オーバーザサンを聞いてweb日記のことを思った

1月27日配信のオーバーザサンで、ジェーン・スーが「書くことを全人類に勧めたい」みたいなことを言っていた。書くことは自分に向き合うことで、書くことによって自分の考えや悩みが整理され、落とし込める。書くことはセラピーだ、みたいなそういう話。堀井さんは最近日記本を出して、そのことに気づいたとか。

スーさんは書くことで得られるいいことを、簡単に説明していた。思考をクリアにするために、文章に落とし込む。無意識にやっていたが、確かに自分もそうだった。その過程で削ぎ落ちてしまうものがあり、それが良くも悪くもだった。思考をクリアにしたつもりが、文章に落とし込むことで凝り固まってしまう、ということもあった。書いてしまうことで、そうとしか見えなくなってしまう。

ただまあ書くことが自分に向き合うことというのは、ある意味正解だと思うけど、同時に目を背けることでもある。書かなかったことが、なかったことにされてしまう。

堀井さんは全然書くことをしてこなかったから、日記を書き始めて自分が今までいかに自分と向き合ってこなかったか気づいたらしい。「今まで何も考えずに生きてきた」というようなことを言っていた。ただ堀井さんはそういうのが好きではなく、あえて自分に向き合ってこなかったところもあるようだ。もう書き納めと言っている。自分と向き合うことにも向き不向き、好き嫌いがある。あえてフタをしてやり過ごしている人も多いのだろう。目隠ししてるから走れるというか。

スーさんが言う、書くことは人に認められたいとか人に見せびらかすためものではなく、自分のためっていう話はよくわかる。10年ぐらい前、ネット界隈ではよく自己顕示欲という言葉を目にした。web日記なんか自己顕示欲の現れだと言われていた。そういう人もいたのかもしれない。ただそうじゃない人のことは、あまり理解されなかった。おそらく、web日記程度でも書かない人にはわからないし、書いていてもわからない人がいる。人間は自分の視野枠の中でしか物事を考えられないし判断できない。

読まれるために頑張る人と、そうでない人がいて、その違いは、読む人に寄せるかどうかだと思う。僕はどちらかというと自分に寄せているから、自分の思うところを書いている。自分以外の人がどう読むかなんてわからない。人が面白がったり共感したりしても、誰がなぜ、どう作用したのか想像つかない。実際に聞いてみて、自分の思っていたのとは全然違ったこともある。人に寄せて書くっていうのは、僕は得意じゃない。自分の思ったことを、こぼしながらもただ書き留めています。