30・31日目、ストックホルム→バンコク

前回の続き

バンコクへ発つ飛行機は午後2時の予定だった。空港までは1時間と少し。僕はヨハン宅を午前11時に出ることにした。

「今、日本語検定の勉強をしているんだけど、いずれは日本に住みたいと思っているんだ。お金も貯めている。日本に住む時は京都にしようと思っていてね。ほら、東京よりも落ち着いているだろ?その時はまた連絡するよ」

「ああ、そうだね。待っている」

ヨハンも街の方に用事があるということで、僕らは駅から電車に乗り、先日買ったトラベルカードは次のカウチサーファーあげてほしいということで、ヨハンに託した。トラベルカードでSLには乗れたものの、アーランダ空港に入る際には別途手数料が85kr(約1,200円)かかる。帰る直前で現金を使い果たしていたとしても、もちろんクレジットカードで支払える。ストックホルム市内からバスでアーランダ空港に行くこともできるけれど、チケットは99kr(約1,400円)する。

 

名残惜しいストックホルム

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今回の旅行ではポーランドのクラクフに4泊5日、ワルシャワに3泊4日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに5泊6日、モスタルに2泊3日、クロアチアのドゥブロヴニクに4泊5日、モロッコに3泊4日、そしてスウェーデンのストックホルムに4泊5日滞在した。この2,3日から一週間の滞在を繰り返し転々としてきた旅行なんだけど、滞在期間については一部失敗したと思った。ただ市内を観光するだけにしては、少し長過ぎる場所もあった。特に小さい街であったサラエボやドゥブロヴニクにおいては後半やることがなくなっていた。もちろんお金をかけて観光しようと思えば他にいくらでも行き先はあったけれど、もう後半になってくると行く気力がなくなり、せっかく旅先にいるにもかかわらず部屋にこもっているか早く移動したいと思うようになってくる。

自分の感覚だと、サラエボはスレブレニツァを訪れるとしても丸3日で十分だった。ドゥブロヴニクは丸2日でよかった。ワルシャワは初日が夜に到着したため実質2泊3日であり、モスタルも2泊3日で調度良かったと思う。モロッコはマラケシュやシャウエンなどいろいろな都市を回るならもう少し日程とお金があったほうがいい。そしてクラクフやストックホルムについては、もっといたかった。多分そう思えるぐらいの滞在期間が一番いいのだろう。この二箇所に共通しているのは、まずはホストに恵まれたことだろう。そしてクラクフに関してはアウシュビッツやヴィエリチカにそれぞれ1日ずつ費やしていたのも大きい。ストックホルムは滞在するのにお金がかかるけれど、ただ街を眺めるだけでよかった。ここは人も建物もそれまでの景色とは違う洗練されたものがあり、僕にとってはそれが珍しかった。また、都市部以外には足を踏み入れなかったこともあり、もう少し郊外のほうも見てみたかった。

バンコクへ

このストックホルムからバンコクまでのLCCが3万円ちょっとということもあり、搭乗ゲートは人で溢れかえってきた。北欧→東南アジア間でこの金額は他にないのだろう。ちなみにLCCはノルウェジアン航空で、便についても以下で知りました。

本気のLCCで世界一周モデルルート!tax込で総額17万円から! | Help Point

バンコクまでのフライトは今までに比べるとさすがに長く、飛行時間は10時間らしい。僕は機内で本を読んだり映画を見たりドキュメンタリーを見ながら過ごしていた。LCCであるため機内食等も有料になる。事前に用意して持ち込むこともできただろうけど、ストックホルムの物価であれば機内食とそう変わらないだろうと思い、僕は何も用意していなかった。さすがに喉が渇いたりもしたため、ビールとおつまみぐらいを頼んだ。注文はシートの液晶パネルで行い、決済もそのパネルでカード決済だった。機内では2時間ぐらい寝たかもしれない。

バンコクに着いたのは朝の6時頃。前に来たのは2011年、だいたい4年ぶりになる。勝手知ったるスワンナプーム国際空港にたどり着くと、ATMから現金を引き出し、腹が減っていたため1階の食堂へと向かった。ここでは25バーツ(約90円)ぐらいから食事ができる。僕は100バーツ(約360円)を食堂のチケットに交換し、てきとうに食事をした。めちゃくちゃ久しぶりに米を食べ、アジアの料理を食べた。いつぶりだろうか、2月か3月頃にトロントでタイ料理を食べて以来かもしれない。2皿分の料理を食べ、ファンタオレンジを飲んでペットボトルの水を余分に買い、それでもチケットが余り食堂を出る際にカウンターで一部現金に戻してもらった。

