なんもしたくねー

父が亡くなった。ガンが見つかった時点で、助からないのは確実だった。残された時間は短く、あとはどう過ごすか。僕は最近時間の自由が効く方だったから、病人の父をけっこうサポートした。病院通いであったり、実家で過ごすにあたっての補助だったり。

具体的には、まず病院からの連絡は全て僕が受けた。入院中は2日に1回ほど病院に通い、洗濯物を交換し、本などの差し入れを持っていった。コロナ禍なので一般人は病棟に入れず、差し入れも看護師を通じての受け渡し。面会もできず、通話で話すのみ。入院中、父は検査を繰り返し、化学療法を行い、食事がままならなくなりみるみる痩せていった。

入院期間が終わり、通院生活が始まると、父の体調は一旦落ち着いた。食事ができるようになり、外を散歩したり、酒やコーヒーを飲むこともあった。親戚や知人に連絡を入れ、自宅を訪ねてもらったり訪ねたりした。父は入院前のように、冗談を飛ばすこともあった。僕は父のやりかけの仕事を手伝ったり、確定申告書を税務署まで出しに行ったり、散歩に付き添ったり、薬の管理やときどき食事を作ったりもした。

母は日中働いているため、夜父に付き添った。東京で勤めている妹は、リモートに切り替えて一週間おきに東京と実家を行ったり来たりしていた。僕も今住んでいる家と実家を行き来する日々だった。奥さんは初めから全面的にサポートしてくれた。退院後の化学療法が始まると、父はまた一気に体調を崩した。化学療法は中止となり、在宅の緩和ケアに切り替わった。

副作用の期間を抜けてからも父の体調は戻らず、病気の進行による衰えが目に見えてきた。父の苦しみを少しでも軽減しようと、薬を変えたりリハビリの運動を頼んだり、点滴のタイミングを変えたり、在宅ケアでやってくれることをいろいろ試した。母は少しでも口に入れやすい介護用の栄養ドリンクを、あれこれ検討して用意した。妹と奥さんは父の足のむくみを取るために頻繁にマッサージを行った。僕も母親もやった。

先日父が亡くなった。僕が奥さんと葬儀社に相談に行っている間、自宅で母と妹が看取った。口から吐いた血を妹が浴び、壮絶だったらしい。そこから通夜、葬式と、怒涛の日々が続いた。現時点でまだまだやることがあるけれど、なんもしたくねー。今年の連休は、去年おととしよりも何もしない。保険、相続、不動産、名義変更、解約、やらないといけないことだらけだけど、なんもしたくねー。