今年読んだ本(2017)

去年読んだ本は、年間を通して35冊だった。6月まで日本にいなかったから、最初の半年はほとんど読めなかった。今年はと言うと、年間を通して45冊。ペースで考えれば去年より明らかに少なく、月3〜4冊、週1冊読めるか読めないかのペース。読んだ感想も去年ほど書いていない。

本当はもっと減らしたい。脳の容量が少ないから次々読んでも消化しきれず、詰め込んだ分だけ追い出されてしまう。年間30冊も読めば十分だろう。その分厳選して読めたらいいなーと思う。数撃って当てるみたいな非効率で体力を使うやり方は苦手だ。あれこれ考えながら真面目に読む本と、何も考えず息抜きに読む本を分けられたら一番いい。

  • 特に印象的だった本
    • 日の名残り
    • ハイファに戻って/太陽の男たち
  • 今年読んだ本
    • 小説
    • 新書
    • 旅行
    • 経済
    • その他
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今週のお題「今年買ってよかったもの」

今年なんか買ったかな。本や映画は別として、リュック、寝袋、サングラス、旅行用品ばかりですね。

アプリとか、買ったデータも特にない。なんかあったかな。服とかも買っていない。ガジェットも買っていない。あ、ドローンがあった。でもドローンは一瞬で亡き者になって買ってよかったものとは言えない。むしろ買わなきゃよかった。

株とか買いましたね。しかし連日のNASDAQ市場だだ下がりでこれも買ってよかったとは言えない。

Amazonの注文履歴を見ても本以外はハードディスクとUSB-Cハブしか出てこない。HDMI出力ができるUSB-Cハブはわりといいです。前のは1年ぐらいですぐぶっ壊れた。

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しかし地味だな。今年買ってよかったというほどのものじゃない。カメラ周りも何も買ってない。いまだに10年前に買った服着てたりするし、10年前に買ったiPod使ってて、ヘッドフォンも数年前に買った。スマートフォンも2年前。パソコンも去年。借り物の自転車に乗って、クレジットカードのポイントでもらった時計して、帽子とかもずっと前に買ったもので、靴は去年買ったやつだし、思いつかない。まあ物全然買ってないっちゅうことですね。

今週のお題「今年買ってよかったもの」

ヒトコトへの回答⑨:どこにいてもしっくりこない

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。

  • 43通目:どこにいてもしっくりこない
  • ひとことどうぞ
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現代人はなぜ、レプリカント"K"に共感するのか

※ブレードランナー2049のネタバレを含んでいます

底辺文化系トークラジオ「二十九歳までの地図」のブレードランナー2049回を聞いていて、「Kに共感する」というようなことが言われていた。ライアン・ゴズリング演じる、ブレードランナー2049の主人公K。デッカードに「名前は?」と聞かれ「K」と答えると、「それは名前ではなく認識番号だ。名前は?」と再び聞かれ、「ジョー」と答える。それからデッカードはKのことをジョーと呼ぶ。ジョーとは、ジョイがKに勝手につけた人間の名前だ。

  • 「人生こんなもん」と妥協している"K"
  • "K"が見る夢は夢でしかない
  • ニセモノの喜びに甘んじるニセモノ
  • 世界を動かす大きな流れに
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「ブレードランナー2049」を無料で見てきた。感想・考察

やっと見てきたブレードランナー2049。直前までどの日のどの時間に行くか決めあぐねていた。上映スケジュールを確認すると13:15と21:00の2つしかない。なんじゃこの選択肢の少なさ。上映期間が終わりつつあるということで、回数が減っているみたいだ。しかも上映時間は3時間あるようで、レイトショーの21時を選んでしまうと終わるのは夜中の0時、寒い上に公共交通機関は終わってます。結局平日の真っ昼間から映画館へ足を運んだ。

  • 無料で見た
  • ネタバレ無しの感想
    • This is サイバーパンク
    • いくらでも見れる
    • 世界改変体感
  • ネタバレ有りの感想
    • 前作の登場人物
    • 乗り物や設備について
    • Kの物語
    • たくさん残った疑問点など
    • デッカードの扱いについて
    • 翻弄された人たちの物語
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2017年11月のふりかえり

11月も終わりました。ずっと寒かったけれどここ数日は暖かく、また寒い日々が再び続くそうです。という感じで季節の挨拶から11月をふりかえりたいと思います。今月の更新回数は21回、写真回はそのうち6回とやや写真が多め。

