世界平和について思う

今日はフォチャの虐殺について、ドキュメンタリーを見たりネットの記事を読んだりしていた。フォチャでは紛争中の強姦について戦後国際法廷で裁かれた事例があり、Wikipediaなんかでもある程度詳細を伺うことができた。

フォチャの虐殺 - Wikipedia

第二次大戦の禍根

第二次大戦中、ユーゴスラヴィアとなる地域にはチェトニックという旧ユーゴ王国軍(共産党のユーゴとは別)を前進としたセルビア人の軍隊、ナチスを後ろ盾としたウスタシャというクロアチア人の軍隊、パルチザンという共産党の軍隊がそれぞれの理想を元に戦っていた。そのどれもが地元の軍隊であり、チェトニックは大セルビア主義、ウスタシャはナチスを真似たクロアチア人民族主義、パルチザンは共産党を元にユーゴ統一を目指していた。戦中はチェトニックがウスタシャと組んでパルチザンと戦ったり、敵の敵は味方のようなところがあったのか戦況は入り乱れていた。そしてパルチザンがナチス・ドイツを破り、戦後ユーゴスラヴィアはパルチザンを中心とした社会主義国家として統一された。チェトニックやウスタシャも己の思想、民族のために命を賭けて戦ったのかもしれない。しかし彼らは同時に強制収容や虐殺も行っている。こういう過去というのは、その後汚点になるものだと認識していた。過ちとして。しかし違った。

チェトニック - Wikipedia

チェトニック名乗るセルビア人

1990年代のユーゴスラヴィア紛争において、92年から94年にかけてボスニア・ヘルツェゴビナのフォチャという土地で虐殺があった。フォチャではセルビア人からムスリムに対し民族浄化という名で虐殺や大量強姦が行われ、その強姦収容所を組織していたセルビア人たちは後に、国際法廷で裁かれることになった。それがドキュメンタリーとして番組になっている。そのドキュメンタリーを見ていて印象的だったのが、チェトニック式の敬礼だった。ヒトラー率いるナチスドイツは、ローマ皇帝を真似たローマ式敬礼(挙手みたいなやつ)を用いていた。チェトニックの敬礼は親指、人差し指、中指を立てる3本指の敬礼だそうだ。これはセルビア式の敬礼だという記述があったり、チェトニックを称える敬礼とも言われている。どっちが正しいのかよくわからないが、その捉え方次第では意味が大きく変わってくる。

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この形(写真はwikipediaより引用)

ドキュメンタリー内では、この3本指の敬礼がチェトニックの敬礼として紹介されていた。これが第二次大戦中ではなく、1990年代において、紛争中のセルビア人も行っているのだ。軍人や民兵だけでなく、民間人も。チェトニックは確かにセルビア人の組織だけど、虐殺とかしていたとんでもない組織だという印象がある。それでもセルビア人にとって、チェトニックは称えるべき正義だったのだろうか?敬礼だけではなく、彼ら自身がチェトニックを名乗っていた。敬礼はその象徴だと言われている。まとめると

第二次大戦中のチェトニックはとんでもない組織

1990年代ユーゴスラビア紛争中、セルビア人がチェトニックを名乗る

チェトニックはセルビア人に肯定されている?

チェトニックの正義?

セルビア人にとってチェトニックは正義なのだろうか?中にはどうしても理解できない部分がある。旗と、歌だ。フォチャの街では虐殺が起こる前、セルビア人の勢力が増すに連れ、夜になるとセルビア人たちが集まってチェトニックの歌を歌ったそうだ。フランスの国歌、ラ・マルセイエーズの歌詞も酷いと言うが、チェトニックの歌は正直目を疑う。歌詞はこうだ

チェトニックの仲間たちよ
誰を抹殺しにいこう
クロアチア人を?ムスリムを?
虐殺が起きるだろう
レイプがあるだろう

(ドキュメンタリー内より引用)

この日本語訳というのが本当であれば、まともだとはとても思えない。この歌を歌う心理というのはちょっと理解できない。これはたかだか20数年前のヨーロッパだ。中世でも帝国主義の時代でもない。それがたとえ紛争中であったとしても、これを公然と歌う人たちの神経というのが理解できない。そしてこれが彼らの旗だ。

