ボーイミーツガールには、素敵な出会いが必要だ

選書「彼女の思い出/逆さまの森」を読んでいた。4つ目の話「ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない」は、ニューヨークに住む冴えない男、ジャスティン・ホーゲンシュラグの物語を書きあぐねる作家の話。ホーゲンシュラグはバスの中で見かけたシャーリー・レスターに一目惚れをする。しかし作家は素敵な出会いの場面を書くことができず、ボーイミーツガールは一向に始まらない。

これは架空の物語について書かれた短編だけど、世間でよく言う「出会いがない」ってこういうことだったのか、と思った。街を歩けば恋愛対象になる人とたくさんすれ違う。しかし出会いがないと恋愛は始まらない、という意味か。僕はずっと「出会いって何だ?」と思っていた。難しいな、出会い。出会いについて、あまり自覚的でなかった。日本語では「縁」という言葉のほうが的確かな。

恋愛的なことに上手く行っている人だったり、テクニックのある人というのは、きっとこの出会いなり縁を演出するのが上手い人だと思う。「これは素敵な出会いだ」と相手に思わせるのが上手い人。その「なにかの縁」は、巧みな相手によって作られた演出かもしれない。もともと上手い人もいれば、本を読んで試行錯誤したり、数多く失敗を重ね技術を磨き上げた人もいる。何事も経験豊富な人がその道に秀でているように。

「出会い」や「なにかの縁」をただ待っている間に、生まれ持った物や磨き上げた物が優れた人にかすめ取られた経験のある人は、少なくないと思う。待っているだけでボーイミーツガールが始まる人は、狙われる対象か、よほど運がいい人のどちらかだろう。

僕自身はサリンジャーが描くような、始まらない恋愛の話が嫌いではない。その始まらない人物に好感を持つ。共感するような「素敵な出会い未満」の経験があっただろうか。あったとしても、あったと言えないぐらい些細な段階で終わっている。若い頃は特に、誰かに好感を持ったところで、何もできなかった。技術や才能はもちろんなくて、ただ待つことさえなかったかもしれない。だから片思いの記憶というのもあまりない。

自分がこれまで恋愛的なものにこぎつけたきっかけは「素敵な出会い」によるものではなかった。今でも演出とかできない。技術もない。自分がやってきたのは、お互いの話ができる人と、接点を多く持つこと。それだけだったと思う。そこには積極的になった。でもそういう人と知り合うにあたり、「出会い」を積極的に求めていたかというと、そうでもない。身近にいた人や、たまたま知り合った人とそうなった。

だからこれまで「出会いがない」という言葉にピンとこなかった。でもこの短編を読んで、人がそういう「素敵な出会い」をきっかけに関係を進めているんだなと、なんとなく思った。それはどちらかの演出によって生まれたものかもしれないし、偶発的なラッキーかもしれない。そういえば「運命」とか言う人もいるな。「運命の出会い」までいくと、それは本当に信仰に見えて近寄りがたい。