これからのこととか

自分と相手とのことを定期的にここに書いているのは、ひとえに彼女がここを見てくれているからに過ぎない。他の方法で言葉を送ることだってできる。向こうは手紙を書いてくれており、僕が手書きで送り返してもいい。そのうちやるだろう。ただそれよりも、自分がより自分らしい手段で意思表示をする場として、ここを用いている。外に向けて発表したいからとかではない。たまたまこれを読んだ人からすれば、全く関係ない話が繰り広げられている。ただの個人的な事情。

けっこう真面目に、着々と話が進んでいる。帰国の暁には結婚となるように、子供を授かれるように準備を進めている。もともと自分が選ばれた基準として「結婚相手に向いているんじゃないか」という思いがあったそうだ。だから「初めに結婚ありき」で僕らの関係は始まった。付き合う前からそういう話をしていた。相手の人は、結婚というものを半ばあきらめていたところもあった。生涯独身で暮らす覚悟もあったようだ。しかし僕を知って「最適解かも」と思ってくれたらしい。

僕はというと、結婚というものが自分の人生に起こる出来事、生活形態としてリアリティを感じない。したいとかしたくないとか以前に、まともに考えたことがない。特に、結婚によって何かを背負うなんていうことは論外だった。自分に何かを求められるのは重荷でしかなかった。人間は生まれてから死ぬまで独りだと思っており、いつ死ぬかはタイミング次第だと思っている。

そんな自分のどこが結婚相手として最適なのか。一般的なことを言うと、まず僕は経済力がなく、定職もなく、年齢はそこそこ行っており、何か特別に秀でた部分があるわけではない。甲斐性がなく、結婚対象としてとても候補に挙がるようなスペックではない。そのような僕が彼女にとって「結婚相手に向いている」と思われた部分は以下のようなところだった。

  • 相手を大事にする
  • ストレスがない
  • 無欲

細かいことはもっとあるかもしれないが、大まかな部分でいうとこれぐらい。これらの要素が全て欠かせない、特筆すべき要素だったようだ。

相手を大事にする

特に一番最初の「相手を大事にする」が一番大きい。相手を尊重する程度に収まらず、僕は彼女を全肯定している。誰に対してもそうというわけではなく、今までこんなに誰かを全肯定したことはない。むしろどちらかというと僕は、物事に対して何かと否定的な方だ。しかし彼女に対しては、否定的な部分に目をつむるわけでもなく、全てを肯定的にとらえている。付き合う前から彼女のファンであり、信者のような存在だった。全肯定は、彼女の人となりに対する信頼から来ている。真面目で、努力家で、ときどき怠ける自分に対しても常に厳しい視点を持ち合わせている。自身を客観的に見ており、周りもよく見ており、誰とでも仲良くなれる、人から好かれる人。我が強く、生きる力にみなぎっており、前に出る姿勢も強い。自分なりの倫理観、正義感を持ち合わせており、信念がしっかりしている。世の中に対して市民の義務を全うする意志を備えている。

一方で彼女は、自身に対して否定的であった。そんな自分が好きではない、むしろ嫌いなところが多いそうだ。僕にはそれが全然わけわからなかった。何を否定する部分があるのか、そんなに優れていてどこが不満なのか。自分自身では良くない、肯定できないと思っていることでも、他人から見たら気にならなかったり、強みだったりすることはよくある。僕はそのようなことを伝え続けた。そして「あなたが自分を肯定できないことはよくわかった。だったら無理にしなくていい。代わりに僕が肯定する」というようなことを言った。これは自然に出た本心だった。この人のことは無理なく自然に称賛できる。自分で肯定できないなら、誰かが肯定しないとかわいそうだ。もったいないとまで思い、彼女を肯定し続けている。

そういう姿勢で彼女に接しているから、僕は彼女の身の回りの人も大事にするだろう。家族であったり友人であったり、特に子供は大事にするんじゃないかと予想される。これは単に人間性の話。人から愛されて育ったとか、人に対する思いやりとか、そういう面で判断されている。

