含め他の地域では珍しかったらしく、そこに至ってようやく自分は京都人であるという事を認識した。たまに地元に帰ると懐かしい。洛外で都人と話すと懐かしい。これはプライドなんてもんじゃない。ただの郷土に対する愛着なのだろう。だから、京都が罵倒されていれば悲しく思う。京都人がこき下ろされていれば怒りも湧く。同様に、京都人が同じようなことをしていればダメだなあと思う。ただ僕はステレオタイプなイメージを逆手に取ってそういうキャラを演じることはあるけど、あれは洒落だ。

歴史と伝統、文化を大事にしているということはあっても、それが個人のプライドには結びつかない。あくまでアイデンティティでしかない。遷都がどうとか、本気で考えている人はいないんじゃないかな。どうでもいい。お茶漬けの話なんかは外からしか聞いたことがない。そういった地域性の偏見や慣習、文化みたいなのはどこにでもあるだろう。何も京都が特別ではない。

※コメントがあった

id:luccafort
「自分を京都人と自称するようになった。」京都を出てから確かにあー自分って京都の人間なのだなぁと確かに実感したな。この手のザ京都人!みたいな嫌味な人ってあまり遭遇したこと無いのだけどどこで遭遇するのだろ

多分、太秦の撮影所とか、祇園の料亭とかじゃないのかな。あとは和菓子屋とか、歴史が長ければ長いほど濃い気がする。そのどれもほとんど行かない。

id:usomegane
結局のところ、京都に『そういう部分』がある事自体は認めちゃってるじゃないか

そういう部分って何か知らないけれど、文化や独自性はどこにでもある。特に歴史が長ければ長いほど独自色は強くなっていくから、それが嫌だと言われてもそういう土地なんだからしょうがない。ただ人格否定は誤解の産物だよというだけの話。

id:qwerty86
いやこの論法はおかしい。無論、余所者に不親切でいる自由はあるが、それは不親切だと言われることと引き換えの話。不親切なのに不親切と言われたくない、というのは通らない 

余所者だから不親切なわけじゃない。これは一例でしかないが、「あれ、なんでこの人こんなことするの」→「ああ、余所から来はったんや」という順序がある。余所から来た人であっても作法の心得た人相手には丁重に扱うだろう。初めに無作法がある。無作法な人間にあえて親切にするほどできた人間は少ない。不親切にされるには理由がある。
単に余所者を馬鹿にするだけの人はいるが、それは田舎者をバカにする都会の人と同じ。ただの嫌なやつ。別に京都は関係ない。

 id:ricenoodles
名古屋でもやる人いるよなあ。お前らが名古屋に合わせろ、いやなら出て行けとか。どうかんがえたって交差点の角に路駐するのはあかんだろうに。

郷に入っては郷に従えって、僕は結構当たり前のことだと思っている。特に京都は、東京のようないろいろな地域から来ている人が少ないから、その独自性というのは窮屈かもしれない。嫌なら出て行けとは思わないけれど、極論を言えばアメリカで左側通行するような人がいたら咎められるし煙たがられるのは当然だろう。知らないでは済まない。

id:dummy1
自分たちの文化に疎い人間は、どのように扱われても仕方ないって随分野蛮だなぁ。察するとか、諭すとか人間的な対応するのがそんなに嫌ですか。

どのように扱われても、というよりはそれなりの扱いしか受けないというだけ。それはマナーであったりルールをわきまえない人間であれば、会社であったり社交界であったりどこでも同じ扱いを受ける。店で並んでいて割り込む外国人がいたら煙たがられるだろう。その中で「日本では並んでいる列に割り込むことがいかにマナー違反か」を説明してくれる人が何人いるだろうか。せいぜい店の人じゃないか。そんな特別なことじゃない。 

id:pomerance
「名誉京都人」による京都擁護。京都最高。やられたらやられたほうが悪い。

 やっぱり説明したところで伝わらないんだろうな。もっと広い視野を持とう。

id:yoko-hirom
「他所でもやっている」「お前らが悪い」「お前らが合わせろ」と。それは反論では無く開き直り。京都以外の文化圏では。

他所でもやっているというか、当たり前のことだと思っているんだけどな。京都は何もテーマパークじゃないんだから、旅行業者以外は誰もお客様扱いはしてくれないよ。僕は別に合わせてほしいとも思わない。ただ土地には土地のルールがあって、外から来た人が住んでいる場所だけ治外法権にはならない。 

近年ではそんな息苦しいことはないと思う。しきたりに厳しいのも年配の人だけで、そういう人たちと付き合わなければ特にそういう扱いを受けることもないだろう。僕の親ぐらいの世代はまだ多少うるさいけれど、若い人、特に京都から出たことがある人に関しては、京都のそういう部分をあまりよく思っていない人も多い。京都の独自性が軟化していってるこの状況が良いと思うか悪いと思うかは人それぞれだろうけど、僕自身はもう京都に住むことがないかもしれないので客観的に、どっちに転んでも得るものはあるし失うものもあると思っている。