2024.2.6

ドラマ「トップボーイ」のシーズン2を見終えた。シーズン2はラネルの話がほとんどなくて、出てきても全然活躍しなかったからラネルが主人公だと思っていた自分としては残念。今後のシーズンもダシェンとサリーを中心に話を展開していくような流れで、ちょっと見続けるか迷うところ。緊張感でもリアルさでも、今のところシーズン1がよかった。音楽は相変わらずいい。ワンシーンだけテリーキャリアーがかかった。

写真は2024年、京都府立植物園。寒さから植物を守っているようだ。

2024.2.5

今日は久しぶりに一日中雨。そして久しぶりに寒い。久しぶりにバスに乗ったような気がした。そうでもない気がする。バスはいっぱいだった。通勤通学の時間帯ではない。今日は一日中、普段通りじゃない動きをしていた。郵便物もそのまま、洗い物もそのまま、朝の漫画も読んでいない。もう夜だけどここまで勢いに任せてきたから、そろそろ頭を起こして考えて活動するか。

写真は2024年、四条通。今年はインフルエンザ予防のマスクかな。元の写真がクリアなので加工したらわざとらしくなった。ソフトが古すぎるのだと思う。

2024.2.4

写真はサラエボ。京都に似ていると言っていた風景。ミリャツカ川という川らしい。「サラエボの花」という映画があったことを思い出した。パッケージでオシムが推薦していた。同じ監督の「サラエボ、希望の街角」という映画も見たと思う。あまり覚えていない。ボスニア映画だと「パーフェクトサークル」というのが気になる。やたら高い中古DVDでしか見る手段はなさそう。

2024.2.3

人に称賛されたい気持ちはないけど、真面目に生きていないことへの後ろめたさはある。人に褒められても、相手に好印象は抱くけど、自分が嬉しいとかはそんなにない。そんなに、というのは、ほどほどに嬉しいけれど、褒められるために頑張ったり、称賛されるためにいいとこを見せようとかはない。

でも人が称賛されている中で、自分が何もしていないことについての後ろめたさはある。例えば、初対面の人が集まる場面で、自己紹介なんかをして、仕事は何やってるとか、これまでの経歴とかで称賛されていたりする。そこでいざ自分の番が回ってきたときに「僕は何もやってないし、取り柄は何もないんですよ」とよく言う。

これはまあ、言うことがないから仕方がない。普段何しているとか、命削ってプライドを賭けて取り組んでいるような仕事は全然ない。その事自体について僕は受け入れている。人生に張り合いがないとか、一生懸命頑張って生きたいとか、何かを成し遂げたいとか人に認められたいとか、そういうふうには全く思っていない。なんとなくテキトウに生きていけたらそれに勝るものはない。

ただ、後ろめたくはある。みんな一生懸命頑張ってる中で、その気がないからって手を抜いているのは申し訳ない気がする。かといって嫌なこと、興味がないことを頑張る気にもなれないから、つい「何を頑張ってるんですか?」などと聞かれようものなら言い澱んでしまう。ごめんよ、僕はこの社会にいるだけで何も頑張ってないしそんな気もまるでないんだ、などと胸を張って言うのはなんか気が引ける。でも実際誰かのために、世の中のために、自分のために尽くしていることは何もない。

写真は2022年、心斎橋。2022年もまだまだみんなマスクをしていた。屋外でも。

2024.2.2

1月28日放送の村上Radioを聞いていたら、ギルバート・オサリバンのアローン・アゲインの話をしていた。結婚式をすっぽかされて、また一人、みたいな歌詞らしい。結婚式をすっぽかされる、つまり当日に結婚そのものをキャンセルされることって、フィクションではたまに描かれるけれど、現実にそんなことはあるのだろうか。映画の「卒業」とか、結婚式の当日じゃないけどドラマの「ロング・バケーション」もそんな話だったような。

アローン・アゲインの歌詞のように、状況としては基本的に男の人が女の人に逃げられることが多い。それだけ望まない結婚をする機会が多かったということなのか。今よりも昔のほうが、社会的制約は大きかったから。

でも実際に結婚式当日に逃げられようものなら、たまったもんじゃない。いくらなんでも結婚式の当日に逃げるぐらいなら、「逃さない」ではなく「先言ってくれよ」という心理になる。そんな大きな決断を、ギリギリまで迷うことってあるだろうか。もうちょっと納得してから進めればいいのに。そういう人はもしかすると、人の意見とか言葉に流されやすいのかもしれない。だから相手の言われるがままに結婚しようとしてたとか。それで直前になってまた別の人の言葉に流されたとか。そういう人を好きになったら大変ですね。でもそれ以前に、自分の意見とか意志を持つことが許されない環境で育ったのかもしれない。

写真は2016年、ペトラの犬。場所はあまり関係なく、犬は犬だった。

2024.1.31

本を読みたいなーと毎日思いながら、少し読んだりもするけれど、時間を取らずに買う本ばかりどんどん増えていって、読めていない。読みやすいものから手を付けて、また読みやすいものを買って、読みやすいものばかり消化していく。最近は村上春樹のインタビュー集をやっと読み終えた。東京の生活史の一つの話を読んだ。

映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」を見た。映画館の無料のチケットが期限切れそうになりそうだったから、今やってる中で選んだ。無料で見れたことを考えたら、良かった。映画でも何でもそうだけど、金払って見たからこそ価値があると思えるものと、無料で見たから良いと思えるものがある。

ウディ・アレンは、僕は全然好きではなくて、その精神性というか思想は自分と真逆のものだから受け入れがたい。ただこのサンセバスチャンとか、ミッドナイト・イン・パリは見れる。アニーホールは無理。今日見たサンセバスチャンも主人公はかなりきつい人だったけど、全然かっこよくないハゲた年寄りの役者を起用していたから自虐的でよかった。都合のいい妄想を描くけど、結末もまあ単純でよかった。

