10・11日目 ペトラ遺跡へ

前回の続き

ネットで調べた情報によると、アンマンからペトラ行きのJETTバスは6時半に出るということだった。オフィスに着いたのは5時50分、開いていたから中に入ってチケットを買おうとした。

「今日発ペトラまで2枚、片道」

「6時始業開始だから6時まで待ってください」

ベンチにリュックを下ろし、座って待っていると別の旅行者がオフィスに入ってきた。僕と同様に並んで「ペトラまで」「6時まで待ってください」というやりとりをしていた。また新しく旅行者が入ってくる。ペトラ人気だなあと思いながらも同じやり取りが何度も続くため、カウンターに行こうとするヨーロピアンに

「6時から開くらしいよ、僕らみな同じやりとりをしたんだ」

と声をかけた。

 

オフィスにリュックを置いたまま外に出ると、コーヒーを飲んでいる人がたくさんいた。使い捨てのカップに蓋がついたコーヒーだ。それを持って歩いてくる人の方向を見ると、道端でコーヒーの販売をしていた。僕もそこまで歩き、「コーヒーはいくら?」「ハーフディナール(0.5JD≒約80円)」という会話をして買った。コーヒーは独特のスパイスが入ったアラビックコーヒーだった。オフィスに戻り、6時が過ぎたのでチケットを購入していると

「それどこで買ったの?」

若い旅行者2人に声をかけられた。コーヒーだ。

「事務所を出て右に行ったところだよ」

彼女ら同士はフランス語で話していたからおそらくフランス人だろう。彼女らもコーヒーを買い、他の何人かもコーヒーを手にしている。バスの待合室はコーヒーの白いカップと香りであふれた。ペトラは有名な観光地だから、時間が近づくに連れこのバス乗り場に大勢の外国人旅行者が集まっていた。フレンチ、カナディアン、ブリティッシュ、スウェディッシュ、他多数のアラブ人、日本人もいたかもしれない。

バスは座席指定だった。一つの停留所を過ぎると満席に近くなり、そのまま走り続けた。ペトラまで3時間半かかる。2時間ほど過ぎたところで休憩所に停まった。僕はトイレへ向かい、済ませた後タバコを吸っているアラブ人の輪に入り

「タバコ一本売ってくれないか」

と声をかけた。二人がタバコを取り出してくれようとした。僕はお金を払おうとしたけれどいらないと断られ、一人はポットからアラビックコーヒーを注いで僕にくれた。今まで出会った大体のアラブ人というのはこういう感じだ。時々神経質な人もいるが、異様に明るくてフレンドリーで気前の良い人が多かった。ヨルダンで出会った人たちはモロッコよりもそういう印象が強い。

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ペトラへのバスは遺跡の入り口に着く。そこにバスターミナルがあり、ペトラを出るときもここに集まる。時間は朝の10時、ここからまたホステルまでの地図を用意し、歩いて行く。Googleマップのルート検索によると、徒歩5分ほど。バスターミナルの外にはタクシーが待っており、いつもの通り何度も声をかけられる。タクシー乗り場には看板があり、「ヨルダンのどこまではいくら」という風に各地への金額が記載されていた。行き先にはかなりの遠隔地も含まれておりかなりの額で、そんなところタクシーで行く人がいるのだろうかと思った。

ホステルにはすぐに着く。荷物だけ置いてペトラ遺跡へ行こうとしたが、どうやら部屋が用意されているらしくチェックインできそうだ。バスの中で少し寝たとは言え、昨日は空港泊で実質寝ていないため少し休んでいくことにした。何もしていないのに疲れているのはこの旅行中ずっと続いてる。移動疲れ、睡眠不足。軽くベッドに横になっていたら寝てしまった。

空港で下ろしたヨルダンディナールが足りないんじゃないかと思い、ホステルを出てATMを探すことにした。実はATMはペトラ遺跡の入り口にあったんだけど、その時は知らずに市中の方まで歩いて行った。遺跡周辺から市中までは少し距離があった。歩いて20分ほど、それも全て坂道を登った。たかがATMを探すためにこれほど歩くとは思わなかった。タクシーの勧誘をしてきたドライバーにATMの場所を聞き、歩いていたらATMは見つかった。お金を下ろしたところで食事をとることにした。ホステルへ戻る下り坂の途中にあるレストランに入る。客は少ない。北島三郎みたいなおっさんが笑顔で出てきてメニューを見せてくれた。僕らはケバブと飲み物を頼んだ6JD。出てきたケバブは器に盛られた具とパンであり、とても量が多い。この量なら二人で一つ頼めば十分だ。僕は苦しくなりながらもそれをなんとか完食し、チェコ好きさんはさすがに残した。コーヒーを頼んで飲もうとしていると、北島三郎みたいなおっさんは笑顔で水を足そうとしてきたり、お金を払おうとすると財布にある札を掴もうとしたり笑顔でふざけてくる。しかし料理の味は良く、量も多く、値段も安いレストランだった。腹一杯で気持ち悪くなりながら北島三郎の店をあとにした。

そこからまた歩いてペトラ遺跡へ向かう。レストランからは30分ほど歩く。苦しい。満腹と疲れの状態で遺跡を歩ける気がしない。遺跡の入り口に着いたのは午後3時だった。ここが何時まで空いているのかチケット売り場で聞いてみると「4時」と言われた。今日は諦めよう。ペトラ遺跡は1時間やそこらで回れる規模ではなく、急いで見て回る体力もない。初日は何もせず、ただひたすら疲れていた。空港泊を挟むとなかなか思うように動けない。

