人生の時間を加算方式でとらえている

自分はその、現世であるとか世界であるとか、人生とかそういったものをあまり肯定的に捉えていないため、人生の時間を引き算で考えていない。いわゆる平均寿命が80歳前後だとして、それまであと何年生きるとか、年を取るごとにこれから生きる年数が毎年減っていってるとかそういう風には考えていない。時間が限られているのは知っている。人生が短いとか時間の流れが早いとかは一概には言えないものの、肉体に寿命があることは確実であり、人生という時間が限らていることも間違いないことは知っている。ただそれを、あと何年というような引き算方式で捉えられないだけだ。では自分の時間をどう捉えているかというと、足し算で捉えている。

引き算ではなく足し算。実に簡単なことであり、例えば誕生日を迎えた時、また一つ年を取ったと残念に思う人は年老いたくないという願望があり、同時に若い肉体を失うこと、死に一歩近づくことに対する哀れみの気持ちがあるのだろう。自分は加算方式で捉えているため、仮に誕生日を契機に何か思うとしたら「また一年生き延びた」と思う。自分の人生は寿命から1年ずつ残り時間が引かれていくのではなく、今まで生きた時間が1年ずつ足されていっているのだ。それは何も年単位の話だけではなく、毎月、毎週、毎日、今日も生き延びたと感じている。死ぬのは今日ではなかった。

平均寿命と言うように、多くの人は確かに老齢まで生きるかもしれない。ただ自分はというと、そういう安全な道を踏み外しているため長くは生きられないだろうということを子供の頃から思っていた。多くの人が老齢まで生きると同時に、少数派だとしても多くの人が若くして亡くなっている。理由もその死んだ年齢も様々であり、27歳で死ぬロックスターの年齢を越えた時にはそれが一つの目安になった。自分を彼らと同一視していたわけではないけれど、単に有名だから27歳ぐらいが一つの目安かなと思っていた。自分はこの齢まで自殺をしなかった。ただそれだけ。

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つい2年ほど前には40前後で亡くなった人の訃報を続けて聞いたため「40前後というのもあるか」という風にただなんとなくぼんやりと思った。それ以前からなんとなく40歳前後というのは感じており、当時まだ会社員だった頃、会社の人と話している際によく漏らしていた。それは別に死にたいとかそういうわけではない。地獄とはこの世のことであり、生きるということは苦行そのものだと思っていても、早く人生を終わらせて楽になりたい、などとは考えない。また、自分もその40前後で死んだ彼らと同じだとか考えているわけでもない。彼らは有名だから、その死が偶然自分に至るまで知れ渡っただけで、現実には多くの人が40前後であろうがいくつであろうが平均寿命を迎える前に亡くなっている。ただ、名前を知る人が亡くなったことを知り、若くして死ぬことを身近に感じていただけ。それぐらいの歳でも普通に死ぬんだなあって実感していただけ。 

いつ死ぬかなんて全然わからない。明日かもしれない。事故や災害で今日も多くの人が亡くなっている。それが自分の身に降りかからないとはとても思えない。だから自分の人生は加算方式なんだ。残りの人生なんていうものはない。余生は、まさに生きている今となる。今を生きて、その足し算が終わった時に人生は終了する。そこにゴールやタイムリミットという概念はない。明日かあさってか、半年後か10年後か知らないけれど、足し算が終わった時に終了する。だから生き急いではいない。いつ死ぬかわからない。毎日が最後の日であり、いつしかそれが本当に最期の日になる。ずっとそうやって生きてきた。そうやっているうちに、自分も年をとった。