空港からエアポートリンクに乗り、パヤタイで降りた。このあたりも完全に覚えている。タイの人々は以前よりもやや太っている人が増えた気がした。前回バンコクに訪れた時は深夜で、パヤタイからカオサンロードまで歩いて行ったんだけど今回はタクシーに乗ろうと思った。西へ向かう道路を歩きながらタクシーを停め、地図を見せたが「No No」と言われる。カオサンロードと言うがひたすらNo No、乗車拒否だ。僕はタクシーを降りて歩いた。バスにでも乗ればよかったんだけどどこへ行くバスなのかどうやって払うのかいまいちわからず、結局前回と同じようにカオサン近くまで歩いた。気温は33℃、バックパックを背負っており死ぬほど暑かった。

ホステルに到着

パヤタイからは1時間以上歩いたんじゃないだろうか。途中で別のタクシーを拾うこともできただろうけど、なぜか西へ向かうタクシーも車も非常に少なかった。乗車拒否されたことに対するいらだちもあり、ひたすら歩いた。前回も歩いたため道はだいたい把握していた。しかし、いざカオサン近くに来てもホステルの場所がわからなかった。トゥクトゥクのおっさんから「どこに行きたいんだ?乗れよ」と声を掛けられるが「このへんなんだよ」と断る。看板のようなものは見当たらない。地図はiPhoneに保存してたため、その周辺を一軒一軒順番に見ながら歩いた。このあたりは安宿街で似たようなのもたくさんあり、予約してたから他のところに入ってしまうとめんどくさかった。そしてそのうち見つけた。本当に近くにあった。

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ホステルは脅威の14人部屋、値段はそこまで安くもなく1泊200バーツ(約717円)、1階が定食屋になっており見た目も作りもまさにアジアの安宿だった。宿泊客はアジア人は僕と韓国人の男性が一人、他はみんなヨーロピアンだった。バンコクはオーストラリアへ行くための中継地点でしかなく、ここは2泊だけしてまたマレーシアを経由しつつオーストラリアに向かう予定になっている。バンコクで何をするというのも特に考えていなかった。外があまりに暑いため日が落ちるまでホステルの中にいようと思い、シャワーを浴びたり飛行機で十分に寝れなかったから寝たり、ブログの更新などをしていた。幸いな事に、このホステルはネット環境が良かった。ワルシャワやドゥブロヴニクのホステルは部屋の中だとWi-Fiが使い物にならなかったけれど、バンコクはWi-Fi先進国ということもありネットに関してはどこでも強い。

別のベッドに泊まっているフランス人の女性から「英語は話す?」と声をかけられ「少しなら」と答えたところ、どうもWi-Fiが拾えないということだった。Windows8のタブレットだった。僕はMacでもiPhoneでも拾えていた。見せてもらうと、なぜかパスワードが8文字以上入力できないらしい。ここのWi-Fiパスワードは12文字以上あった。Windowsには疎く「ごめんわからない、けれどスマートフォンなら接続できるんじゃないかな?」と伝え「ありがとう、繋がった。メールチェックしたかっただけだから」とお礼を言われた。僕は何もしていない。

カオサンロードを歩く

日が沈んでくると、4年ぶりぐらいのカオサンロードを歩いた。この時間はまだ活況ではなかったが、それでもそこそこ人はいた。実になつかしい。このあたりは、ここ4年では思ったより変わっていなかった。もっと前からすれば大きく変わったらしいけれど、僕はその当時を知らない。

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夕飯として40バーツ(約143円)のパッタイを食べた。旅行者エリアだから高いかもしれないけれど、よくわからない。

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ホステルに戻ってからは、若いヨーロピアン旅行者たちが盛り上がっていた。何やら明日朝4時にここを発たないといけないらしく、電車のバスもやっていないためどうやっていくか悩んでいるらしい。タクシーで空港まで行くとなると500バーツ(約1,794円)ぐらいかかるとか。パヤタイから空港までエアポートリンクを利用すると40バーツ(約143円)だ。結局彼らがどうすることにしたのか知らないけれど、そのまま集団で飲みに行っていた。僕も誘われたがそういう雰囲気が苦手なため断った。僕は一人で部屋でビールを飲んでいた。

いつの間にか寝ており、声で目を覚ました。一組のヨーロピアンがどこかのベッドでファックしている声だった。若い人ばかり14人もいて、半分ぐらい女性で遠いアジアの国で舞い上がっていてオマケに酒まで入っていればそういうこともあるだろう。しかしうるせえ。寝れない。

次回、32日目バンコクを発つ