次の日は、朝からみっちりと時間をかけてペトラを周ることにしていた。9時にはホステルを出て遺跡の入り口へと向かう。朝食をとっておこうと思いペトラ周辺のレストランを順番に見ていくが全然開いていない。1件だけやっていたところでは「朝食メニューはないけれどすぐでなければ普通の食事を出せる」と言われたためハンバーガーやスープなどを注文した。小さいハンバーガーが5JDする。遺跡周辺のレストランは観光地価格で、市中にある昨日食べた北島三郎のレストランに比べ1.5〜2倍の価格設定らしい。

10時頃、チケットを購入して遺跡へと入る。ペトラ遺跡のチケットは高いことで有名だ。2日券が55JD(約9,000円)、2017年からはさらに値上がりするそうだ。入り口を入ったすぐのところで「馬に乗らないか」と声をかけられる。入り口から奥の岩の入口まで徒歩10分ほどの距離があり、そこを馬でショートカットするというサービスだ。しきりに「馬の料金はチケットに含まれている」と言われるが、実はこれには裏がある。馬に乗るのはチケットに含まれており無料かもしれないが、馬を降りた途端にチップを要求される。小銭を渡せば少ないと言われ、いくらぐらい渡せば引き下がったかは覚えていないが前回来た時騙されたと思った。馬はタダだけどチップ要求されるのが要注意です。払ってもいい人は乗りましょう。

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岩の入り口では昔の兵士風の格好をした門番のような人が立っている。この人たちは向こうから「写真撮る?」と声をかけてくる。写真を撮っても何も要求してこない。そこからずっと岩の隙間を歩く。この隙間にもところどころ遺跡の跡が残っているが、削れてしまって原型が不明瞭なものが多い。

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歩いていると、あちこちから声をかけられる。「ポストカード買わないか?」「おみやげ買わないか?」「ロバに乗らないか?」「ラクダに乗らないか?」特にタクシーと言ってロバやラクダから声をかけてくる頻度はものすごいから、いちいち気にしないようにしよう。観光客は、高齢者が多いように見受けられる。日本人はあまりいないが中国人の団体客が多い。そのまま奥へ進むと、いわゆるペトラ遺跡として看板になっているエル・カズネへ辿り着く。前回来た時はガイド付きだったためここまで来るのに1時間ぐらいかかったが、今回意外と近いことに気づいた。

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人と比べると大きさがわかる

このあたりで少し写真を撮ったり休憩したりしたあと、さらに奥へと進んだ。今日の目標は一番奥にあるエド・ディルへ辿り着くことだ。前回、5年前に来た時は時間がなくてそこまで行けなかった。片道2時間かかるらしい。

陽が射す場所は暑く、日陰は寒い、道は砂利が多く歩きづらい。VANSを履いて来ていたチェコ好きさんはバテている。門のようなところがあり、そこにもまた昔の兵士っぽい格好をした人が立っている。この衣装は本当に当時を再現しているのだろうか?などということを考える。ペトラ遺跡は紀元前100年頃のナバタイ人という民族の遺跡であり、紀元前64年頃からローマの支配下に置かれローマ風の建築が建てられたそうだ。なるほど、ローマ風の兵士が立っていたのはあながち間違いでもない。

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基本は日差しが暑い

途中から登りになる。この辺りでもひたすら「ロバに乗らないか」と声をかけられる。「徒歩なら2時間かかるがロバなら30分だ」と言われるが、そこから2時間はかからないから心配しなくてよい。岩場を切り開いた階段のような上り道がずっと続く。いつの間にか観光客は半分以下に減っている。チェコ好きさんは「死んじゃう」と言ってる。こんなところでもそこら中にみやげ物屋のテントがあり「これ毎日持ち運ぶのかな?」とチェコ好きさんは疑問に思っていた。おそらく片付けてしまう用の箱か何かがあるのだろう。

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こんなところをロバで登るのかと思った

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途中、みやげ物屋の婆さんに茶を勧められる。隣にはアラブ人の旅行者が座って飲んでいる。僕は断って先へ進もうとしたが「休んでいけよ」と旅行者に言われ、座って茶をもらうことにした。みやげ物も一応見たが、欲しいものはなかった。何も買わなくても婆さんは何も言わず、笑っていた。道の向こうからやってくる西洋人の旅行者に「あとどれぐらいかかるかな?」と聞いたら「そうだね、15分ぐらいかな?」と返ってきた。もうすぐだ。

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やっと着いた。道のりは長かった。休憩所があり、飲み物を買って休憩する。休んでいると、人の動きが見て取れる。向こうからやって来る人、向こうへ歩く人、ここが一番奥だと思っていたが、さらに奥があるようだ。奥に行きたいと言うとチェコ好きさんはもう動けないらしく、一人で進んだ。

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写真を撮る人が右に

奥には展望台へと続く道があった。歩いて15分ほどかかるだろうか、とにかくそこへ向かった。展望台から見えるのは岩山と、その奥の砂漠だった。ここはそういう土地だ。展望台は他にもあった。2つの展望台に上り、そこから見えたのはもう一つ、来る途中にあった岩山の頂上にある人の姿だった。あそこいきたい。そう思って僕は向かった。向かったが、道はなかった。階段が途中で途切れており、ここから先はロッククライミングになってしまう。旅行中にこんなところでケガをしたら嫌だからやめておいた。

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西洋人はタフだという話になった。軽々と、なのかどうかはわからないが、みんな普段着で男も女も平気な顔して登ってきている。僕らの後から来た一人の西洋人の女性は、この足場の悪い中ビーチサンダルだった。

帰りはもう何も見る余裕がなく、途方もない道のりを何度も休憩しながらまっすぐ帰った。行きは登りが多く2時間以上かかったが帰りはもっと早かった。出口付近のレストランで食事をして、コンビニで飲み物などを買いホステルへ戻る。時刻は午後3時。歩き疲れた。疲れたしか言ってない。

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