ストレスがない

ストレスがないという点については、お互いが言える。一時の感情の盛り上がりで今の関係があるわけではなく、落ち着いた間柄だ。ずっと喋ってもいられるし、ずっと黙ってもいられる。気になる存在であり、気にならない存在でもある。気を遣わない対象であり、自然に気を遣っている対象でもある。

もともとお互いが、自分のことをなんでも話しすぎるぐらい話してしまう方で、そういうところは似ているから、お互いが話したいことをなんでも報告している。そして、お互いがお互いのことを知りたがっているから、話は尽きない。さらに言うとお互いがおもしろく話そうと努力しているから、聞いていて飽きない。

常に自然体でいられる。二人でいるだけで温かい気持ちになり、気負いすることなく前向きでいられる。

無欲

無欲であるという点について、普通はプラス要素とならないだろう。僕には上昇志向がなく、その根源となる承認欲求や実現欲求がほとんどない。もはや足りている、あるもので賄うという意識が強く、物欲や金欲はおろか、食欲や性欲だってあまりない。贅沢をしても何も嬉しくないから、周りで贅沢をして喜んでいる人の感覚が全く理解できない。だから欲求に駆られて行動を起こすことはほとんどない。そういう点をハングリー精神に欠ける、頼りないと思う人は多いだろう。

僕らの関係においては、安心材料として見てもらえた。欲に駆られて失敗をしでかすようなことはないだろうという安心。彼女は人並みに欲があり、達成もされてきた人だ。これからもある程度は求めていくだろうが、僕に欲がないため対立することもなく、彼女自身の方針でやりたいようにできる。僕はただ手放しに受け入れるだけ。これが僕が稼いだお金を使わせていたらかっこいいところかもしれないが、彼女が自分で稼いだ分を自分で使うだけだから元から口を挟む余地なんてない。

結婚観

僕自身の結婚観は以前から変わっていない。結婚という制度自体はただの契約であり、儀式であり、形式に過ぎないから、形式としての重要性しかないと思っている。僕はそういった表面上のことを大切にする習慣を持たないため、結婚に対して「どうでもいい」という態度は変わらない。また、僕自身に他人を背負うほどの余裕はないと思っているため、そういうのを求められるなら結婚なんてあり得ないと思っていた。

今回の話については、僕にとって何も悪いことがない。求められていることはあるかもしれないが、すんなり受け入れられることしかなかった。結婚そのものがどうしても嫌とかそういったこだわりはない。相手がしたくて喜ぶのであれば、やったほうがいいと思っている。結婚に対する責任とかはあまり考えていない。結婚という制度どうこうよりもお互いに対しての気持ちや姿勢が大事だと思っている。

満ち足りている

このような僕らの関係性は、旧来の価値観からは少しずれているかもしれない。特に男性陣からはほとんど理解を得られたことがない。しかし、自分が理解されないことは今に始まったことではなく、関係ない人に理解されることが大切だとも思っていない。人が自分の人生をどう思い、どう判断しようがけっこうどうでもいい。その人が僕の人生を歩むわけではなく、僕が他人の人生を歩むわけでもないから。

肝心なのは自分であり、相手である。自分と相手が良いと思わなければ、そもそも今の関係だって成り立っていない。自分がどう思うかについては、これからも常に意思表示していきたいし、相手がどう思うかについて、常に耳を傾けたいと思う。僕はエスパーではないから相手の気持ちなんてわからない。僕の気持ちだって他人にはわからないだろうと思っている。だから、伝えるべく相手には伝え続けていきたい。

僕はあなたと過ごしている時間だけでなく、あなたの事を考えて文章を書いているこの瞬間だって満ち足りている。これだけ離れているのに、離れている気がしない。僕の中には常にあなたがいる。毎日のことを話す時間や、この先のことを話す時間はいつも楽しく、いつも待ち遠しい。これからも楽しい時間をともに分かち合おう。僕らはいつでもそれができる。