人に何かオススメするのは難しい

例えば本とか映画とか音楽とか、スポーツとか演劇とか和歌とか落語とか絵とか写真とか、自分が良いと思ったものを人に勧めるというのは、自分勝手な好意になりがちだ。それらが「良い」と思ったのは自分であり、その価値判断の基準は自分でしかなく、それが本当に相手にとっても良いのか、相手が良いと判断するかは検討もつかない。

 

人に何かを勧めるにあたって大事なことは、相手の事をよく知っていることだ。相手の趣味嗜好を理解する必要はない。「何でこんな物が好きなのか?」それを分かる必要はない。ただ相手が何かを好きだという事を知ってさえいればいい。

相手の趣味嗜好についての情報があれば「こういうのも好きじゃないか?」という憶測を立てることができる。データーベースの蓄積により傾向を判断することが可能になる。web広告なんかは一昔前からそうやって閲覧者の閲覧データから趣味嗜好を割り出し、興味ありそうな広告を自動的に選択して表示させるような仕組みになっている。

しかしそれというのは憶測の域を出ない。データベースが多ければ多いほどその精度は上がるだろう。しかし相手が未知のものに対して「それを好きになるかどうか」というのは、本当のところ相手がそれを知ってしまうまで予測は不可能だ。「多分好きであろう」とか「好きになってくれたらいい」という期待を込めて紹介するしかないのだ。

一番やってはいけないのは「自分が好きだから」という理由だけで相手に勧めることだ。勧めるだけならまだいい。その後相手の反応を伺うとか、勧めたものを相手が好きにならなかったことで不機嫌になるとか、「こんないいものを理解できないなんてコイツはバカだ」と判断してしまうことほど自分本位なことはない。人はあなたとは違う。

確かに、同じカテゴリにおいて上位下位というのは存在する。素人目にもわかりやすく良いもの、素人にとってのみ見た目の良い粗悪なもの、素人には理解できない上質なものなど、それらのランク付けというのは事実存在する。例えば料理なんかはわかりやすい例だと思う。牛丼、インスタントラーメン、レトルトカレーから、世界三大珍味まである。

何も素人をバカにしようっていう話ではない。何かを勧めるにあたって大事なのは、最初に書いた通り相手をよく知ることだ。相手がどの方向を向いており、今どの段階にいるのか、どの範囲なら共感でき、どこを越えると理解不能になるのか。そうやって相手を知ることで初めて、相手に何かをオススメすることができる。自分本意ではない何かを。

相手をよく知ることと同時に大切なのが、自分のデータベースだ。自分が精通していなければ話にならない。オススメするというのは、自分の感動を届けることではない。相手が感動してくれないと意味がない。自分が好きなものについて熱弁を振るい、説得された人がその対象を手にして「つまらねえ」と思ったら、それは失敗なのだ。自分の感動を脇において「この人ならこれ、この人はあれが好きだからこれ」という人にオススメできる選択肢を、自分のデータベースの中に予め持ち合わせないといけない。

人に何かを勧める時は、まず相手を知るところから始めましょう。同時に自分自身の肥やしとなるデータベースを蓄積しておきましょう。

※ブログでやるような不特定多数へのオススメは該当しません。