ただ生きるだけのことが

最近は大変なことがあって、つくづく何で生きてるんだろうなと思う。生きていてよかったとか、生まれてきてよかったと思ったことは一度もない。ただ生まれたから生きているだけで、仕方なく生きている。自ら死のうとしたことはないけれど、死のうと思って死んだ人には「わかるー」と言いたい。いや、僕の痛みや苦しみなんてちっぽけなものかもしれないけれど、それでも。

生きていく上で避けられない苦しみがあり、飢えや困窮、人間関係、病気、戦争、災害、差別などなど、人によって違うけれど、なぜそういう苦しみを受けないといけないのか、何のために、と思う。それはある種、原罪のようなもので、生まれたときから避けがたく背負っている。例えば、死に至る恐怖や痛み、苦しみは、程度は人によるが、誰しもが避けられない。

世の中にはそういうものばかりがあって、つまり、生きていく上で痛みや苦しみばかりがあって、なぜそんなつらい思いをしてまで人は生きているのか、僕には全くわからない。その「なぜ」に興味があり、これまで人の苦しみを読んだり伺ったりしたこともあった。人がなぜ苦しまないといけないのか、なんのために。その苦しみの上で、どうやって生きているのか。どう乗り越えているのか。

結果的には、その答えみたいなものは見つからなかった。ただそこに苦しみがあるというだけ。そして人によってはそれが乗り越えられるたぐいのものであり、程度によっては一生癒えない心の傷になり、自ら命を絶つ人や、精神を患う人がいる。困難に意味はなし。痛み、苦しみに意味はなし。生きていける人はそれでも生きていける。何らかの形で壊れる人が脱落する。ただそれだけ。

生きていて、いいこともなくはない。でも苦しみの量、質と比べると、とてもじゃないけど割に合わない。

自分はこれまでそんなにひどい目に遭ったことはない。戦争も災害も経験していない、重い病気や怪我や障害も、いじめも差別も拷問も飢餓も何もない。ただそれでも、誰しもが経験するような苦しみで、つくづく生きることが困難に感じる。なぜこんなにつらい思いをしないといけないのか。きっとホルモンのバランスが悪いのだろう。セロトニンあたりが出にくいのかもしれない。

こんなに苦しいのであれば、僕は本当に生きていたくないわけで、でもなんでこう、生きるということが必然的に苦しむ構造になっているのかが、まったくわからない。そういう人と、そうじゃない人がいる。僕はたまたまそういう人だった。ただ生きることが苦しい。ときどき、こんなに苦しいんだったら人類みな滅亡したほうがいいんじゃないかと思うけれど、世の中にはそんなに苦しくない人がいて、そういう人生エンジョイ勢にとってみれば、滅亡なんていい迷惑なのだろう。

それよりは安楽死・尊厳死などという議論のほうが、まだ現実的だ。安楽死は、自分でできれば一番いいんだろうな。ただの自殺とどう違うのか。手段の違いだけ。周りのことなんて考えなくていいと思う。ただ人の手を借りるといろいろややこしいから、自分で行使できるのが理想だ。集団自殺とか、全員が全員真剣なんだったら、別にいいんじゃないかと思う。

この手のことを、十代の頃からずっと思っていた。ここ1年は人生の苦難みたいなものを遠ざけていたから、最近また現実の痛みを実感しており、昔からこんなことばかり考えていたことを思い出した。ただ生きていることがつらく、苦しい。人間の生なんて、絶対に肯定できない。