ストレス耐性の無い自分

ストレス耐性の無い自分というものに生涯向き合ってきた。自分のストレス耐性というのはゼロに近い。学生の頃も会社員の頃も、そしてこうやって海外にいる今もそうだ。

 

ストレスのピークというはやはり会社員の頃だった。毎日吐き気がしたし、頭痛も下痢もした。睡眠も充分にとれなかった。食事もそうだ。ストレスを紛らわすため毎日酒を飲んでいた。病気が判明することはなかったけれど、その前に会社を辞めるに至った。

大学生の頃は、教習所は別にしてほとんどストレスを感じなかった。しかしそれ以前の中高生の頃となると、ずっとストレスを抱えていた。勉強というストレス。勉強は嫌いだった。また僕は15歳の頃からバイトをしており、バイトのストレスも強かった。バイトは長く続かなかった。半年とか。大学の時のコンビニバイトは2年続いた。楽だったから。

そして今、ここトロントでストレスを感じたのは、まずIELTSコースという英語の資格コースを受講していた時だった。あまりにも周りと差があり、みんな必死で、僕だけ全然できなかったため、僕は語学学校に通うのがかなり苦痛になった。結局そのコースは1ヶ月で辞め、普通のESLコースに戻したらストレスはなくなった。

次はやはり労働、バイトだった。お金が尽きてトロントでもバイトせざるを得なくなり、始めたところあまりにもできない。英語ができないとかそういう話ではなく、仕事ができない。はっきり言って向いていなかった。向いている仕事があるのかというと無いから仕方なく続けているが、毎日怒られるしミスをやらかすため、もう続かない。今の状態はというと、バイトのある日は朝から何もする気が起きない。ずっとナーバスで吐き気がするし、頭痛こそないけれど、下痢はある。辞めればいいんだけど、辞めたところで新たに仕事を探す気力もない。どうせ同じようなことになるだろう、という思いが尽きない。

「ストレス耐性が無いと言ったって、一人で海外旅行したり1年近く海外に住んだりしてすごいじゃないか!俺にはそんなことできない。」

と僕に対して言う人も稀にいるが、これはストレス耐性の問題ではない。僕はそもそも海外旅行や外国での生活自体にストレスを感じていない。耐性があるわけじゃないんだ。めんどくさいと思うときや失敗することはあるが、こんなものは趣味だ。

そうなると「そもそもストレス耐性なんて必要なのか?」という疑問が浮かぶ。「ストレスを感じないことだけやり続ければいいんじゃないか?」という発想だ。世の中そんなに甘くないのはわかっているが、実はこれは結構真理なんじゃないかと思う。仮に全くストレスを感じない仕事、というわけではなくても、それを上回る好奇心や楽しさを見いだせるのであれば、それが適性というものなのかもしれない。残念ながら僕にはそんなものはない。少なくともそれで生活できるような分野は存在しない。

強いて挙げるならブログ?僕はかなりの頻度でブログを更新している。それについてストレスを感じたことはない。しかし、僕の場合ブログなんかで生活はできない。収入もあるにはあるが、小遣い程度にもならない。将来性も無い。仮にブログで生活するため必死になったとすれば、それはブログを続けるモチベーションを奪うストレスと化すだろう。結局そういうことだ。ブログはこのまま一趣味としてダラダラと続けるのが無難だ。

最終的には日々ストレスを浴びて吐きそうになりつつも、なんらかの形で働き続けるしかないのだ。逃げ場なんてどこにもない。だからやはり、ストレス耐性が強い人とか、ストレスを感じない仕事で生活できている人というのは羨ましく、いつまでも憧れなのです。