旅行できないこんな時期にASIAN JAPANESEを読み返していた

「アジアンジャパニーズ」を初めて読んだのは、僕がちょうど旅行を始めた頃で、10年前。当時は旅行の入門書として、教科書的に読んだ覚えがある。同時期に読んだのは沢木耕太郎の「深夜特急」、小田実の「何でも見てやろう」、いずれもバックパッカーのバイブルと呼ばれる名著ばかりなので、今もバックパッカーカルチャーに興味がある人がいればおすすめです。

バックパッカーという旅行形態は、10年前の当時既に下火だった。旅行もIT化、グローバル化が進み、バックパッカーという旅行のスタイルは、誰もが楽しめるレジャーの一つとして安心安全に機能するようになった。世界一周旅行なんて、勇気がなくても英語が喋れなくても、ちょっとお金と時間があれば誰でもできるようになった時代。10年前は既にそんな感じだった。手軽であるがゆえに廃れた。そこにかつてのバックパッカーが求めていたようなアドベンチャーはなくなっていた。

この「アジアンジャパニーズ」に書かれていることは、旅行の教科書としては時代遅れであり、かつ旅行の手段については何も触れられていない。読んだはいいが、参考にはならなかった。ではなぜそれを、今になってもまた読むのか。そこには何が書かれていたのか。それは、かつてのバックパッカーの名残りであり、彼らの心の内にある普遍的な心情だった。

「アジアンジャパニーズ」という本は、会社を辞めたばかりの写真家(23歳)が、初めての一人海外旅行、それもタイのバンコクや、インドを訪れ、現地で出会った日本人に片っ端からインタビューして写真を撮らせてもらうという形式の本だ。また、日本に帰国後も連絡を取り、その後の再インタビューも何人か分収録されている。旅行そのものよりも、その当時の旅行者、アジアを旅する日本人の内面をとらえることに、焦点が絞られている。著者自身の内面も多分に含まれており、まだ旅慣れていない様子、旅行との向き合い方や、初めて出会う人種、初めて見る景色への目線がういういしい。

ここで見られるような旅行は、現代のようなLCCやインターネットが発達し、都市化したアジアではめったに見られない。この本が出たのは1995年。著者の旅は本が書かれる3年前に終わっているから、25年から30年前の話だ。本に掲載されている写真を見ると、古い。25年から30年前の、当時の日本人の姿がある。けれど、ここに記されている心情は、現在においても見られるものではないだろうか。この本に出てくるかつてのバックパッカーたち。当時の彼らが現代にいたとしても、おそらく同じことを思っていただろうという心情が書きつづられているおり、色褪せない。

それは一体どんな心情か。一言で言えばモラトリアム。あのモラトリアムだ。バックパッカーはよく「自分探し」などと揶揄されるが、じゃあ彼らは一体どういう立場で、どういうつもりで放浪の旅などを行っているのか。それは同じアジアを放浪するバックパッカーと言えど、人によって結構違う。数ヶ月の旅で終わる人もいれば、4年続いた人だっている。30代の人だって意外といる。66歳のモラトリアムもある。帰国後に美大生になる人、陶芸家になる人、また旅に出る人、自殺する人、帰国しない人、一様には語れない。考え方もそれぞれ違う。ただし、誰もが何か思うところあって、アジアに逗留している。その間は、多くの人がやはりモラトリアム期にいる。

モラトリアムとは先延ばしと訳され、海外ではギャップイヤーなどがモラトリアム期にあたるのだろう。日本にはギャップイヤーがないから、日本人がモラトリアムを体験しようとするなら、自らモラトリアム期と場所を設けなければいけない。時期はさまざまだが、そこにアジアを選んだ人たちを、著者が取材している。同時に著者自身も、アジアでモラトリアムを体験している。著者は同じ旅行者として旅に寄り添っている。撮影した写真は帰国しても机にしまいっぱなし。当時文章はなく、本にする予定もなかったそうだが、後にこういう形になった。

アジアを旅する日本人の中には、いくつか共通するテーマを持っている。全員ではないが、そのうち最もポピュラーなテーマが、「日本社会に組み込まれることとどう向き合うか」である。日本から離れることにより、日本とそこにいた自分を客観的に見ることができるようになったと、多くの人が言う。今そこにいる土地には日本のシステムも常識もなく、日本の形や構造が外から明確に見える。いかに整っているか、いかに歪んでいるか、どんなスピードで動いているか、どんな色をしているか。日本社会に一度組み込まれた人も、これから組み込まれる人も、組み込まれることを拒絶する人も、アジアから日本を見つめ直している。これから自分たちが、日本社会とどう対峙していけばいいか、アジアで模索している。

これは僕にも経験のあることで、とてもおもしろかった。一度外に出て、外の常識に染まってしまってからでないと見えてこない日本の姿は確かにあった。外からの目線とは、日本の国内で、日本人としか付き合いがなく、日本の文化と常識にどっぷり浸かってしまっていれば決して得ることのできない目線だ。みんな一度は体験したほうがいい。特に「日本が嫌なら出ていけ」と言うような人たちにこそ、一度外国に住んでみてほしい。海外生活もいいもんですよ。

今でもそんな事を考えながら旅行する人はいるのだろうか。海外は結構外じゃなくなってしまっていて、いつでも日本と繋がっており、内側に組み込まれていってるような気もする。インターネットで日本と繋がったままでは、もしかすると外側からの目線は得られないかもしれない。外国にいても日本語を話し、日本人とばかり接している人は大勢いるから、それでは日本社会の外に出たことにはならないだろう。

そういう海外で自分と向き合うとか、日本社会を見つめ直すとかって、今となってはめちゃくちゃ懐かしい感覚だ。この本はめちゃくちゃ青臭いことばかり書かれていて、恥ずかしような笑いだしたくなるようなセリフだったり心情にあふれているが、そういうのを僕は、若気の至りだと言って軽視したくない。また、ただ懐かしむだけでなく10年たった今、もう一度見直したかったのだと思う。

ここには顔写真とおそらく実名も記載されており、日本に帰国してから芸術家を目指した人たちのその後をGoogle検索したくなった。