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(wikipediaより引用)

彼らの理想、大セルビア主義とはいったい何だろう。いまだにそれを抱き続けているセルビア人は一体どれぐらいいるのだろう。彼ら全員がそうだとは思わない。第二次大戦後の統一ユーゴを築き上げてきた共産党の中には当然セルビア人もいた。各ドキュメンタリーにしても、セルビア人を裁くという国際世論の補強、正当化するために反セルビア寄りに偏って作られたと言われている。それにしてもこの歌と旗は酷い。本当にこれが歌われ、旗が掲げられたのか疑うぐらいだ。しかし映像を見る限り歌っている姿は映されていないものの、旗は明らかに掲げられている。この歌と旗を象徴とするチェトニックのどこにセルビア人の正義があるのだろう?

大セルビア - Wikipedia

紛争は終わったのか?

第二次大戦中や90年代のユーゴスラヴィア紛争中において、何もセルビア人だけが加害者だったわけではない。クロアチア人のウスタシャやムスリムだってセルビア人に対して、または互いに虐殺や強姦、強制収容を行ってきた。セルビア人同様法定で裁かれたクロアチア人、ムスリムもいる。みんな一緒だ、もしくはどんな集団、民族においても一部の悪い人間たちによる仕業だ、という風に捉えることもできるかもしれない。例えそうだとしても、あの歌と旗のチェトニック肯定というのは、僕の感覚では有り得ない。

ドキュメンタリーではフォチャで虐殺、ならびに強姦収容を行っていたセルビア人が裁かれる。ムスリムの被害者女性たちはフォチャの収容所だった場所へ再び訪れ、こういった悲劇が繰り返されないよう記録を残すために銘文を掲げようとした。そしてセルビア人の市民に阻まれた。一般市民のセルビア人女性があの、チェトニックの敬礼をしている姿が映像に映っている。ボスニア・ヘルツェゴビナで紛争が終わったのは1995年だが、これは2004年のことだ。彼らの民族問題は何も解決していない。

今現在ボスニアにおいては、各民族がそれぞれが固まって生活している。統一ユーゴだった時代には仲の良い隣人だったはずのセルビア人、クロアチア人、ムスリムたちが、ユーゴ崩壊と共に分断された。その状況を嘆き、自分のアイデンティティーは飽くまでユーゴスラヴィア人だと主張する人もいたそうだ。しかし大多数の人は己の民族に則った主義主張をし、寄り添って生活している。あのユーゴは幻想だったのか。僕は見てきたわけではないから、それを少しでも見に行こうと思っている。

民族問題は解決するのか?

ここから本題に入ろう。民族問題を発端とする争いがなくなる日は、果たして訪れるのだろうか。民族に限らず様々な問題があるにせよ、世界平和というのが実現する日は果たして来るのだろうか?ユーゴの事例は極端に思えるかもしれないが、同様の問題は世界各地で起こっており日本もその例外ではない。これは民族融和について考えるにも書いた。

90年代に起こったバルカン半島の悲劇を見る限りでも、彼ら3民族の和解というのは今後も有り得ないんじゃないかと思わざるをえない。悲劇の渦中にいた彼らが、その恐怖を、恨みを忘れることはできるのだろうか?そういう選択を望むとはとても思えない。中国や韓国で今も反日教育が行われているのと同じように。旧日本軍に占領されていた彼らが、恨みを抱いて日本を、日本人を蹂躙しないと言い切れるだろうか?僕はその恐怖というのは抱いておくべきものだと思う。それは先手を打つためではなく、反撃するための備えでもない。彼らはやるかもしれない、再び争いが起こるかもしれない、それを回避するために忘れてはいけないと思う。戦争は加害者じゃなければ良いという話ではない。万が一彼らの主張が正しかったとしても、戦争とそれにまつわる悲劇、恐怖、怨念の渦巻く負の連鎖を肯定してはならない。