私生活は何やってたっけ、愛でる対象を見つけて浮かれていた。自分を抑えるのに必死です。自分が好む種類の人は、男女かかわらず闇を抱えている人で、見たことも聞いたこともないような闇と出会いたいです。ありきたりな闇は今までもうさんざん見聞きしてきたから。闇が深ければ深いほど、話を聞いていておもしろい。他人事だからそんなことを言ってられるけれど、当事者としてはたまったもんじゃないだろうな。

  • 読書
  • 映画
  • 写真
  • その他
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「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?」感想・書評

2013年に出た本で、時代を体現していた。タイトルにある「ゴッホとピカソ」の話はほとんど出てこない。この本は、コンサルや事業の立ち上げを経験してきた若い著者の、お金とそれ以降にまつわる未来志向の本だ。こういう未来志向が2013年当時流行っていたことを思い出させる。そして2017年も終わりに差し掛かると、やや現実味が帯びてきている(例えばビットコインとか)。

世の中は少しずつ変わっている。体感している変化を頭で理解したいときに、この本が向いているかもしれない。いろいろなテーマについて書かれているため、個別のトピックを取り上げるとやや普遍性に欠けるが、その先は自分で調べればいい。具体例の指標となるような項目は提示してくれている。世の中はこの本に書かれているようになるかもしれないし、ならないかもしれない、一部既になっているかもしれない。

  • 1時間でわかる、お金の移り変わり
  • 使命がお金につながる
  • お金主体から信用主体へ
  • SNSは個人のIR
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「AI翻訳で英語学習は不要になる」は本当か?

今の高校生ぐらいから、英語学習は不要になるなんていう話がどこかに書いてあった。学術的な話をするわけではないから、ソースは検索してほしい。その根拠は「AIによる自動翻訳が10年後には当たり前になる」であろう予測を見越してのことだった。文章の翻訳については、Google翻訳が飛躍的に進化したことを去年あたりに見たが、音声の翻訳も自動化されるであろう、同時通訳はAIに取って代わるだろう、という予測が、英語学習が不要になるという話の根拠となる。

今のGoogle翻訳並に誰にでも開かれて、イヤフォンマイク(近未来ではそんなデバイスが使われていかもしれないが)で話したことが相手のイヤフォンには自動的に英語に書き換えられて聞こえてくる。相手が英語で喋った内容がイヤフォンからは日本語で聞こえてくる未来。近い将来にそうなれば非常に便利だなー。意思疎通のために、膨大な時間と費用をはたいて英語を学習するなんて馬鹿らしくなる。

ただし、便利な自動翻訳に頼って英語学習をしないことの弊害も、実はある。言語は単なる意思疎通のためのツールかもしれないが、その背景には歴史や文化に培われた精神がある。それは言語を学習することで同時に学べることでもある。いわゆる英語的発想ってやつだ。ここまでのことになると、日本語をAIで英語に置き換える自動翻訳では取って代われない。

英語を学んでいると、「何故ここでそんな発想になるんだろう」「何故ここで笑いが起こるのだろう」「何故これで怒るのだろう」という場面にたびたび出くわす。言葉にはツールとしての用途だけでなく、感情や文化が乗っかっている。これは日本語に吹き替えられた洋画やドラマを見ていても感じる。

さらに、自ら英語で話す場面を繰り返していると、いつの間にか自分が英語的発想の元で、英語的表現を行っていることに気がつく。「こんなこと日本語だったら絶対言えない」ということを英語なら平気で言ってたりする。そうやって初めて英語話者として迎え入れられ、話が通じることもある。

このような部分はやはり、AIによる自動翻訳で代替できないのではないだろうか。もともと日本人が日本語的表現で話して、それを英語に置き換えている限り、それがたとえ文法的に正しい英語であったとしても英語的にはならない。お互いの会話が成り立たないこともあるんじゃないかと思う。

異言語同士、外国人同士で会話を成立させようと思うと、その背景にある考え方や習慣、文化の違いが重要になってくる。相手がアメリカ人だからといって、英語的発想で日本語を話してそれをAIに置き換えてもらうなんてことは、そのまま英語で話すより難しい。相手の文化に精通してなければ尚更だ。

