ブログを書く目的とか

僕が書いている内容というのは、ただの日記がほとんどでオープンにする必要性というのはゼロだ。果たして僕は、なぜ公にブログを書いているのだろうか。

紙の日記か、ブログか、

日記帳にずっと日記を書き続けられる人はたくさんいる。僕は彼らを尊敬する。なぜなら僕にはあれが無理だから。めんどくさすぎて、なぜあれが続くんだろう。
なぜと言っても、おそらく習慣だからだろう。意識的に書いているとは思えない。僕はこの、習慣というのが無い。今まで何一つとして習慣化できなかった。今でもそうだ。食事だって、歯を磨くことだって、風呂に入ることだって習慣ではない。その生活レベルでさえそうなんだ。意識しないとできない。意識しなければしないままでいる。勉強や運動なんか尚更できない。無意識に、習慣的に何かをするということが全くできない。だから僕は彼らを尊敬する。
僕がペンとノートではなく、ブログという形で書いているのは、紙だと続かないからだ。

モチベーション

ペンとノートで日記を書いても続かないのは、そういう習慣が無いから、そもそも僕が習慣を持てないからということが理由になる。当然ながらブログも僕にとって習慣ではない。いつも書く内容を探しており、書くことがなければいつだって、長期で書かなくなる。事実、更新していない時期がたくさんある。では、なぜウェブログであれば続けようと思うのか。習慣ではなくても続けられるのか。習慣でないことを続けるために必要なのは、モチベーションだ。
ウェブログには、書き続けるためのモチベーションを維持する構造がいくつかある。

アクセスについて

そのモチベーションの一つになるのがアクセスだ。アクセスカウンターというものが古くから、個人サイトの時代から存在した。今ではだいたいのブログにアクセス解析の機能がついてくる。Google Analyticsも誰だって無料で利用できる。
アクセス解析を用いればモチベーションが維持できる。何人の人が見ているのか、どれだけ人が増えているのか、どの日記にアクセスが多いのか、どこからのアクセスが多いのか、どの検索ワードで来ているのか、最初のうちは見ているだけでも面白い。
そのうち、本格的に利用しだす。注目されるテーマを主題に日記を書いたり、見られやすい時間帯に公開したり、アクセス解析は本来、取得したデータを元にしてアクセス向上を目指すために使われているので、改良した内容がさらなるアクセス増加に反映するかどうか、などを考えてまた次に何かを書くことになる。見ている人が可視化され、見ている人を意識することによって、書く意欲というものが芽生え、維持される。
注意しなければいけないのは、アクセス解析に囚われすぎていないか、という点。アクセス数を増やすのが、手段ではなく目的になっていないか考え直す必要がある。本来の目的を見失ってまでアクセスを増やす意味は無い。では、あなたの目的とはなんだったか。何のためにブログを書いているのか。

反応について

アクセスは、あくまでアクセスでしかない。100万のアクセスがあったところで、一瞬ページを開いただけかもしれない。滞在時間が長くても開きっぱなしのまま放置しているかもしれない。アクセスが増えること自体にモチベーションを高める効果はあるんだけど、それだけだとつまらないんだ。
その次の段階が、反応である。読んだ人から具体的なアクションが起こる。これこそが、読まれた実感というものだろう。感想や同意、訂正や注意など、内容は様々だ。しかしこれは、ごく一部とはいえど生の声である。本当に自分の書いた内容が読まれていることを実感する。この実感が書く意欲につながる。次はどんなことを書こうかという意欲に。
余談だけれど、ニクソン大統領が使ったことで有名なサイレントマジョリティという言葉がある。反応として直接もたらされた意見というのは、実は少数派の意見であり、大多数の沈黙している人たちの意見とは異なっている。だから、生の声を真に受けて少数派の意見を取り入れた結果、沈黙している大多数の支持を失ってしまうということもある。
反応への対応は、中身をよく考えないといけない。それはあなたの本意にそっているか。他人の意見を聞き入れたり参考にするのは大切なことだと思う。では、その上であなたは何がしたいのか。あなたにとって、目に見える少数の意見が大事なのか、声にならない大多数の意見が大事なのか、それとも内なる自分自身の意見が大事なのか。何が目的でブログを書いているのか。

アフィリエイトについて

最後に、アフィリエイトがある。僕もAmazonの広告だけ貼っている。アフィリエイトがモチベーションに繋がるのは言うまでもない。お金として見返りがあるのだから、これほど具体的な報酬の形はない。しかしながら、僕のようなブログのアフィリエイト収入なんていうのは、あってないようなものだ。おまけ程度に過ぎない。
アフィリエイトについても、手段と目的を明確化した方がいい。お金を稼ぐことが目的であれば、頑張ればそういうサイトも作れるだろう。
何かを紹介したい、トレンドを、自分の気に入った商品を、世の中に良い商品を広めたい、というのが目的であれば、それなりに最適化したサイトで、自分にセンスがあれば、アフィリエイトとしても十分な成果が出るだろう。
僕みたいにただの日記にアフィリエイトを貼っているだけであれば、大した結果は出ない。かと言って、その気もないのに商品紹介をしたところで同様に、大した結果は出ないだろう。読んでもいない本を紹介したり、使ってもいない商品広告を載せたりしたところで、購買に繋がるほどのネタを書けるとは思えない。
僕はあくまで日記だから、そのスタンスを貫いている限りアフィリエイト収入は増えないだろうけれど、では僕は何のために日記を書いているのだろう。

ブログを書く目的

紙とペンではなく、ブログという形態をとっている理由はモチベーションを維持するためという旨を書いた。ではなぜモチベーションを維持してまでブログを書くのか。
ありがちなことだけど、僕にとってはブログは日記以上でも以下でもない。備忘録としてブログを使っているという回答は月並み過ぎて、ここまで引っ張ってきた2500文字はなんだったのかと思うのでもう少し詳しく書こう。
僕にとって、ブログは記憶そのものだったりする。感情というのは、時間が経つに連れて薄れたり、慣れたり、変化したりする。その時の感情は、その時に記述してしまわないと永遠に失ってしまう。実際には、感情そのものは失われている。僕はその形跡として、文章を残しておきたいと思った。感情を完全な形で再現することはできないが、その名残を残すことができる。しかし、そんなものを残す意味はあるのだろうか。何のために己の記録を残しているのか。
僕の人生の大半は、自分を見つめなおすことに費やされてきた。世の中を知ることよりも、人を見ることよりも、自らの内側を見てきた。人間とは、自我とは、己とはなにか。自らの内側はどのように形成され、世の中のどういった事象に影響を受け、どのように変化し、どのように衰えていったか。僕は人間というものを見るにあたり、他人を眺めることをしなかった。むしろ自らに込められている形のないものを量ることで、人間を知ろうとした。

続き:ブログを書く目的とか② - Letter from Kyoto