僕が感じたことは、民族問題はどちらかが滅ぶまで終わらない。アメリカ大陸やオーストラリアの先住民のように絶滅寸前まで追いやられ、片側が無抵抗になるまで終わらない。キリスト教徒とイスラム教徒の対立も、どちらかが滅ぶまで終わらないと思う。和解なんていうのはその根源の思想からして有り得ないんだと思わされた。互いの正義があり、思想があり、恐怖があり恨みがある。その上での和解というのは、どちらかの妥協であり、それは自分たち側ではないと双方が思っているだろう。だから相手を滅ぼそうとする。解決に見せかけられた結果は全て、どちらかの妥協、犠牲、絶滅の上で成り立っている。僕は戦争の体験談を語るわに書かれていた言葉を思い出す。

神が相手を許せと言うなら、相手を許さずに同じ事をする僕らを許せ。そして神は結局何もできない。神の意志でこの苦難を起こしているのだとしたら、神は僕にとって悪魔だ。

戦争を回避するには

この世界において、民族同士の争いがなくなるということは今後もないだろう。今現在においても遠いアフリカの地、アラビア半島、中国国内、インド・パキスタンなどあらゆる場所で争いは行われている。彼らは、僕らはどちらかが滅びるまで殺し合いを続ける。そして恨みの連鎖はますます広がっていく。いくら戦争のルールなどというものが形だけ整備されても、アメリカだって民間人を殺している。戦争はスポーツのようにいかない。

じゃあ僕らは一体どうすればいいのだろう。誰もがそんな形で死ぬことは望まない。身内が殺されることは望まない。しかし一度起こってしまうともう終わりなんだ。その惨状も例を挙げればボスニアに留まらない。きりがない。たとえ恐怖や恨みが消え去らなくても、戦争は回避しなければならない。どうやって?

それは外交であり、交渉しかないと思う。国内、敵意を抱く民族、味方になりそうな国々、戦争を回避するためにそれぞれと交渉、外交をしていかなければならない。それは話し合いで解決しようなどという生温いものではない。僕たちは攻撃されないために、相手が攻撃してくることが不利になるような状況を作らないといけない。そのためには戦争回避に賛同してくれる国々を味方につけないといけない。その上でこちらが仕掛ける意思がないことを相手に主張し続けなければならない。「戦争は不利だよ、あなたたちにとって不利だよ」それは国内にも訴え続けなければいけない。何より敵意を持った人々、民族に認識させなければいけない。

世界は戦争を望まないはずだ。そういう世界を作らなければならない。敵意を持つ人々に対して「世界を相手にする覚悟はあるのか?」そう問い続けなければならない。思い留まらせなければならない。戦争を回避するという結論が相手に対して妥協を強いることになったとしても、新たな恐怖、恨みの連鎖を生み出すよりはましだ。既に奪われた側、恨みを持った人々はそれで満足しないと思う。僕の認識では、過去の大戦において日本は追い詰められていたから開戦せざるをえなかった。そういう国は日本以外にもあったはずだ。彼の国に危機があるなら支援しよう。戦争を避けるカードにしよう。戦争が回避できたからといって対立という禍根が消え去ることは無い。お互いの恐怖や恨みは残り続ける。だとしても、これ以上の死と恨みと哀しみを増幅させないために戦争を回避する価値はあると思うんだ。僕は殺戮の歌を歌いドクロを掲げるような、チェトニックみたいにはなりたくない。チェトニックを称えるような人たちに身内を蹂躙されたくもない。

僕らに何ができるか。民間人であり一般人の、知恵も権力もなく、外交の場にも立つことができない僕らに一体何が?僕らは民間人同士で、互いに発信し続けるしかない。どこかの国の一個人に対して英語で、口頭で、ネットで訴え続けるしか無い。僕らは戦争を望まない。それでも攻撃されたら迎え討つかもしれない。国土や身内を蹂躙されたらやり返すかもしれない。それは互いに不利なことだ。新たな恐怖と恨みしか生まない。世界は戦争を望まないはずだ。そんな世界を相手にして、戦争を起こしたいなどという気持ちは捨てなさい。絶対に後悔する。必ず後悔させると約束する。だから、争うのはやめよう。そういう声を発信し続けるしかない。いつか僕たち人類が、あの統一していた頃のユーゴのように、互いに手を取り合える日を夢見て。