恥ずかしさについて

日本文化は恥の文化だと言う。世間体が最重要視されるようになったのはいつからだろう。しかし外国においても「メンツ」が大事だというのは同じで、「恥」の基準が違うだけなんじゃないかと思う。アメリカは「プライド」の文化で、韓国は「恨」だっけ。そんなに大きな違いを見いだせない。

僕自身は恥とかメンツとかをあまり大事にしてこなかった。これは僕だけでなく、僕の生まれ育った家、特に父親がそうだった。人の目線を気にしない。顔色を気にしない。世間体を気にしない。恥ずかしいことを平気でやる。食事のマナーなんか最悪だ。僕自身もそういうところを受け継いでいる。前に勤めていた職場ではたびたび「社会人としてあるまじき」とか「社会人として失格」みたいなことを言われた。社会人ごっこやりたくないなーと思いながらも、その場のルールに則らないと退場になることは理解できたから、なんとか取り繕っていた。冷静に考えてマワシがかっこ悪いと思っても、デニムで土俵には上がれない。その後マワシを取って退場した。

恥ずかしいと言われることはたくさんある。例えば僕は車の免許がなくなった。車に乗れないこともよく恥ずかしいと言われた。東京圏の人は車いらないと言う人も多いけれど、それ以外の地域では大抵車に乗れて当たり前のようなところがある。そういうのにあまり関心が持てない。歩けばいいやとか、自転車でいいやと思ってしまう。

僕ぐらいの年齢だと車だけでなく家や家具だったり所帯を構えたりすることで世間体を取り繕うことも多い。賃貸が恥だと思う感性もあるようだ。僕自身は実家で論外だが、テント暮らしで構わない。物はなるべく持ちたくない。家具なんてもってのほか。移動が大変だから箱男でいい。結婚とか子供とかは本当に遠い世界の出来事で、想像したことがない。

それ以前に、30越えて無職で実家ぐらしとか、金が無いとか、そういう今の現状を恥だと思う人は多いだろう。世間的に見ればクズだし、かっこ悪い。さすがに僕もかっこいいとは思っていないから、無職で実家ぐらしで金ないことを誇ったりはしない。訊かれたら答える。するとまあ、引かれたりフォローされたりする。先日もビジネスに興味がないという話をしていて「なんでですか?」と訊かれたから「ビジネスしんどいじゃないですか」と答えた。「まあ、そりゃそうなんですけど…」と呆れられた。彼らはそれをやるのが当たり前だと考えている。当たり前にやるのが人間だと。

こういう人間観はどこから来てるのかなーと思ったら、アーレントの『人間の条件』みたいなあーいう感じなんだろう。「人として一人前」みたいな古き良き人間の定義。それで言うと僕は「労働する動物」でさえない。消費活動があまり好きじゃないから。では一体なんと呼べるだろう。「自生する草」あたり?水と太陽光のような、わずかな天の恵みでなんとか生をつないで、枯れたら消えるだけ。

それを恥だとは思わない。フリーライダー。自立すべきと思っていた時期もあったが、自立っていうのは究極的にはありえない。会社員だって会社に飼われているようなもんだ。自営業者だって顧客との関係ありきで成り立っている。彼らの場合は等価交換、もしくは付加価値を提供しているかもしれないが、人は結局のところ自分だけで成り立っていない。付加価値を提供して社会参加したいか、したくないかだけの違い。そういうのはやりたい人だけが好きにやればいい。

僕の場合は一方的に享受することが多く、誰にも何も与えていないから社会的に見るとお荷物でしかない。近代国家を形成する市民たり得てない。義務を全うしていない。「それで何が悪いの?」と開き直ったりはしないが、「恥ずかしくないの?」と訊かれたら「気にしない」と答えてしまうだろう。社会参加に興味が持てない。一方的に享受できなかったら野垂れ死ぬだけで、今生きている状況に対してそれ以上のことを求めない。自堕落、と言われてしまえばそうです。

恥ずかしいと思うことはなんだろう。さすがに全裸で走り回ったりするのは恥ずかしい。あの感覚は何かと言うと、変な目で見られるからだ。銭湯だったら恥ずかしくない。誰もいなければ、誰も変な目で見なければ恥ずかしさはない。人の目を気にしないとは言え、さすがに大勢からジロジロ怪訝な目で見られたり、具体的な害を被ったりすれば気になる。日常でそういうことはあまりない。不特定多数の人が、特定の個人に対して真っ当な人間かどうかを気にする機会も少ない。多少変な目で見られることは慣れているから、気づかないか、もしくはなんとも思わない。

結局恥ずかしいと思うかどうかについては、世間一般の視線に敏感かどうかと、自分が「こうあるべき」みたいな基準が明確かどうかの二つに絞れる。そして僕にはその二つが欠けているというだけの話でした。世間が自分をどう見るかに興味を持てなくて、自分自身への厳しさもない。そういう連中が平気でホームレスをやるのだ。ちまたにも溢れかえっており、別に恥ずかしくはない。