写真は2022年、サムイ島。こういうてきとうに撮った仏像や坊さんの像の写真がたくさんある。

2024.1.29

会社員の頃、先輩に「ネットで自己主張とかポエムとかイタい」と言われたことがあった。まあその人がそう思う気持ちもわからんではない。普段地味で表立って発言できない気弱なナードが、影で大口叩いて盛り上がってる、みたいな印象だろうか。もしくは、人前で見せられない恥ずかしい姿をネット上で匿名で晒しているのが見苦しい、といったところか。2000年代ぐらいまでのいわゆる「ネット世代」的な感覚はそういうのがあったかもしれない。今は「ネット」という括りはあまりなく、現実と地続きだから。

自分はあまり発信しているつもりもなかった。どちらかというと、記録というか。だから自分としては、普段の自分と解離がないつもりだった。普段考えていること、言っていることと同じ。普段猫を被っているとか、人前で言えないことをネットに出しているとか、恥ずかしいことをさらけ出しているとか、そういうつもりもない。むしろ、発信でさえない。誰かに伝えたいとか、届けたいとか、そういうのもあまりない。人が見てどう思うのかは興味あるけど。

認めてもらいたい気持ちとか、過剰な自意識っていうものが自分には全然ないっぽいから、そういうのをこじらせている人の感覚とはまた全然違うんじゃないか。だから、それを例に出されてもピンとこないというのが実際のところだった。そういう人はそうかもしれないけど、自分にはわからない。

写真は2021年、京都。まだみんなマスクをつけていた。今コロナ禍のことは忘れつつある。良くも悪くも。

2024.1.27

続けるのが得意か苦手か。自分は苦手だと思っていた。でもなんだかんだでブログは続けており、ポッドキャストも続けている。続けるのが苦手な分野はなんなのか。勉強とか運動とか、そういう自己を高めたり頑張ったりというやつ。きっと上昇意欲がなく、ただなんとなくダラダラ続けられることしかやらないし、できないのだろう。苦労を乗り越えた先にある何か、やり遂げるとか、達成感とか、そういうのが関わってくると途端に嫌気が差す。

写真は2015年、ハバナ。廃墟だったり現役だったり、こういう建物がいっぱい。

2024.1.26

昨日、中国人がやっている中華料理屋に行って、酸辣湯麺を食べた。奥さんは担々麺を食べた。奥さんが辛いラーメンを食べたいと言って、Googleマップで検索して出てきた店だった。そんなに辛くはなかった。街中で中国人がやっている個人経営の中華料理屋って、めったに行かない。手軽に王将とかで済ませてしまう。インド人がやってるカレー屋もたくさんあるけど、たまにしか行かない。たまにはそういう飲食店もいいと思った。

今週のお題「最近おいしかったもの」

写真は2024年、京都。刑務所っぽいなと思って撮ったけど、ここはスケートボードなどの憩いの場です。このスピーカーが鳴っているところを見たことがない。

2024.1.25

写真は2022年、タイ。タイではよく金ピカの仏像が並んでいる。このあたりの上座部仏教はだいたいこういう感じなのだろう。東南アジアはタイとベトナムとマレーシアしか行ったことなく、そのあたりは全部けっこう違う。同じ仏教国だとラオス、ミャンマーあたりはタイに近いかもしれない。

タイは3回行ったことがあり、同じ国にあまり行かない僕としては珍しい。また気軽に行きたいと思う。今は気軽に行けないから、円安が落ち着いたら。タイに行って特に何するというわけでもないが、タイでの過ごし方もかなり変化している。変わっていない部分は、タイ料理とタイ式マッサージなどを満喫することなど。前回行ったときはレコード屋を何件か回った。次はフリーマーケットに行きたい。

今週のお題「急に休みになったら」

2024.1.22

写真は2016年、ヨルダンからイスラエルへ向かう途中の砂漠。ヨルダン川にかかっているキングフセイン橋を渡って国境を越えました。

砂漠はそんなに行ったことがない。砂漠というか荒野みたいなのは、ヨルダンの他にアメリカとガーナ、いずれも車で通っただけ。歩いたり外に出たことは全然ない。本当に砂漠を体験したければ、モロッコのツアーあたりが手頃だと思う。エジプトあたりも、僕は行ったことないけれど体験しやすいんじゃないか。

2024.1.21

写真は2016年、エルサレム。旧市街のキリスト教徒街区かな。エルサレムは世界史好きな人にお勧めの観光地です。タイムスリップではないけど、テーマパーク感強い。

自分の旅行経験の中でも、イスラエルはけっこうときめいた。中東にあるヨーロッパ、でも何か異質な感じ。イスラエリーたちはのびのびしているように見える。ユダヤ人問題というのは非常にややこしく、僕たち日本人には遠すぎて実感も伴わない。イスラエル建国までの経緯としては、ユダヤ人差別とかボグロムとかホロコーストとかでシオニズムが盛り上がった結果起こった。それは今でも引き続き心配することなのだろうか。ヨーロッパやアメリカ大陸で、ユダヤ人がやりにくい現実は今もあるのだろうか。それともやはり、祖国というアイデンティティの依代だろうか。

日本の仏教徒や西欧諸国のクリスチャンと同様、現在のユダヤ人も信仰心が薄い人は多いと聞く。それはアメリカやヨーロッパに住むユダヤ人だけでなく、イスラエルに住んでいる人もそうみたいだ。兵役を終えた後海外に渡航して、そのまま帰国しなくなる人がけっこういるというニュースをどっかで見た。ソースは探したが見当たらない。