だから、AIによる自動翻訳が発達したからといって、英語学習が無用の長物になるかというと、そうでもないんじゃないかなー。やはり自ら話すことに比べると、どうしても文法の違いなどからタイムラグが生じるだろうし、密な関係で具体的な話をすればするほど、食い違いは広がっていくように思う。

こういうことって日本語同士でもよくある。男女間なんかでよく見かける。同じ言葉を発していても、お互いがとらえる意味は全然違う。だとすると宗教も文化も背景も何もかも違う外国人同士が、AI翻訳によって言葉を置き換えるだけで、果たしてコミュニケーションは成立するのだろうか。

自ら英語を学ぶことによって、表現の根底にある英語的発想や精神性、文化的側面などを、ある程度自分の表現パターンとして取り入れることができる。AI翻訳が発達すれば、確かに多くの場面において英語を話せる必要はなくなる。同時にそうなるとむしろ、自分で英語を話せる人、翻訳できる人の重要度は増すのではないかと思った。エキスパート以外は淘汰されるかもしれない。中間層が一掃されてここでも二極化の格差社会か。

定住より移動生活に憧れる

かつてノマドブームというものがあった。震災後の2011年頃だったと思う。当時はホリエモンも「出所後はノマドになりたい」と言って収監されたが、実際はならなかった。ノマドで名を馳せた人もたくさんいた。MGさんとかフォローしていたが、今頃はどこでどうしておられるのか、自分の記憶ではタイのチェンライを最後に消息を絶たれた(ネット上で)。

佐々木俊尚が5人の若者に聞く『21世紀の生き方』第1回「ノマド、シェア、そして家もいらないーー私たちはこんな生活をしています」(佐々木 俊尚) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

当時は世界一周ブームもあったかもしれない。世界各国を旅行して周りながら、仕事を続け収入を確保するデジタルノマドみたいなのが理想の生き方としてもてはやされた。憧れ、そうなりたいと思ったが、実際なれたのは限られた一部で、ほとんどの人はただの旅行者として終わった。もしくは仕事を探すために日本へ戻ったか、どこかへ定住して職についた。ノマド生活というのは実現の難しい夢として、儚く消えていった。

  • むしろやりやすくなった?ノマドライフ
  • 移動生活に憧れる理由
  • 理想の移動生活
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両親に感謝の気持ちなんて持ったことない

これを読んでいて思った。

まあ、なんだろ、両親に対して人として感謝したことはいくらでもある。でもここで言われているのは、親として、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうって意味だよな。そういう感謝の気持ちは全くない。子を産むというのは親の選択であって、子の選択ではない。だから産んでくれてありがとうとは思わない。育ててくれたことに関しては、そりゃ義務だろと思う。人として当たり前だろって。産んだのに育てないのが責任放棄なだけであって、育てるのは普通だと思う。スティーヴ・ジョブズが里子に出されたとき、里親になる条件として「子供を大学に行かせること」だったらしいが、ジョブズが大学に行けたことについてはジョブズ本人も実の親も里親に感謝することはない。だって里親になるための条件だったんだから。

親の愛みたいなものは、それなりに受けて育ったほうだ。それでも上に貼ったようなことは一度もなかったし、もっと言えば生まれてきてよかったと思ったことがない。生まれたから仕方なく生きている感じはものすごくある。「死ねよ」って思われるかもしれないが、例えばポンと10万円もらったとして、わざわざ捨てないでしょ。「10万とかもらってもなー」と思いながらちびちび使うか、パーッと使うか、いずれにせよ使う。くれた人が「その10万は大事に使ってくれ」と言ったら、それなりに大事に使う。自分の命はその程度のものに思える。

生まれてから今まで一度もいいことがなかったという意味ではない。それなりにいいこともあっただろう。でも生まれてきたことそのものがよかったかと言えば、よくはなかった。生まれてしまったからには生きているが、仮に生まれるかどうか選べたとしたら、おそらく生まれなかった。理由はやっぱり、生きるのが大変だから。「そんな人生楽しい?」とか「何のために生きてるの?」とか色んな人からよく言われる。親からも言われてきた。そんな人生です。

芥川龍之介の河童という小説に、以下のような部分がある。

父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽うがひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。

「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」

 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

これを読んだのは確か高校生ぐらいの頃だったと思うけど、すごくいいなと思った。